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カオス*ラウンジからキャラクターまで、ひとりの画家が求める「ポップ」の本当。
藤城嘘インタビュー

インターネットカルチャーをバックグラウンドに、多種多様な「キャラクター」をモチーフとしたドローイングや絵画作品を制作してきた藤城噓。近年は都市文化や自然科学から着想を得た作品も手がけるなど、新たな試みを展開し続けている。いっぽう、大学在学中の2009年に、美術を通して社会実験を行う「カオス*ラウンジ」のメンバーとしても精力的に活動してきた藤城。ギャラリーαMで展示を行った作家にこれまでの軌跡と美術館、共同体と個人の活動の関係性について話を聞いた。

藤城噓 撮影=佐藤麻優子

現代美術と出会った高校時代がはじまり

——藤城さんは、大学時代にカオス*ラウンジの前身となるポストポッパーズのメンバーとしてスタートし、それから現在まで、グループとしての活動と個人としての作品発表を並行して行っています。今日は、それらの活動の関係性と藤城さんの美術への考えを広くお聞きしたいと思います。まず、藤城さんはどんな幼少期を過ごされていたのでしょうか?

 記憶する限りでは5歳くらいから、人並みにお絵描きは好きでした。幼少期は長期入院をしていて、外で遊ぶよりも室内で手を動かすことのほうが多かったです。

——美術を意識しはじめたのはいつ頃ですか?

 高校時代、美術予備校に通うようになってからです。高校1年生の頃に自然な流れで美大を目指して夏期講習に行って、2年生の頃から本格的に予備校に通うようになりました。ただ、それと並行して自然科学や環境問題にも興味があって、いまも趣味レベルでは微生物や植物、鉱物などにも関心があるので、もし美術系に進んでいなかったら農大とかを目指していたかもしれませんね。

2007年、高校2年生の藤城嘘。マンガ雑誌を土に埋める作品を制作中

——「自然な流れで美大を目指した」ということですが、美術が身近にあるような環境だったのでしょうか?

 そういうわけではないです。ただ、母方の祖父が骨董商を営んでいたので、クリスティーズやサザビーズのオークションカタログを自宅に送ってもらっていたんです。現代美術のフィールドではどんな絵画がどのくらいの価格で売られているか、誌面を見ながら自然に学んでいた気もします。

——予備校での思い出はありますか?

 予備校の先生は会田誠さんや村上隆さんと同じ年代ということもあってか、会田さんのドキュメンタリーを講義で上映したり、当時開催していた大竹伸朗さんの「全景」展(東京都現代美術館、2006)を「全員見てきなさい」と言うような人でした。予備校の講義を通して、「いま生きているアーティストがいま考えていること」をダイレクトにアウトプットするということに興味を持ちました。

——予備校の授業を通して現代美術に関心を持ったんですね。

 はい。現代美術のグループ展に行くと、いろんなアーティストが自分のメディアで異種格闘技戦をしているような様子に興奮しました。その影響で、様々な作風が一堂に集まるような展示を自分でも企画していました。

——高校時代にはどのような展示をしていたんですか?

 いまとあまり変わっていないような気がするのですが、予備校の友だちと高校の同級生が描いた落書をかき集めてきて壁にバーッと貼るような「ラクガキ展」を企画しました。ちょっとしたドローイングでも十分に作品足りうると気づいたのは現代美術を知ってからだったので、「素人の落書きをかき集めても展示になる」みたいなことが言いたかったんだと思います。あと、自分はコンピレーションアルバムや自分だけのカタログのようなものをつくるのが好きな性格なんです。

藤城嘘が高校の学園祭で企画した「ラクガキ」展会場(2007)

——当時からキュレーションをしていたんですね。藤城さん自身はどのような作品を制作していたのでしょうか?

 当時の自分の作品を見ると、大竹伸朗さんとMr.さんと山口晃さんの作品が混ざっているような作風で、彼らに強く影響を受けたことがわかりますね。東京藝術大学が主催する「取手アートパス」の企画したアンデパンダン展に出品したり、高校3年生のときには、学園祭で自主的に個展をしたこともありました。

——学内のリアクションはどのようなものでしたか?

 周囲は「意味がわからない」といったリアクションでした。通っていた高校は、勉強に力を入れている一般的な私立の進学校だったのですが、自習時間には私だけ図書館で図録を読んだり、美術室で絵を描いたりし、すごく浮いた存在だった気がします。

キャラクターの造形が持つ可能性

——予備校と高校以外に、インターネットでの活動はいかがでしょうか? pixivがスタートしたのが2007年ということで、藤城さんの高校時代はインターネット上でSNSが台頭しはじめた時期とも重複しますね。

 はい。インターネットには同世代のイラストレーターやクリエイターがたくさんいて、彼らとも交流がありました。ただ、私の理想としては現代美術とオタク・ネットカルチャー、双方の人たちと交流ができる状況がつくれないかと思っていました。例えば当時、美大の卒業制作展に行ったとき、オタクカルチャーやネットカルチャーを作品化している人はいても、その題材はガンダムとかエヴァンゲリオン。私のリアルタイムではないし、当時放映されていたものでもないし、時間が止まってしまっているように見えたんです。

——それでは、この頃から現代美術とオタクカルチャーの融合を意識していたんですね。当時の藤城さんの作品にはすでにアニメのモチーフや、いわゆる「萌え絵」のキャラクターが見られます。

 そうですね。現代美術の世界に入っていくときに、自分がするべき表現の必然性について考えていくと、私がずっと享受してきた表象であるキャラクターを使う必要性があると思いました。キャラクターの特殊な造形にはまだ可能性があるとも考えていたんです。

——その「可能性」というのは具体的にどんなことですか?

 ネット文化のなかでのイラストレーターがやっていることと、現代美術の絵画のなかで実践されていることは分離していて、その2つの要素を使うことで、ハイブリッドで面白いことができるんじゃないかなということを考えていました。「リアルタイムのアニメの造形はなぜ絵画に反映されないんだろう?」とずっと思っていたので、人の交流的な意味でも、作品制作という側面からも、両者のアイディアが混じり合うところに可能性がありそうだ、と。

藤城嘘 無題 2008

——当時は、例えばどんなアニメがリアルタイムでしたか?

 2007年頃だと『涼宮ハルヒの憂鬱』や、そのあとの『らき☆すた』など、京都アニメーションの作品。そしてシャフトの『ひだまりスケッチ』や『ぱにぽにだっしゅ!』などが印象深かったです。キャラクターたちの造形のデフォルメ感が独特に感じられて、その造形にさらに作品の演出として色々な効果が加えられていて、この感覚をリアルタイムに絵画にしたいと思っていました。PixivやTwitter、YouTubeが登場したのが2006〜07年。そのあとはニコニコ動画も人気が出て、SNSがどんどん盛り上がっていく最初の頃だった。リアルタイム性が強い時代の美術を考えていました。

——デフォルメされたアニメキャラクターの造形にどのような魅力を感じていたのでしょうか?

 自然科学が好きな理由でもあるのですが、自分はもともと植物の有機的でシンプルなフォルムが好きで、キャラクターの造形にもそれに近いものを感じています。例えば植物の種子は一見すると無機質で生き物ではないようだけれど、生命力が感じられる。「生きている」と「死んでいる」のあいだにいるような感じがするのは、キャラクターにも似ている点なんじゃないかと。

編集部

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