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ジョアン・ミロ

Joan Miró

 ジョアン・ミロは1893年スペイン・バルセロナ生まれ。スペインを代表する画家のひとり。一時は商社に勤務し、1912年からバルセロナのガリ美術学校で再び絵を学んで、印象派やフォーヴィスム、キュビスムの画家たちに影響を受けた風景画や肖像画などを手がける。初期に描いた《農園》(1921〜22)は、小説家のアーネスト・ヘミングウェイが所有していたことでも知られる作品。澄んだ青空が映えるスペインの風景に、木や白壁の小屋、様々な農具、ニワトリやロバなどの動物と、故郷でなじみのあったものをちりばめた、素朴ながら細やかな描写は、もの一つひとつに丁寧なまなざしを向ける画家の姿勢を感じさせる。

 19年にパリを初めて訪問。この時パブロ・ピカソに出会う。20年にパリに移住。翌年には初個展を開催するも成功に至らず、貧困生活を送ることとなる。この頃に、植物や動物たちがいる風景に、抽象的なイメージや記号が入り混じる《耕地》(1923〜24)や《母性》(1924)、《アルルカンの謝肉祭》(1924〜25)などの代表作を制作。その日の食べ物にも困り、空腹の状態で見えた幻想をもとに描いていたと後に語っている。24年頃よりシュルレアリスム運動に参加し、無意識に湧き出るイメージを、具象と抽象のモチーフで自由に組み合わせて表現する幻想的な作風へ移行。シュルレアリスムと深くかかわる夢について、昼間アトリエにいるとき、目が覚めているときに夢を見ていると述べている。シュルレアリスムの影響下で、夢と現実が地続きにある独自の画法を確立し、アンドレ・ブルトンからは「もっともシュルレアリストらしい画家」という言葉を送られる。

 28年にオランダを旅行し、ヨハネス・フェルメールの作品に影響を受けてコラージュ作品を制作。またエッチングや彫刻、舞台美術などにも取り組む。36年にスペイン内戦が勃発。翌年のパリ万国博覧会スペイン館にて、ピカソの《ゲルニカ》と並んで壁画《刈り入れ》が展示される。40年に、現実ではない場所を見るように、「星座」シリーズに着手。主にグワッシュや油彩を用い、記号化された星や鳥、女性の線やかたちと色彩とが調和する、宇宙的・神秘的な画風へ向かう。50年代以降は陶器や彫刻作品に没頭し、絵画にしばしば登場させた鳥や女性などをモチーフとして制作を行うほか、パブリック・アートの大作も発表。54年にヴェネチア・ビエンナーレの版画部門大賞、67年にカーネギー賞絵画部門で受賞する。

 日本では66年に初個展(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)が開催。日本万国博覧会に壁画《無垢の笑い》(1970)を出展し、同年に瀧口修造との共作『手づくり諺』を刊行する。83年没。バルセロナのミロ美術館には、本人より寄贈された初期から晩年までの作品が数多く収蔵されている。