個人の美意識から、社会に開かれた美術へ
春翠の美術収集は、邸宅を飾るためのものにとどまらなかった。欧米視察中に、シカゴの実業家マーシャル・フィールドによる美術館への寄付に感銘を受けた春翠は、帰国後、大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)の建設費や図書購入基金を寄付。さらに大阪に美術館を設立する構想を抱き、1909年から14年にかけては、文展や巽画会などの展覧会出品作を集中的に購入した。
この時期には、近代和風建築を飾る作品の収集と並行して、同時代の作家たちへの支援も進められた。春翠は洋画家・鹿子木孟郎のパリ留学費用を援助するなど、美術のパトロンとして活動。茶の湯や席画を通じて作家たちと親しく交流し、自らも書画を嗜んだ。展覧会では、尾竹竹坡の《九冠鳥》(1912)や、板谷波山の重要文化財《葆光彩磁珍果文花瓶》(1917)など、日本画から陶芸、漆芸まで幅広い作品を紹介する。

また、1919年に完成した大阪・茶臼山の本邸は、そのわずか2年後、美術館建設を条件に敷地が大阪市へ寄付されることとなった。大阪に美術館を設けることは、春翠の長年の願いだったという。

晩年には展覧会での作品購入が減少するいっぽう、春翠は信頼する作家たちとの交流を深めていった。表具師・井口邨僊を介して望月玉渓や上田耕甫らの作品を収集し、自らも作家とともに制作に親しんだ。会場では、春翠らが絵付けに参加した《白磁四君子画花瓶》(1917〜20年頃)や、山田秋坪の《柘榴花白鸚鵡図》(1920、後期展示)なども紹介される。
春翠がどのような作品に出会い、なぜそれらを収集したのか。没後100年の節目に、近代美術のコレクターであり、作家たちを支えたパトロンでもあった春翠の活動を振り返る機会となるだろう。
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