ARTISTS

サルバドール・ダリ

Salvador Dali

 サルバドール・ダリは1904年スペイン・フィゲラス生まれ。14歳でフィゲラス市立劇場(現・ダリ劇場美術館)の展覧会に作品が展示されるなど、早くから絵の才能を認められる。22〜23年までマドリードの王立美術アカデミーで学び、当初は印象派からキュビスム、さかのぼってヨハネス・フェルメールやフランソワ・ミレーなどの古典を研究。また、ジークムント・フロイトの精神分析に傾倒する。25年にバルセロナのダルマウ画廊で初個展を開催。このときパブロ・ピカソ、ジョアン・ミロと知り合う。29年にパリで、ルイス・ブニュエルと共同制作した映画『アンダルシアの犬』を公開。女性の眼球を切断するシーンから始まるという衝撃作はシュルレアリストたちに高く評価され、アンドレ・ブルトンら率いるグループに迎えられる。この頃、インスピレーション源であり後の妻となるガラと出会う。

 30年に「偏執狂的・批判的方法(ブルトンによる命名)」を提唱。夢や妄想などの錯乱状態で連想されたイメージを客観視し、認識可能な状態にする方法としてダブル・イメージを多用する。初期の代表作のひとつ《記憶の固執》(1931)では、時間の消滅や死を、カマンベールチーズを着想源とした溶けた時計やダリの強迫観念であるアリの群体などで象徴している。32年にニューヨークで開催されたシュルレアリストのグループ展に《記憶の固執》などを出品して話題となり、翌年のアメリカ初個展も成功。舞台美術やデザインも手がけるなどアメリカでの活躍の反面、狂気を装った過剰な自己演出が一因してブルトンと対立し、グループから除名される。

 40年にガラとともにニューヨークに移住し、第二次世界大戦終結後の48年にスペインに帰国。古典様式に回帰し、聖母子像や磔刑図などルネサンス期を思わせる宗教画に着手する。また、広島の原子爆弾投下やビキニ環礁での水爆実験に対する恐怖を作品に描くいっぽう、原子物理学への関心を深め、科学や数学に着想を得て制作を行う。51年には『神秘主義宣言』を発表し、科学の理論に基づいて宗教の世界を表現することを試みる。この時期の作品では、点描の技法や平面を立体的に見せるステレオ・グラムの応用が見られる。74年フィゲラスにダリ美術館が開館。82年にガラが死去。83年の《ツバメの尾》が最後の作品となる。89年没。日本では1999年に、アジア唯一のダリ常設美術館として諸橋近代美術館(福島)が開館。絵画、彫刻、版画作品など約330点が収蔵されている。