尾崎真理子『ひみつの王国−評伝 石井桃子』 雲の向こう側とこちら側 ミヤギフトシ
子供のころ、きっと彼女の翻訳で読んだ絵本がいくつかあったはずだけれど、石井桃子という女性の人生やその仕事に強く惹かれ始めたのは、尾崎真理子による評伝『ひみつの王国』(新潮社、2014年)を読んでからだった。101年にも及ぶ人生。戦前の華やかな時代、戦時中、戦後、そして2000年代。激動の、という言葉しか思いつかない時代に東京で(一時期は宮城で)生きた彼女に、僕は強い興味を抱いた。
文藝春秋社を創設した作家の菊池寛のもとでアルバイトを始め、1930年、23歳のころに正式に入社。編集部勤務となる。総理大臣も務めた犬養毅邸に出入りするようになり、そこで西園寺公一から英語版『プー横町に建った家』を送られ、さっそく和訳し、五・一五事件で暗殺により祖父を亡くした犬養家の子供たちのために読み聞かせた。
そしてプーの和訳はまた、文藝春秋社の同僚である小里文子のためでもあった。小里文子は、作家と浮名を流すなど自由奔放で派手な生活を送っていたものの結核にかかってしまい、荻窪の一軒家で療養生活を送っていた。性格としては正反対とも言える彼女と親友だった石井は、頻繁に小里を訪ね、プーさんの物語を話して聞かせたという。女性は結婚することが当然だった時代。大学を出て編集者として働いていた独身の石井は、同じような境遇だった小里に強く共感し、親密な関係性を築いた。その関係を、石井は晩年『幻の朱い実』(岩波書店、1994年)に小説として残している。文藝春秋社を退職した石井は、その後、新潮社の日本少国民文庫に関わるなど、児童文学の編集や翻訳を手がけるようになる。
スキー愛好家の集まるサークル「シー・ヨードラーの会」に参加し始めた石井は、そこで進藤四朗という年下の男性と出会い、恋をする。しかし、第二次世界大戦が勃発、繊細な進藤も兵役のため陸軍気象部に配属されて、兵舎での生活を余儀なくされる。進藤を慰めるため、石井は物語を手紙にしたため、彼に送り始める。手紙という形式で連なるその物語は、終戦直後の45年に出版されることになる『ノンちゃん雲に乗る』だった。手紙が届くたびに、それは進藤を慰め、そしてシー・ヨードラーの仲間たちにも回覧され、彼らの救いとなっていた。
手紙で物語を語る手法にインスピレーションを得て、僕は《南方からの17通の手紙》(2015)を制作した。沖縄から連続して送られる手紙の上で物語を展開し、それを展示会場で多くのひとびとが手に取り、物語が浸透してゆく。作品は2015年のVOCA展、そして11月の日産アートアワード展で展示された。もちろん、僕の手紙は戦場に届くわけでもなく、宛先の人物はフィクショナルであり、手紙を閲覧するひとびとは不特定多数の他人だった。それでも、沖縄という場所から語られる「雨だれ」についての物語が、ひとびとに伝搬してゆくさまは、とても刺激的だった。僕の中でも物語は広がり続け、最終的に《ロマン派の音楽》(2016)という映像作品につながっていった。
尾崎は『ひみつの王国』の中で、石井が『ノンちゃん雲に乗る』執筆にあたりヒントとしたかもしれないという作家をふたりあげている。ひとりは、第一次大戦中、戦場からイギリスにいる子供たちに向けて手紙というかたちで「ドリトル先生」の物語を送ったヒュー・ジョン・ロフティング。もうひとりが、イギリスの児童文学者であるエリナー・ファージョンだ。ファージョンの詩を読んで、「どんなになぐさめられているか」という手紙をある兵士が彼女に送る。ファージョンと彼は文通を始めて、そして、彼女もまた彼に手紙というかたちで物語を相手に送り始める。第一次大戦中のこと、兵士はイギリス要塞砲兵兼航空隊気球中隊に属し、前線で塹壕生活を送っていた。物語は、『リンゴ畑のマーティン・ピピン』としてのちに出版され、和訳を石井が手がけることになる。
尾崎はまた、『ノンちゃん雲に乗る』と『リンゴ畑のマーティン・ピピン』の構造的な類似に加えて、「光、あわ、雲、夢」という共通するモチーフについても言及している。石井桃子訳による『リンゴ畑...』(岩波書店、1972年)には、下記のような一節がある。
うかぶよ、うかぶよ、そこにうかぶのは何? 天使の息より生まれるあわのごとくに、 たそがれの空をいとかろやかにとぶ雲か。 いな、これは、リンゴ樹の根もとに 吹きよせられた花の環と見まがう、 紅と白のおとめよ。 ああ、これは夢か、さめゆく夢か、 雪ひらのきえゆくごとく、 花に似て赤く。 うかぶよ、うかぶよ、そこにうかぶのは何? エリナー・ファージョン(石井桃子訳)『リンゴ畑のマーティン・ピピン』より
月 六月 そして観覧車が巡る 目まぐるしく踊るような感覚 すべてのおとぎ話は真実に変わる それが愛だと思っていた でもいつの間にかにショーは変わる みなに笑われながら あなたは去る 傷ついても 悟られてはだめ さらけ出す必要なんてない (中略) 涙を流し 怯え 時には誇りに思い 大きな声で「愛してる」と言い 夢や計画 そしてサーカスの群衆 それが人生だと思っていた いまや旧友たちは 奇妙な態度 首を横に振り そして言った 私は変わってしまったと 失ったものもあるけど 得たものだってある 毎日を生きるなかで ジョニ・ミッチェル(筆者訳)「Both Sides Now」(『Clouds』、1969年)よりhttp://fmiyagi.com