生物学的な性差(セックス)とは異なり、文化的・社会的に形成された男女の性差、「ジェンダー」。日本においては、ジェンダーはいつ生まれたのか? そして、どのような歴史を持っているのか? 現在、この問いについて古代から丹念に紐解いていく企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」が国立歴史民俗博物館で開催されている。
展覧会場となる国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市 通称:歴博)は、日本の歴史学、民俗学、考古学について総合的に研究・展示を行う研究機関。収集した資料は30万件以上に及び(東京国立博物館は11万7700件)、6つある常設展示室を見るだけでも丸一日かかってしまうほどだ。
日本人の多くは、幼少時から「女の子らしく」、「男の子らしく」という言葉を耳にしながら成長してきた。しかしながら、この「らしさ」の根拠について説明される機会、立ち止まって考える機会が与えられることは、近年までほとんどなかったといえよう。ジェンダーという言葉が一般的に使われるようになったのも最近のことだ。
この展覧会は、ジェンダーを「政治空間」「仕事とくらし」「性の売買」の3つの側面から着目し、280点以上の展示資料を7つのセクションにわけて紹介していく。
この展覧会を企画した展示代表の横山百合子(国立歴史民俗博物館研究部教授)によると、この膨大な展示は20名以上のメンバーとの共同研究によって生まれたものだという。
展覧会は古代の政治についての言及から始まる。政治において、男女の区分が明確になったのは7世紀末から8世紀はじめ、中国にならった律令制度の導入がきっかけだ。古代、日本では誰もが男女、父子の区分なしに政治に参加し、古墳時代の前半には女性の首長も3〜5割出現したと推定されている。卑弥呼もそのひとりだ。
しかし、男性を対象とする税制や兵役制度を確立させるため、国家は人々の性別を把握する必要が出てきた。そのために律令制度が導入され、男性と女性で異なる役割が定められるようになっていく。
政治が変われば、人々の仕事とくらしも変わっていく。時代が進むにつれて性別の区分けも明確になっていく。中世は活躍していた女性の職人は、近世には男性のみが職人として認められるようになり、非公式の存在になっていく。展覧会では、屏風に描かれた女性がどのような仕事をしているかなども含め丹念に追いかけ、「女性向けの仕事」「男性向けの仕事」が、生物学な特徴を鑑みて割り振られていったものではないことをあぶりだしていく。
そしてなによりも注目したいのが、「性の売買」をテーマにしたセクション。性を売る女性が史料のなかに認められたのは9世紀後半のこと。遊女と呼ばれる女性たちは、売春を専業としてはおらず、芸能や宿泊業なども自ら行う経営者でもあった。彼女たちは、自分の子に職業を継承し、同業者たちで職業的集団を形成していく。
しかし、江戸時代に入ると人身売買による売春が幕府に容認され、城下町の遊郭や、宿場町の飯盛旅籠屋などに拡大していったのだ。この過程において、遊女はものとして扱われるようになっていく。
展覧会では、高橋由一の代表作《美人(花魁)》のほか、絵のモデルとなった最高級の遊女・小稲が若い時に書いた手紙や、遊女たちの日記、彼女たちを買っていた男性像、遊廓を支えた金融ネットワークなど豊富な資料から遊廓を見つめ、売買春の変遷に迫っていく。
そして、最終章となる第7章では、近現代における女性の労働に焦点を当てる。ユネスコ「世界記憶」に指定された山本作兵衛の炭鉱記録画にも、炭鉱で夫とともに働き、一息つくことなく家事に明け暮れる女性の姿が実直な線で描かれている。
本展は読み解いていく資料が多く、美術館での展示とは若干形式が異なっているものの、非常に見どころの多い展覧会だ。本展を見て、ジェンダーというものがどのように変遷していったのかを知ることは、美術館や展覧会で美術作品を鑑賞したときに、描かれている人間のあり方、そして展示のされ方にも注意が及ぶようになるはずだ。鑑賞者の価値観を揺さぶる、貴重な展示をぜひ見ていただきたい。