「ガラスの街とやま」を目指したまちづくりの一環として、2015年8月に開館した富山市ガラス美術館。隈研吾によるデザインが特徴的なこの美術館で、宮永愛子の個展「詩(うた)を包む」が開幕した。会期は2024年1月28日まで。
宮永は1974年京都府生まれ。99年京都造形術大学美術学部彫刻コース卒業、2008年東京藝術大学大学院修了。「変わりながらあり続ける」をテーマとして、ナフタリン、樹脂、ガラスの彫刻や塩、葉脈を用いたインスタレーション作品で高い注目を集めるアーティストだ。代表シリーズに、ナフタリンや樹脂でかたどったトランクを実物とともに配した、旅と時間がテーマのインスタレーション《手紙》(2013-19)や、作家の日々の景色を描き、無数の気泡を含ませた絵画を浮かべた《life》(2018)などがある。19年の個展「宮永愛子:漕法」(高松市美術館)では、開催地の香川県にちなみ、澄んだ音色を奏でる石「サヌカイト」を素材としたインスタレーションで、瀬戸内の景色や人々が積み重ねる時間を表現した。
2020年代には、DOMANI・明日2020 日本博スペシャル展「傷ついた風景の向こうに」(国立新美術館、2020)、 京都市京セラ美術館 開館1周年記念展「コレクションとの対話:6つの部屋」(京都市京セラ美術館、2020)、「旅と想像/創造 いつかあなたの旅になる」(東京都庭園美術館、2022)、「インターフェアレンス」(銀座メゾンエルメス フォーラム、2023)などに参加。また第27回京都府文化賞奨励賞(2009)、 第3回 shiseido art egg賞(同)、日産アートアワード グランプリ(2013)、第33回京都美術文化賞(2020)、第70回芸術選奨文部科学大臣新人賞(同)など数々の賞を受賞しており、高い評価を得ている。
富山市ガラス美術館では初の個展となる本展は、宮永の代名詞であるナフタリンを使ったシリーズ「くぼみに眠るそら」から始まる。大黒天や猫など、どこか素朴なモチーフの数々。これらは宮永の曾祖父である陶芸家・初代宮永東山が約100年ほど前に使用していた石膏型から取ったものだという。ナフタリンの彫刻はケースの中で時間とともに姿を変え、会期中も新たな時間を刻んでいく。
会場を進むと見えてくるのが、樹脂によってつくられたトランクの数々だ。インスタレーション《手紙》は、内部にナフタリンの鍵を包んだ透明のトランクで構成されたもの。様々な出自を持つトランクは、海や山を越えて薬を届けた富山の薬売りの歴史とも重なるとともに、ここではないどこかへと想いを馳せる装置ともなっている。
宮永は今回の展示のために、ガラスによるトランクも生み出した。《詩を包む −トランク−》と題された新作は、熱したガラスを型に流し込み、徐々に冷やして成形する「キルンワーク」によるもの。無数の気泡を包み込んだこのトランク。目を凝らすと、そこには宮永による詩のような言葉が漂っているのがわかるだろう。
また同じ展示室には、ガラス質の釉薬の収縮率の違いによって発生する「貫入音」を生み出す《そらみみそら》の新作も並ぶ。《詩を包むートランクー》で目を凝らし、《そらみみそら》では耳を澄まし、作品に没入してほしい。
宮永が「新しい発見があった」と語るのが、新作の《詩を包む》だ。これは、富山で採取された杉の葉や毬栗、アスファルト片、貝殻、海岸の石などに溶解したガラスをかけ、包み込んだもの。高熱のガラスをかけることで物質から放出された水蒸気がぷっくりとガラスを膨らませ、ユニークなフォルムを創出している。その膨らみの中には、それぞれの物質が持っていた時間、記憶の痕跡が留められていると言える。
最後の展示室で存在感を放つ新作インスタレーション《くぼみに眠る海》は、展示冒頭の同名シリーズとつながるもの。こちらも宮永の曾祖父が使用していた陶彫の型を用いたものだか、これらはそこにガラスを流し込んで(キルンキャストによって)制作されたガラス彫刻。
陶彫の型という「くぼみ」から取り出された彫刻たちは、型の欠損もそのままに、ガラスによってその姿を留めている。形は100年前のものでありながら、その内部には現在の空気を内包した本作。これまで「時間」を扱ってきた宮永にとって、これらの作品は「過去に会いに行くこと」だったという。
なおこれらの作品が並ぶのは、もともと富山市ガラス美術館のバックヤードにあった台座。準備段階でこれらを見つけた宮永は、展示室において使用することで「これまでの富山市ガラス美術館で感じたことがないような空間」にしたかったという。うず高く積まれた台座は同館における展示の歴史を伝え、鑑賞者の視線を様々な方向へと誘うだろう。
「樹脂は気泡も含めて自分の思うようにできる。でもガラスは自分の思うようにいかない。ガラス作品をつくる過程はひとりではできないから人にお願いすることもあるし、それもいい経験となった。ガラスをもっと追求していきたい」。宮永は今回の展覧会を振り返り、そう語っている。
作品によって「時間を包む行為」を続けてきた宮永愛子。本展はこれまでの制作からのつながりでありながらも、新たな可能性を感じさせるものとなった。