銀座メゾンエルメス フォーラムで、エマイユ(釉薬)に注目しながら、粘土と身体の関係を考察するグループ展「エマイユと身体(からだ)」が開幕した。会期は9月17日まで。
本展は、エルメス財団が実施してきた自然素材をめぐる職人技術や手わざの再考、継承、拡張を試みる「スキル・アカデミー」の一環として生まれた『Savoir & Faire 土』(岩波書店)の刊行を記念したものだ。
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釉薬とは、陶磁器などの表面を覆うガラス質の膜を指す。その種類は、透明なものから銅を加えた緑色のものまで様々で、青磁の青は鉄を原料に加えて表現されている。焼き時間によっても異なる表情を見せるため、火の芸術とも形容できるだろう。
そんな釉薬に焦点を当てた本展の軸になっているのは、出展作家のひとりでもあるジャン・ジレルの論考の「エマイユ(釉薬)」というテキストだ。
製陶術が発明されるはるか以前、ある種の自然界の産物に魅せられた先史時代の人類は、貝殻、歯、亀の甲羅、ターコイズやラピスラズリや翡翠(ひすい)などの奇石を収集しては、宝石や装身具や副葬品にしている。こうした収集物は、のちに釉薬になるものとどこかしら奇妙な共通性がある。磁器〔ポルセーラ〕という命名の由来になったのはある貝の名前ではなかったか?歯のエマイユ〔=エナメル質〕 と言われはしないか?初期のエジプト「ファイアンス」はターコイズを模した小さな宝石であった。
こうしたジャン・ジレルによる思索の蓄積に銀座メゾンエルメス フォーラムが持つ現代性を加えた本展は、「ランドスケープ」「変幻」「被膜」という3つの視点を有している。
大地、焼成によってあらわれるかたちやイメージの「ランドスケープ」の視点では、ジャン・ジレル、小川待子、安永正臣の表現を紹介。流動性、色彩、二重性、親密さという要素を持つ「変幻」には、パリからフランソワーズ・ペトロヴィッチとシルヴィ・オーヴレのが参加。「被膜」では、ユースケ オフハウズと内藤アガーテの作品から、建築や環境を通して身体性に意識が向かう構成が楽しめる。
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展示は8階と9階にまたがっているが、エントランスは9階。エレベーターの扉が開いて最初に目に入るのが、シルヴィ・オーブレによる青と白の陶芸作品だ。青い作品には《ブルーブルー》という題がついており、作家が信楽に滞在した際に制作したものだという。大きさと独自の造形が特徴的な本作に近づくと、その表面が持つ迫力にも圧倒されることだろう。
シルヴィ・オーブレの表現は、同じ階の奥にある「箒」シリーズにも続く。現在も続くこのシリーズは、およそ5年ほど前から始まった。展示されている21本の箒はそれぞれ、主に柄の部分に施された釉薬が固有の色彩と輝きを放っている。
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入口を右手側に進むと、ガラスケースの中に手桶ほどの大きさの作品が8つ飾られている。これは、先に引用したジャン・ジレルによる「風景槽」という作品群だ。春夏秋冬の風景を2つずつ描いた新作で、8階に展示されているレコードのような形状の「風景盤」シリーズと同じ構成をとっている。作家自身も「焼きあがるまでわからない」と話す偶然性が生んだ色彩の妙と、景色ごとに冠された16つの美しい名前に注目されたい。
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「風景槽」シリーズの向かいでは、ユースケ・オフハウズによる「たしか私の記憶では」というシリーズが展開。ミニチュアの建物がいくつも糸で吊られた、どこかノスタルジックな光景が広がっている。2012年から始まったこのシリーズは、作家自身が「ヒューマン3Dスキャナー」と説明しており、観光地の建物をじっくり目で見て、写真は撮らず、アトリエに戻ってできるだけ忠実に再現するというプロセスを経て生まれている。
ノートルダム大聖堂や中銀カプセルタワービルなど20個以上のミニチュアはどれも、人間の記憶のあいまいさを感じさせながら、どこか同一性を保つ要素を孕んでいる。柱に掛けられた液晶ではまた、必要に応じて移動可能なミニチュア美術館「オフハウズ・ミュージアム」のプロジェクトから「作品のサイズ」という概念の再考を促す映像が流れている。
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8階のエレベーター前では、ひびや欠け、釉薬の縮れを生かし、つくることと壊れることの両義性を内包する「うつわ」を制作してきた小川待子の作品が並んでいる。小川は響きあうように並ぶ「闇と星」シリーズについて、「闇を浮遊するような感覚に出会い、その衝動にまかせてつくった」と語っている。
階段で8階へ降りてきたなら、床いっぱいに広がり光景陽を受けている《Na2o・ZnO・AI203・Si02・B203》を先に目にするかもしれない。こちらも同じ作家の作品と聞けば、そのギャップに驚くだろう。しかし、板状の作品が25枚連なった表面に目を凝らし、薄氷のように煌めく質感を見つけたなら、小川待子の作家性が十分に感じられるはずだ。
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《Na2o・ZnO・AI203・Si02・B203》の奥に進むと、動物や少女をモチーフにしたフランソワーズ・ペトロヴィッチの作品が並ぶ。自身について「画家」だと話すフランソワーズ・ペトロヴィッチの作品からは、どこか冷たさを感じさせる色彩と、動物の毛並みや筆で撫でたようなあたたかみのある表面の融合が楽しめるだろう。
壁にかかっている平面作品には、人間の手に抱えられた鳥が描かれている。立体作品《カリメロ》では、鳥がクッションに乗っており、どちらも実際の彫刻の台座より柔らかいものを台として採用する意図があったという。《腹話術師》については、お腹から(腹の底)の声でありながら人形の声として発される(本人の声ではない)という二重性について指摘したうえで「その存在が子供の頃から怖かった」と話しており、作品からも作家自身が抱く不気味さの反映が感じとれる。
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8階入口から右手に進んだ奥の部屋では、 安永正臣と内藤アガーテの作品を展示。安永は「遠くを見る」という言葉をテーマに、自身と過去や未来のあいだに立ち現れる感情をもとに表現を展開してきた。
今回は、自身の母のルーツである五島列島とその北東部に位置する野崎島をモチーフにしたインスタレーション《静かな対岸の記憶》を展示。白色の蓄積で表現された五島列島の奥には野崎島の教会などのオブジェが配置され、記憶の隅に残る静止画から再構成した光景が広がっているという。
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内藤アガーテの展示は、物と身体の一部を移した写真「動くたびに」シリーズから始まる。その奥にも《ガーデニング Ⅱ》など、制作した陶器を用いた写真作品を展示。今回の展示では、マットや写真のなかのハットやスリッパを配置し、さらに空間性を強めている。また、日本のちゃぶ台を模した小さなテーブルがいくつも並んでおり、セラミック製の文字で食べ物の名前が書かれたランチョンマットがその一つひとつに置かれている。
身体を取り巻く環境を再認識させる本作は、さらなる拡張が予定されている。7月31日、8月2日、8月5日にアーティストのソー・ソーエンが会場を訪れ、自らの身体を用いてこれらの作品を活性化するパフォーマンスを実施するという。
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本展は、時間を跨いで鑑賞したい展示だと感じた。本展の作品に共通する「エマイユ」がガラス質ということを鑑みれば、光の当たり方によって表情を変えるということに想像が及ぶだろう。ガラス張りの銀座メゾンエルメス フォーラムは、室外の光を穏やかに展示空間に持ち込むことで、作品の持つ多様な顔を来場者に伝えている。
人間も夜になると瞳孔が開くように、時間の経過とともに異なる顔を見せる。人間の知覚と作品のあいだで起こる知覚の変化を意識したとき、そこにも身体性が立ち現れている。
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