「失われた海の記憶」と「ディープタイム」
──本展のテーマとして「失われた海の記憶」という言葉が掲げられています。これはランスのクレイエールで出合った海洋生物化石からインスピレーションを得たものでしょうか。
その通りです。ランスのクレイエールで海洋生物の化石を見たとき、ここがかつて海だったという事実に改めて驚き、私の過去の記憶が呼び覚まされました。私はスイス生まれですが、ルーツのひとつが、ランスを含むシャンパーニュ地方にあります。子供のころ、祖母に連れられて、シャンパーニュ地方を覆う土壌の中から化石を探したことがありました。畑の真ん中でムール貝や軟体動物の化石が見つけるのはなぜ?と聞くと、祖母はこう教えてくれました。「昔はヨーロッパ全体が、海で満たされていたんだよ」と。6歳の少年には、これがどれほどの啓示であったか想像できるでしょう。
この思い出が「失われた海の記憶」という言葉につながっています。今回にかぎらず、私はいつも過去・現在・未来とさまざまな時間軸を持って作品をつくっていますが、そうした創作の原点になっているのは幼少期の記憶であると感じています。

──自身で掲げている「ディープタイム」という概念は、「失われた海の記憶」というテーマと響き合うものなのですか。
私が考えるディープタイムとは、この世界には様々な時間軸があり、時間の切り口によって多様な認識あるということです。地球が今日直面している問題は、人間が自分の視点、自分の時間軸からしか物事を考えられないところから生じているのではないでしょうか。人間の考え以外にもっと広く、時間を超えた切り口や見方があることを知って、人間の感覚を再調整し異なる見方が取り入れないかぎり、現在抱えている問題は解消しません。
アートこそがこれらのことをより深く理解し、新たな視点を得るための鍵を与えてくれるものだと、私は思っています。
── 創作活動を通して「人間と自然の関係性」を一貫して問うていると見受けられます。人間と自然のあるべき姿、理想の関係性とはどういうものだとお考えでしょうか。
「人間と自然の関係」という言い方をしているかぎり、そこにはまだ自然と人間の間に距離があると思います。私はそこを再考したい。「リレーションシップ(関係性)」ではなく、自然の内側に人間が存在している「ワンネス(一つであること)」という考え方でなければならないと思っています。これまでの常識をいったん忘れ、白紙から学び直し、私たちはどういうかたちで生かされているのかということに、真摯に眼を向けるべきです。
私のアートワークは、自然と人間のありようの様々な可能性を示すものでありたいと、いつも考えています。ただし、そこから何を受け取ってほしいのかを、私から発信することはありません。というのもアートとは、人々が自分の考えを打ち立てる場所だと思うからです。
アートは、それを観る人にある環境を提供します。その環境のなかで人は自由に歩き回り、ときに迷子になりながら、自分自身を見つけていく。そんなプラットフォームとなる作品を私は生み出したいのです。



















