黄金の作風で知られ、いまなお絶大な人気を誇るグスタフ・クリムト(1862〜1918)。その初期の自然主義的な作品から、分離派結成後の代表作、甘美な女性や風景画まで、日本では過去最多となる約25点以上の油彩画を紹介する展覧会「クリムト展 ウィーンと日本 1900」が上野の東京都美術館で開幕した。
東京では約30年ぶりとなる大規模展でもある本展。クリムト作品の世界的殿堂とも言えるウィーンのベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の所蔵作品を中心に、8章で構成される。
1862年、金工師の長男としてウィーン近くのバウムガルデンに生まれたクリムト。83年には、画家の知人と弟・エルンストとともに室内装飾を手がけるグループ「芸術家カンパニー」を設立し、92年にエルンストが亡くなるまで活動した。同年、エルンストのみならず父も亡くし、大きな打撃を受けたクリムト。ある友人によるとクリムトは、自分が父親のように若くして死ぬのではないか、そしてうつ病を患った母のように正気を失うのではないかと恐れていたという。第1章「クリムトとその家族」では、そうしたクリムトと家族の関係性を紐解く。
本章で注目したいのは、クリムトがその後見人を務めた、エルンストの娘を描いた《ヘレーネ・クリムトの肖像》(1898)だ。1897年の「ウィーン分離派」結成直後に描かれた本作は、クロード・モネをはじめとした印象派の影響が見られるとともに、従来的な肖像画の伝統である「横顔」が取り入れられている。見るものの印象を決定づけるはっきりとした輪郭線は、ドイツでは「木版画のよう」と表現されるという。
クリムトの学生時代や芸術家カンパニーの活動にフォーカスする2章、生涯独身であったクリムトと様々な女性との恋愛関係や、もっとも親しい関係を結んだとされるエミーリエとの関係をたどる3章。そして4章「ウィーンと日本 1900」では、ウィーンの人々が日本美術に触れた特筆すべき最初の機会であった1873年の「ウィーン万国博覧会」を発端とした、クリムトと日本美術のつながりを検証する。
クリムトを語るうえで欠かすことができないのが「ウィーン分離派」の活動だろう。1897年、進歩的な考えを持つ若い芸術家たちが、クリムトをリーダーとして、ウィーン分離派を設立。メンバーの中にはフランスで教育を受けた者が多く、国際的な前衛芸術の最新の動向をウィーンに浸透させたいと考えていた。
批評家のルードヴィヒ・ヘヴィジは1903年、「ありとあらゆるモダンな影響が、すなわり英国、ベルギー、日本、古代ギリシャの様式的、写実的、そして装飾的影響が、彼に押し寄せた」としてクリムトを評した。クリムトの様式の変化は保守的な批評家筋からは批判され、メディアでも激しい議論を呼び、なかには裁判所に押収、議会で取り上げられる作品もあったという。
《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》(1899)はそうした作品のひとつ。メッセージ性のある象徴画に分類される本作は、そのモダンさゆえに「醜い」と批判したという。なお本作は当初、人間に向かって鏡をつきつける「真実」を表す裸婦とそれに向き合う群衆を構想していたが、結局、正面を向いたひとりの裸婦像だけが描かれることになった。
本章では、クリムトが金を使った初の作品でもある代表作《ユディトⅠ》(1901)も紹介される。官能、装飾、造形など、すべてが盛り込まれ、「黄金様式」時代の幕開けを飾った本作でクリムトは、女性のセクシュアルな魅力の危険性を主張。旧約聖書外典の一場面を主題とする本作の綿密な描写からは、クリムトが非常に綿密な下調べを行い、芸術と歴史に精通していたこともうかがえる。
クリムトの代表作のなかでもとくに重要な作品のひとつが《ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製)》(1984)だろう。ベートーヴェンの交響曲第9番をテーマに、第14回ウィーン分離派展のために壁画として制作された本作には、強者、苦しむ人間、幸福を求める人々、精霊、天使などが描かれる。物語性に富む本作は、会場でぜひじっくりと堪能してほしい。
女性像などで知られるクリムトだが、心の安らぎを得るために多くの風景画を描いたことをこ存じだろうか。第6章の「風景画」では、望遠鏡を覗いた先の風景を描き、印象派を思わせる点描とフラットな画面が特徴の《アッター湖畔のカンマー城III》(1909/10)などを出品。「風景画にジュエリーのような装飾的な意味を持たせたい」というクリムトの意図を感じることができる。
クリムトの装飾的表現へのこだわり。それは、7章「肖像画」に登場する《オイゲニア・プリマフェージの肖像》(1913 / 14) も、東洋の美術品に由来する様々なかたちをしたモチーフで彩られた壁を背にした描写からもうかがうことができる。本作でクリムトは、色とりどりの花を用いながら、陶器、七宝の置物から着想を得たと思われる幸運と長寿を象徴をする鳳凰を描画。自身の作品を「コスモポリタン社会への貢献」ととらえていたというクリムト。そうした意志を強く伝えるハイブリットな一作だ。
展覧会開始前から大きな話題となっていた、ローマ国立近代美術館所蔵の大作《女の三世代》(1905)。今回日本初来日となる本作は最終章となる8章「生命の円環」で見ることができる。
縦横約170cmの本作は、壁画などを別にすればクリムト最大の絵画のひとつ。安らかに眠る幼子と、その子供を抱く若い裸体の女性、そして老醜を恥じるように顔を手で覆った年老いた女性。3人の背後は灰色と黒の平面で、死あるいは滅びの象徴的表現とも見ることができる。クリムトが深い関心を寄せた生命の円環をテーマに、人間の一生を幼年期、青年期、老年期の3段階に分けて寓意的に表した傑作だ。
生前、自身のことを多く語らず「私について何か知りたい人は、私の絵を注意深く見てほしい」と話したというクリムト。女性や生命に深い眼差しを向けた作品から、その人生を感じ取ってほしい。