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ディエゴ・ベラスケス

Diego Velasquez

 ディエゴ・ベラスケスはバロック期の画家。1599年スペイン・セビリア生まれ。11歳の時にフランシスコ・パチェーコの工房に入門し、18歳で職業画家として独立。《東方三博士の礼拝》(1619)などの宗教画や、庶民の台所や食事の様子、食器類などを題材としたボデゴン(厨房画)を手がける。初期の代表作《セビリアの水売り》(1620)は、カラヴァッジョに影響を受けた明暗の表現を見せつつ、水売りからグラスを受け取る老人の威厳ある姿や画面手前にある水がめの質感を表す水滴など、画家が客観的に人間を見る目と、真に迫る技をすでに備えていることを伝える。1621年にフェリペ4世が即位。22年にマドリードを初めて訪れ、翌年には国王の肖像画を初めて描く。ベラスケス以外に国王の肖像画を描くにふさわしい者はいないと、24歳の若さで宮廷画家に抜擢され、以降、王宮を活動の場とする。また王の信頼を得てのちに宮廷の重要な役職に就くことになる。

 王付きとなったベラスケスは王族が収集した絵画コレクションを見ることができ、とくにティツィアーノ・ヴェチェッリオをはじめとするヴェネチア派に影響を受けて、画風に彩りを加えていく。また28年にイタリア使節団の一員としてスペインを訪れたピーテル・パウル・ルーベンスをもてなし、交友して大いに刺激される。名声を不動のものとしていたルーベンスのマドリード滞在中、ベラスケスは最初の神話画《バッカスの勝利(酔っ払いたち)》(1628〜29)に挑み、自身が得意としていたボデゴンの要素などを取り入れつつ、神話を題材としながら現実的な作品に仕上げた。低迷する当時のスペインにあって王の命で描かれた同作品では、フェリペ4世に見立てたとされるバッカスのそばで粗野な男たちが酒を手にしており、社会の基盤をなす働き手に対して寛容な神(王)をたたえた作品とも解釈できる。

 ルーベンスの勧めもあり、29〜31年に初めてイタリアを旅行。古典にふれる機会を得て画風の転換期に入る。帰国後は肖像画の注文に加え、王の娯楽のために建てられたブエン・レティーロ宮殿の装飾を任され、この離宮の「諸王国の間」を飾る《ブレダの開城》(1635頃)などを制作。また王族がたしなんだ狩猟の場に立つ休憩塔トーレ・デ・ラ・パラーダのために、狩猟服に身を包む王族たちの一連の肖像画や動物画などを手がける。フェリペ4世からの信頼は厚く、43年に王室侍従代に任命されると、王室の所蔵品の管理や王の衣装係までも務め、宮廷での地位を高めていく。49年、2度目となるイタリア訪問でローマに滞在し、51年に帰還。翌年に王宮配室長に任命され、王宮のあらゆる部屋の管理を任される。

 ベラスケスの傑作《フェリペ4世の家族(ラス・メニーナス)》(1656)は、宮廷の職務で多忙を極めるなか制作された。まず鑑賞者の目を引くのは、画家のアトリエの中央にいるマルガリータ王女。国王の2人目の王妃とのあいだに生まれた幼い王女の両側に2人の侍女(ラス・メニーナス)が控え、鑑賞者から見て右手に道化と小人と犬がいる。部屋の奥の鏡には国王夫妻が映っており、開かれた扉の向こうに侍従の男が立っている。そして左手には大きなキャンバスに向かうベラスケスの自画像が描かれている(59年にサンティアゴ騎士団への入団を認められ、高位貴族を示す十字架を胸に描き加える)。国王一家を描いたこの作品は様々な解釈がなされ、複数の視線が交錯する謎めいた画面が、まるでアトリエの一室の登場人物になったかのように見る者を絵に引き込む。

 晩年のもうひとつの傑作《アラクネの寓話(織女たち)》(1657〜60)においては、前景に、人間に変身した技芸の女神と、神に挑む恐れ知らずな織女アラクネの対決を、その後景には女神の怒りを買ってまさにクモにされようしているアラクネの結末を描き、見事に一枚にまとめ上げている。変身の寓話を題材とした同作品は、貴族と労働階級の対比、あるいは画家の先人への挑戦を示唆しているとも考えられている。

 簡潔ながら巧みな空間表現や写実的な描写、遠目からモチーフの細部が現れる、軽やかでいて精密な筆致などの技量はもちろんのこと、ベラスケスの芸術の真髄は道化や小人の肖像画に見られるように、身分や外見という物差しで人を測ることなく、目の前の一人ひとりを尊び描いたことにある。60年没。代表作に《フェリペ4世》(1628)、《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》(1635頃)、《マルス》(1638頃)、《セバスチャン・デ・モーラ(エル・プリモ)》(1644)、《鏡のヴィーナス》(1647〜51)、《ファン・デ・パレーハ》(1650)、《教皇インノケンティウス10世》(1650)、《青いドレスのマルガリータ王女》(1659)。