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「東山魁夷と日本の夏」(山種美術館)開幕レポート。10年ぶりの全点公開

東京・広尾の山種美術館で特別展「没後25年記念 東山魁夷と日本の夏」が始まった。所蔵する東山魁夷作品がすべて展覧されている。※本稿で取り上げる作品はすべて山種美術館蔵

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、東山魁夷《満ち来る潮》(1970)

 猛暑が続く日本。涼やかな美術館で涼しげな日本画に触れてみてはいかがだろうか。東京・広尾の山種美術館では現在、特別展「没後25年記念  東山魁夷と日本の夏」が開催中だ。

展示風景より、手前は東山魁夷《白い壁》(1952)

 様々な日本の四季を描いたことで知られる日本画家・東山魁夷(1908〜1999)。本展は、山種美術館が所蔵する魁夷作品を10年ぶりに全点公開するものだ。会場は、「東山魁夷と日本の四季」「日本の夏」の2章構成。

 東山魁夷は四季の移ろいを「生あるものの宿命の象徴」ととらえていたという。四季を描くことは画家の心の在り方が反映されるものであり、季節感の表現は魁夷の重要なテーマだった。

 本展にも魁夷が描いた自然風景が多数並ぶが、白眉は幅9メートルにおよぶ大作《満ち来る潮》(1970)だろう。本作は日本海を題材にしたもの。皇居新宮殿にある魁夷の障壁画《朝明けの潮》を見た山種美術館初代館長・山崎種二が、誰でも見れるようにと同趣旨の作品を依頼し、描かれた。海には群青と緑青が、波にはプラチナ箔と金箔が用いられており、キラキラと光る画面がダイナミックな海の動きをより際立たせている。また岩の配置は、京都の寺を取材した際に見た寺院の枯山水の庭から着想されているという。

 会場では、岩や海、波のスケッチ、同作の下絵も同時に展覧されており、その制作背景も窺うことができる。

展示風景より、東山魁夷《満ち来る潮》(1970)
展示風景より、東山魁夷による岩や海、波のスケッチ
展示風景より、東山魁夷《唐招提寺壁画「涛声」のための習作》(1974)

 また魁夷の18点からなる連作「京洛四季」も見どころのひとつ。これは、川端康成の「京都は今描いといていただかないとなくなります、京都のあるうちに描いておいでください」という言葉を契機に、魁夷が京都の風情と四季の移ろいを描いたもの。

 山種美術館ではこの連作のうち4点《春静》(1968)、《緑潤う》(1976)、《秋彩》(1986)、《年暮る》(1968)を収蔵。なかでも《年暮る》は、定宿だった京都ホテル(現・ホテルオークラ京都)から雪が降りしきる大晦日の京都の街並みを描いたものとして広く知られる作品。群青の粒子の細かさによって微妙な青の濃淡が表現されている。

展示風景より、東山魁夷《年暮る》(1968)

 第二章「日本の夏」には、魁夷以外の作家による浮世絵から近代・現代日本画が並ぶ。

 富士山を多く描いた横山大観だが、いっぽうで海も多く描いた。大観の《夏の海》(1952)は、夏の夜に浮かぶ銀色の月と、岩にぶつかって砕ける波が描かれており、技法には大観が得意とした「片ぼかし」が用いられている。

 また、川端龍子の《鳴門》(1929)も海を描いた大作。群青をふんだんに使い描かれた本作は、白波が際立つダイナミックな表現だ。

展示風景より、横山大観《夏の海》(1952)
展示風景より、川端龍子《鳴門》(1929)

 上村松園の《蛍》(1913)も夏ならではの風景だろう。蚊帳を吊る女性と、そこに入ってきた1匹の蛍。構図は喜多川歌麿の浮世絵《絵本四季花(上)雷雨と蚊帳の女》(1801)を参照にしたとされており、浴衣には、当時流行だったアール・ヌーヴォー風の百合が表現されている点にも注目だ。

展示風景より、左から小林古径《河風》(1915)、上村松園《夕べ》(1935)、《蛍》(1913) 

 このほか、江戸時代の夏の風物詩だった虫売りの屋台と、籠の虫に夢中になる子供たちを描いた伊藤小坡の《虫売り》(1932)や、黒田清輝の油彩画《湘南の海水浴》(1908)、夕立から逃れて雨宿りする人々を描いた池田輝方の《夕立》(1916)など50点以上が並ぶ本展。幅広い作品を通じて、日本の夏ならではの風情を感じてほしい。

展示風景より、伊藤小坡《虫売り》(1932)
展示風景より、池田輝方《夕立》(1916)

編集部

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