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「性差」はいかにつくられてきたのか? 国立歴史民俗博物館で「性差(ジェンダー)の日本史」を見る

性差(ジェンダー)が日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのか。その変遷を280点以上の資料を通して問う歴史展示「性差(ジェンダー)の日本史」が、12月6日まで国立歴史民俗博物館で開催中。そのハイライトをレポートでお届けする。

文=浦島茂世

展示風景より、右は重要文化財の高橋由一《美人花魁》(1872、東京藝術大学蔵)

 生物学的な性差(セックス)とは異なり、文化的・社会的に形成された男女の性差、「ジェンダー」。日本においては、ジェンダーはいつ生まれたのか? そして、どのような歴史を持っているのか? 現在、この問いについて古代から丹念に紐解いていく企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」が国立歴史民俗博物館で開催されている。

 展覧会場となる国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市 通称:歴博)は、日本の歴史学、民俗学、考古学について総合的に研究・展示を行う研究機関。収集した資料は30万件以上に及び(東京国立博物館は11万7700件)、6つある常設展示室を見るだけでも丸一日かかってしまうほどだ。

 日本人の多くは、幼少時から「女の子らしく」、「男の子らしく」という言葉を耳にしながら成長してきた。しかしながら、この「らしさ」の根拠について説明される機会、立ち止まって考える機会が与えられることは、近年までほとんどなかったといえよう。ジェンダーという言葉が一般的に使われるようになったのも最近のことだ。

「性差(ジェンダー)の日本史」会場入口 撮影=筆者

 この展覧会は、ジェンダーを「政治空間」「仕事とくらし」「性の売買」の3つの側面から着目し、280点以上の展示資料を7つのセクションにわけて紹介していく。

 この展覧会を企画した展示代表の横山百合子(国立歴史民俗博物館研究部教授)によると、この膨大な展示は20名以上のメンバーとの共同研究によって生まれたものだという。

展示風景より、重要文化財の栃木県甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半、下野市教育委員会蔵)

 展覧会は古代の政治についての言及から始まる。政治において、男女の区分が明確になったのは7世紀末から8世紀はじめ、中国にならった律令制度の導入がきっかけだ。古代、日本では誰もが男女、父子の区分なしに政治に参加し、古墳時代の前半には女性の首長も3〜5割出現したと推定されている。卑弥呼もそのひとりだ。

 しかし、男性を対象とする税制や兵役制度を確立させるため、国家は人々の性別を把握する必要が出てきた。そのために律令制度が導入され、男性と女性で異なる役割が定められるようになっていく。

展示風景より甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半) 水玉模様が特徴の女性の埴輪 撮影=筆者
 展示風景より、甲塚古墳出土埴輪(6世紀後半)。女性の埴輪は頭の髷や胸の膨らみで識別できる 撮影=筆者
展示風景より

 政治が変われば、人々の仕事とくらしも変わっていく。時代が進むにつれて性別の区分けも明確になっていく。中世は活躍していた女性の職人は、近世には男性のみが職人として認められるようになり、非公式の存在になっていく。展覧会では、屏風に描かれた女性がどのような仕事をしているかなども含め丹念に追いかけ、「女性向けの仕事」「男性向けの仕事」が、生物学な特徴を鑑みて割り振られていったものではないことをあぶりだしていく。

展示風景より、洛中洛外図屏風「歴博甲本」(16世紀前期、国立歴史民俗博物館蔵、複製) 撮影=筆者
展示風景より、洛中洛外図屏風「歴博甲本」の解説パネル。登場する女性たち一人ひとりに物語があるのだ 撮影=筆者
展示風景より、ぼどことどんじゃ。どんじゃと南部県南地方の女性たちがコギン刺しで布をかさね、麻屑を詰めてつくった袖付きの布団。家長男性が使い続けたもので、重さは14〜15kgになるという。ぼどこも何代にもわたって出産用に使われた敷物。どんじゃ同様に丁寧に作られた
展示風景より。仏教界の女性観も人々の暮らしに大きく影響を与えていた

 そしてなによりも注目したいのが、「性の売買」をテーマにしたセクション。性を売る女性が史料のなかに認められたのは9世紀後半のこと。遊女と呼ばれる女性たちは、売春を専業としてはおらず、芸能や宿泊業なども自ら行う経営者でもあった。彼女たちは、自分の子に職業を継承し、同業者たちで職業的集団を形成していく。

 しかし、江戸時代に入ると人身売買による売春が幕府に容認され、城下町の遊郭や、宿場町の飯盛旅籠屋などに拡大していったのだ。この過程において、遊女はものとして扱われるようになっていく。

展示風景より、中央は高橋由一の代表作《美人(花魁)》(1872、東京藝術大学蔵)。モデルとなった花魁の小稲は、この絵を見て「妾はこんな顔ではありんせん」と腹を立て、泣いたという 撮影=筆者

 展覧会では、高橋由一の代表作《美人(花魁)》のほか、絵のモデルとなった最高級の遊女・小稲が若い時に書いた手紙や、遊女たちの日記、彼女たちを買っていた男性像、遊廓を支えた金融ネットワークなど豊富な資料から遊廓を見つめ、売買春の変遷に迫っていく。

娼妓の暮らしを再構成した展示 撮影=筆者
高橋由一《美人(花魁)》のモデルとなった四代目小稲が主人公の小説 撮影=筆者
展示風景より、新吉原詳細図(1849、個人蔵) 撮影=筆者

 そして、最終章となる第7章では、近現代における女性の労働に焦点を当てる。ユネスコ「世界記憶」に指定された山本作兵衛の炭鉱記録画にも、炭鉱で夫とともに働き、一息つくことなく家事に明け暮れる女性の姿が実直な線で描かれている。

展示風景より、戦後に労働省(現 厚生労働省)婦人少年局によって制作された啓蒙ポスター
ユネスコ「世界の記憶」にも指定された山本作兵衛による炭坑記録画《坐り掘り》(田中市石炭・歴史博物館蔵)。筑豊では夫婦共に炭鉱に入るのが一般的であった。つるはしで夫が石炭を彫り、妻が石炭を坑道まで運び出す 撮影=筆者

 本展は読み解いていく資料が多く、美術館での展示とは若干形式が異なっているものの、非常に見どころの多い展覧会だ。本展を見て、ジェンダーというものがどのように変遷していったのかを知ることは、美術館や展覧会で美術作品を鑑賞したときに、描かれている人間のあり方、そして展示のされ方にも注意が及ぶようになるはずだ。鑑賞者の価値観を揺さぶる、貴重な展示をぜひ見ていただきたい。

編集部

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