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解体されゆく「中銀カプセルタワービル」カプセルはどこへ行く? 黒川紀章の名作、日本の美術館が収蔵を

現在、住人の退去と区分所有のカプセル売却が進んでいる「中銀カプセルタワービル」。黒川紀章が手がけたこの名建築は今後どのような道をたどるのか? 「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」の前田達之に話を聞いた。

文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

中銀カプセルタワービル外観

 東京都中央区銀座8丁目。ここで特異な存在感を放つビルが、1972年に竣工した「中銀カプセルタワービル」だ。

 中銀カプセルタワービルは、建築家・黒川紀章(1934〜2007)が手がけた世界初の実用化されたカプセル型集合住宅で、「メタボリズム建築」を代表する作品として国内外で広く知られる。建物はA棟とB棟の2本のタワーで構成されており、各タワーにカプセルユニットが取り付けられた独特の構造だ。140個のカプセルはすべて独立した住宅であり、黒川紀章は販売当初のカタログのなかで「(カプセル住宅は)住宅の工業化によって、品質の向上を計るばかりでなく、構造からインテリア、そして空調、テレビ、ラジオ、家具、照明まで含めた新しい住まいかたを提供するものである」と語っている。

中銀カプセルタワービル販売カタログの復刻版
中銀カプセルタワービルエントランス
12階のブリッジ部分から見たカプセルユニット

 カプセル内は特徴的な大きな丸窓とオーバーヘッドコンソールユニット、デスクユニット、エアコンユニット、クロークユニット、そしてバスルームユニットで構成。決して広いわけではないが、秘密基地のような安心感がある空間だ。

カプセル内部
バスルームユニット

 しかしながらこの名建築にも老朽化の波は押し寄せた。なんとか改修できないかと議論もされたが、莫大な費用がかかることが判明。ビルの管理組合は最終的に今年3月、敷地売却を決定した。現在は住人の退去が進んでおり、遠くない未来には解体が予定されている。

 こうしたなか動きだしたのが、保存派オーナーと住人が中心となった「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」だ。このプロジェクトでは、敷地の買受企業とのあいだで複数カプセル(最大139カプセル)の取得を合意。カプセルタワー解体時にはそのカプセルを取り外し、株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の協力により再生することを目指している(なお埼玉の北浦和公園にはモデルルームとして使われていたカプセルがひとつ設置されている)。

中銀カプセルタワービルを象徴する丸窓

 「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」代表の前田達之によると、住人の退去期限は今年4月末だった。しかしながらコロナ禍などの影響で期限は延長され、解体時期も現時点では未定となっているという。

 今年7月には、カプセルを改修し美術館などの公共施設に寄贈するためクラウドファンディングを実施。目標金額100万円を大きく上回る769万円を集めた。予想以上の反響を得たかたちだが、美術館への寄贈については未知数だと前田は話す。

 「いまはカプセルをどう外すか、またいくつ救出できるかを協議している段階。最低でも数十個以上を保存し、美術館にも寄贈したい」(前田)。

 すでに海外の大規模美術館からは寄贈を受けたいとの打診があるという。しかしながら、日本あるいは東京の美術館とは交渉のテーブルにつけていない。

 「記憶を継承するという意味でも、本来であれば東京の国立新美術館などに収蔵してもらいたい。中銀カプセルタワービルは日本だけでなく海外のファンも多い。観光資源としての活用も考えられるのでは」(前田)。

 近年、近代建築が老朽化を理由に相次いで解体の危機にさらされている。建築そのものを延命させるのはコストの面からも敬遠されてしまうのが現実だ。しかしながら中銀カプセルタワービルはその構造上、カプセル単独での保存ができる。また、メタボリズム建築の歴史を物語る貴重な資料であり作品であることは言うまでもない。これを海外の美術館のみが収蔵するという状況は、避けなければならないだろう。

12階ブリッジ部分。劣化が目立つ
B棟内部。ブルーは竣工当時の色彩
A棟内部。壁面のオレンジは竣工当時の色彩
カプセル内のオーバーヘッドコンソールユニット
販売カタログの図面(復刻版)

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