岸田劉生は1891年東京・銀座生まれ。1908年、白馬会葵橋洋画研究所へ入り、黒田清輝に師事。10年には文展にて入選を果たすなど、早くから才能を開花させた。
12年に高村光太郎や萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成して作品を多数発表したほか、15年に木村荘八や中川一政らと草土社を結成するなど、同時代の作家たちとも交流しながら精力的に活動。29年に38歳の若さで没するまで、様々な作品を描き出した。
西洋美術と東洋美術の相克へ挑んだ岸田。初期にはゴッホやセザンヌなどのポスト印象派風の表現で注目されるが、やがてデューラーやファン・エイクなど、北方ルネサンスに目を向け、時代に逆行するとの批判を浴びながらも他の追随を許さない神秘性をはらんだ写実表現を追究した。
なかでも、長女をモデルにした「麗子像」シリーズへの取り組みによって写実を超えた独自のスタイルを確立。20年代には中国の宋元画の写実性に新たな境地を見出したほか、肉筆浮世絵の収集や日本画への挑戦によって、画域を大きく拡げたことでも知られる。
そんな岸田の画業を振り返る「岸田劉生展 ―実在の神秘、その謎を追う」展が愛知県・豊橋市美術博物館で開催されている。
岸田の画業を「初期」「肖像画」「麗子像」「静物画」「風景画」「日本画・版画」といった主題ごとに切り取り、それぞれのテーマの深化と展開を追う本展。その生涯のなかで追い求めた「実在の神秘」とは何であったのかを、代表作を含む約90点から探る。