「角野栄子の物語が生まれる暮らし」
──映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』をご覧になってみて、いかがでしたか?
少し照れ臭いです。出演しているから、「すごくいい」というと自分を褒めているみたいになってしまう。監督が素材を130パーセント良くしてくださったと思っています。
──本作における語りや、映画に先駆けて2023年11月にオープンした「魔法の文学館」で流れる音声から、角野さんの声に心が躍りつつも安心する不思議な魅力を感じました。
それを聞いて、ほっとしました。近頃自分の声がかすれてきたように感じていて。若い時にはもう少しいい声だったのよ(笑)。「いい声だね」と言ってもらえることもあったけれど、私は喘息があるからきっとお腹の底から声を出していなくて、日常はここら辺(胸の辺り)で喋っている。だからこの声になっているじゃないかしら。
──映画では、語りを宮崎あおいさん、音楽を藤倉大さんが担当されていますよね。
宮崎さんのナレーションはとてもピュアで、それでいて深く感じるし、どこか悲しい感じもして、作品に合っていたように思います。音楽にはあまり詳しくないけれど、若い友人たちはみんな「藤倉さんだったらいい」と言っていて。注意して聴いてみたら最初はセリフの向こうで「チャチャチャ」って音が流れていてそのうちそれが素敵な曲に感じられて、藤倉さんは美しい音楽をおつくりになる方だと思いました。
──劇中で印象的だったのが、角野さんが鎌倉の海で陶器の破片を拾って「物には昔がある」と話していたシーンです。角野さんに「昔」とはどういうものでしょうか。
昔というのは、私がまだ生きてなかった頃ですね。自分の目で見たものはあまり昔ではないけれど、見ていない世界からやってきたものは昔。戦争は自分の目で見ているから現実になるけれど、陶器のかけらは川で洗濯をしたり芝刈りをしているおじいさんとおばあさんが使っていたお茶碗かもしれないでしょ。割れてしまって捨てられたのが、引き潮や満ち潮に遭って、川に持ち上げられたり海の方に行ってまた川に戻ってきたりしたんじゃないかな。ちょうど回遊魚みたいにね。思い込みが強くていろんなものを読み取るから、破片を見るとちょっと遠い昔の、使った人のぬくもりとかテイストが感じられます。
徹底された圧倒的ないちご色になるまで
──本作のタイトルは『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』ということですが、「魔法の文学館」でもいちご色が印象的でした。角野さんにとっての色彩についてお聞かせください。
色には、昔からすごく関心がありました。大学に入った頃から書籍やポスターのデザイナーになりたくて、外国の雑誌を見ては「こんな綺麗なレイアウトをやってみたい」と思っていたんです。
「魔法の文学館」については、最初の会議で内装の話になった際に「コリコの街のような文学館にしたい」と唐突に言って、色も「私の部屋のようないちご色がいい」と簡単に言ってしまったんですね。最初は誰もイメージできなかったと思いますが、私の娘がデザインをやっているので絵を描いてくれて、次の会議で「母が言っていることはこういうことじゃないかと思います」とイメージを共有してくれた。私はただ「街を圧倒的ないちご色にしたい」と言って、そこからはあまり口を出さないようにしました。最初の一言から、私以上に色に関心のある娘や内装の会社の方たちが進めてくれて、街のかたちなども面白くしてくれて、あの空間になっているんです。
──「魔法の文学館」の内装デザインを担当された娘のくぼしま りおさんとは、映画でも共演されていますよね。
近くにいますから、映画には必然的に映ったという感じです。娘は的確で、買い物に一緒に行くと楽しいんですよ。私はこっちにしようか、あっちにしようかと迷うけれど、彼女は迷わない。「魔法の文学館」についても私が内装を担当していたら、あそこまで徹底したいちご色にはならなかったと思います。彼女に任せてよかったと思っています。
『魔女の宅急便』の物語が動きだす
──『魔女の宅急便』における魔女は、様々な境界を越える存在だというお話も興味深かったです。「魔法の文学館」のオープニング展示企画でも、魔女にフィーチャーされていましたよね。
『魔女の宅急便』を書き始めたきっかけは、娘が12歳の時に描いた空を飛ぶ魔女の絵でした。私、飛行機がランディングするときの風景が好きなんですよ。あの風景は人間が見ることのできない、鳥の目線ですよね。大学1年生くらいのとき、「ライフ」誌に載っていたニューヨークの風景の写真を見て、そこにはエンパイアステートビルが写っていたわけではないけど、普通のビルの階段なんかがとても綺麗で印象的でした。
その頃からずっと、「鳥の目から見た風景には物語があるな」という思いが頭にあったから、娘が描いた魔女の絵を見たときに、「このような魔女の女の子を書けば私も飛べる」って思ったわけ。一緒に飛ばなきゃ書けない、そうでしょう?箒に私も乗せてもらって、いろんなことが起きたら面白いって思ったんです。娘は当時12歳だったから、魔女も12歳くらい。キキという名前が決まって、ジジという猫がいて、飛べるから違う街に行く話にしようと思ったときに物語は始まっちゃったの。だから、魔女がどういう存在かということはあまり考えていなかったのね。
でも一度書いてみたら反響があって、4年経ったら映画になった。私は魔女の専門家のように思われて、お手紙で「これはどうなんでしょう」ってたくさん届くんだけれど、「あれ、知らないわ」となって、それから魔女の取材のためにルーマニアを旅したりドイツお祭りに行ったり。全然違うこと書いてリアリティがなかったんじゃないかと、ドキドキしながら調べました。
魔女はもともと「城壁の上にいる人」という意味があるんです。昔は城壁の内側は明るくて、外側は真っ暗になってしまうんだけれど、その境の壁の上にいる人。魔女は何も見えない暗闇の世界から何かを感じ取って見える世界に運んだ存在なんです。それを知って、自分の書いていたことが間違ってなくて、むしろすごくぴったりあっていたのがわかって安心しました。
越境、想像、冒険
──魔女の研究や、作家になるより前にブラジルに行かれたことなど、角野さんご自身も国境という境界を軽々と超えていますよね。
いまでは「よく行きましたね」と言われることが多いけれど、私の時代の若者はみんな海外に行きたかったんですよ。国境を越えられない高い壁のように感じさせていた戦争が終わって、自由な教育を受けて、欧米の音楽を聞くようになって、みんな外国にすごく関心があったのね。
ブラジルで2年間暮らした経験は、私にとって国境っていうものを低く、もしくは取り払ってくれました。言葉そのものは分からないんだけど、音のリズムがあって、そこに人の表情や動きがあると案外伝わってくる。相手が話している言語のすべてを理解できなくても、心の動きでつながって関係性ができていくことがとても大事だと実感したんです。
──デビュー作『ルイジンニョ少年』はノンフィクション、代表作の『魔女の宅急便』はフィクション、そして実体験から生まれたファンタジーとしての『トンネルの森』などの作品がありますが、虚構の度合いによって物語の構築に違いはあるのか関心があります。
どんな形式でも、いわゆるファンタジーによく見られる光と闇や正義と悪のような、二項対立があってそこに戦いがあるような物語は書きたくないんです。『トンネルの森』では戦争を書いたけれど、ファンタジックなところがあって、戦いそのものより、戦時を生きてる日本人の気持ちを書いた作品だから。日常の暮らしのなかにも気づくと不思議っていっぱいあって、私はそういうものを書いてきたつもりです。キキも魔法を使うことができるけれど、ひとつだけでしょう。だから、工夫したりイマジネーションが必要になってくる。魔法がなんでもやってくれるというのは面白くないと思います。
──これから映画をご覧になる方にメッセージがあればお願いします。
私は物事をことさら強調して書こうとは思わない。ああしなさいこうしなさいということは言いたくないんです。ただ、自分の言葉で面白い物語を書きたい。こちらが楽しい気持ちで書けば、読む人に伝わると思います。隣の人と同じような考えを持つのは楽だけど、やっぱり自分の言葉をもって、自分らしい表現で生きていって欲しいと思います。自分の言葉をもつこと、それには本を読んでほしいわね。今回の映画でも私の言葉がたくさん出てくるけれど、やっぱり体のなかにある言葉で表現することね。そして好奇心をもって冒険してほしいです。