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カオス*ラウンジからキャラクターまで、ひとりの画家が求める「ポップ」の本当。
藤城嘘インタビュー【3/3ページ】

「生真面目な美術」に疲れている

——2017年の藤城さんの個展「ダストポップ」(ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ)のステートメントで、「私は“生真面目な美術”に疲れています。美術という自由なメディアの中で奇抜な冒険に出かける人が減ってきているように思われます」と書いています。いまの、あるいはこれからのアートシーンに対する藤城さんの率直な意見をお聞かせください。

 まず、日本は高齢化社会で若い人がこれからもどんどん減っていき、絵画というメディアに興味を持ってもらえなくなるのでないかと勝手に思っています。ましてや現代美術の世界は日本ではとても狭いので、そこに若い人に気軽に入ってきてもらうには、「生真面目な芸術」というよりも、人々が引き込まれる画づくりをしなくてはいけないと考えています。展示である以上は人を惹きつけるアトラクションのような仕掛けがあったほうがいい。そうしたときに、やっぱりキーワードはポップ・アートなのではないかと最近思うようになりました。ポップ・アートは、ラジオやテレビなどのメディアが十分に浸透していた1950〜60年代に「それでも絵画をやっている」という意志を示していた。実際のところ現代でもあまり状況は変わっておらず、いろんなメディアを相対化するという意味での、メディアとしての絵画という観点で、まだ必要とされている。そこには実験の余地が残っていると感じます。

藤城噓

——ポップ・アートのアーティストで、具体的に大きな影響を受けたアーティストや人物はいますか?

 もちろんアンディ・ウォーホールやロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズのような、ずばりポップ・アートというアーティストにも強く影響を受けましたし、キース・ヘリングのような作風も大好きです。ですが、私がいま関心があるのは、シグマー・ポルケのような主流から外れた手つきのペインターや、ミッシェル・マジュリュスのような21世紀の情報社会を見据えていたドイツのアーティストですね。ドイツのポップ・アートのあり方は少し日本と似ている気がしていて。また、日本のオタク文化と現代の思想的課題を繋げた東浩紀さんや、ともにカオス*ラウンジを運営している黒瀬陽平さんには大きな影響を受けました。制作だけを一心に取り組んでいると批評や言葉に出会う機会が少ないですし、黒瀬さんの話がきっかけに、過去の美術批評家や作家の著作に触れるようになりました。

——東さんや黒瀬さんの言葉や著作に触れることでどのような変化がありましたか?

 美術が担う役割について真摯に考え、責任を持って美術の仕事をしないと、と思うようになりました。大学生の頃は、社会に役に立つものをリアルタイムに研究している人がいるのに、「自分はどうなんだ」と社会に恐縮する感覚が強かった。いまもその感覚はあるのですが、美術の即効性のなさ、無力さを考え、引き受けながらもそこから何かをしようと思うようになりました。

カオス*ラウンジは劇団的

——それでは、2014年から現在までのお話に移ります。現在の藤城さんの関心はどこにありますか?

 東北や、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに訪れた瀬戸内で、「境界領域」に関心を持つようになりました。近代以降を生きる自分たちは何事にも線を引き、分けて考えてしまうことが多いとは思うんですけど、1か0ではない領域に豊かさがあるんじゃないかと思っています。

藤城嘘 いわき勇魚取りグラフィティ 2016

——そうした経験や思考は、藤城さんの作品にどのようなフィードバックがあるのでしょうか?

 芸術祭や企画ごとに現地に合わせたプロジェクトを行ってきて、つねに重複的にいろんなテーマを絡めながら制作しているので、一括りにして断定するのは難しいです。ただ、クジラを描いた《いわき勇魚取りグラフィティ》(2016)は、福島県いわき市の小名浜で聞いた、捕鯨の絵巻から着想を得たので、ダイレクトな影響によるものだと言えます。地元の人も知らなかったそうなのですが、小名浜などのいわきの海沿いでは、昔捕鯨が行われていたそうなんです。そのエピソードをきっかけにクジラを調べるうちに、肉は食料になり、脂は燃料として使われるというクジラの「エネルギーの象徴」としてのあり方が面白く感じました。そういう意味では、《いわき勇魚取りグラフィティ》と、太陽をモチーフとした《とある人類の超風景-DAY-》(2012-13)は、「エネルギー」という観点からテーマがつながっています。そのいっぽうでは、クジラをキャラクター化して描いている意識もあるので、やはり自分のなかの要素と経験が線と点で錯綜的につながっているイメージです。

——カオス*ラウンジの活動と藤城さん個人の作品は分かち難い関係にあると思うのですが、カオス*ラウンジでの作品制作はどのように進めているのでしょうか? また藤城さん個人の制作とは異なる方法なのでしょうか。

 カオス*ラウンジでは最初に展示コンセプトやテーマがあり、みんなで取材をしたり本を読み合ったりするなかで自然と役割が決まり、各アーティストが役割にそった作品を自然に制作しています。展示のつくり方が劇団的・演劇的ですね。私は、ペインターとしての役割を意識しながら訪れた場所に残っていた古いイメージに直接的に接続したアイディアを出すことが多いです。

——例えばこれまでにどんな作品を制作したのでしょうか?

 「Reborn Art Festival2017」では、石巻の映画館が会場になっていたので、館内で見つけた昔のポスターの上にペインティングをしました。瀬戸内国際芸術祭でも、島の地図をモチーフとした作品を発表しました。カオス*ラウンジが行う展示では、私は全体を包括するような目線でも動いているので、全体の見取り図や展示空間内での関係性を意識した、地図のようなメタ的な絵を描くことが多いです。

絵画にはまだ可能性がある

——ギャラリーαMのステートメントで藤城さんは「絵画は最新のメディアからかけ離れているがゆえに、視覚モードの変化や記録メディアの進化に対し、常に批判し続けることができる」とも書いています。このあたりに藤城さんの絵画論のようなものが凝縮されているように思うのですが、このテキストを書くに至った経緯や真意をご説明いただけますか?

 この言葉の半分くらいはハル・フォスターの著書『第一ポップ時代』に影響を受けています。どうしても私の大きな関心のひとつにポップ・アートがあり、先ほども挙げたシグマー・ポルケの作品には現代にも応用できそうな可能性を感じるんです。マテリアルの変質など化学反応的な効果を扱いながらも、挿絵のようなイラストレーションや新聞の印刷の網点をモチーフに使用したりもしている。自然科学とポップ・アートが融合して表現されているので可能性を感じますし、私の問題意識を解消してくれるヒントがそこにありそうだと考えています。いまの社会にはVRやAIを含めいろんなテクノロジーがあるけれど、そこだけの表現だと袋小路になってしまうように見えるんです。対して、絵画上の実験にはまだ可能性と手段は残っている気もするんですよ。いまはまだあんまり具体的なことは言えないんですけど。

藤城嘘 オルガナイズ / ORGANEYES 2018

——ポップ・アートはキャラクターと等しく藤城さんの作品を貫くひとつのキーワードだということが、今日のインタビューでよくわかりました。

 最後にもう一度キャラクターの話をするならば、日本ではいまなおマンガやアニメといったポップカルチャーの力が強く、美術や芸術には目もくれないという状況がある。むろん、大衆との親和性はポップカルチャーのほうが高いのですが、ポップカルチャーと美術がある程度手を結ばないことには、両者が行き詰まってしまうと思っています。私は現代美術が好きですが、日本で現代美術を理解してもらうのはやはりハードルが高い。そこで、キャラクターの表象を通じて、オタクカルチャーやネットカルチャーにちょっとずつ現代美術的な発想や思想をしのばせていきたい。現状、美術とネット文化はまだ距離を縮めるにはハードルがたくさんあります。

——その距離はなぜできているのでしょうか?

 例えば、美術はいまだ「一点物の文化」というか、モノに宿る何かに価値を置く側面があります。アニメやマンガは真逆で、複製したものが完成された商品として流通する「複製の文化」なので、完成された複製品やイメージ自体を加工されることを嫌う傾向があるんですね。原画の転売を防ぐため、アニメーターは原画を全部シュレッダーにかけて捨てたりするという話もあるくらいで、保管場所の問題もあるにしろ、直筆画や原画に対しての距離感が美術と大きく違う。それはそれで棲み分けがあっていいのですが、アニメやマンガをはじめとした商業世界が、長期的な思想を持って表現する美術に無関心では困るし、美術界がアニメやマンガを商業的で大衆的だと決めつけて、即座に距離を取ってしまうのも困りものです。私はキャラクターという記号を借りて、イメージ上で両者に関心を持ってもらいたいと思っているんです。

——これまでのお話を聞いていると、アニメ、ネットカルチャーへの親しみと同時に、美術に対する使命感のようなものが感じられます。

 私自身がポップ・アートや近代以降のアートが好きで、そこから多くの知的興奮を得てきたので、それを受け継いでいきたいと考えています。先人の偉業を見るにつけ、「責任を持ってこの偉業を受け継ぎ、アップデートして線を結んでいかないと」と、おこがましくも使命感のようなものを抱いてしまう。ただ、それだけだと「美術のなかの美術」に閉じ込もってしまう。ジャンルレスに境界を行き来して、いろんな線を引っ張ってきてクロスさせるような状況を、これからつくっていきたいですね。

編集部

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