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INSIGHT - 2017.6.15

ひとりの脱北女性のドキュメンタリー。映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』

思いがけず脱北者となり、生活のために脱北を手引きする「脱北ブローカー」になると同時に、自らも韓国への危険な旅に出る北朝鮮女性B(べー)。平凡な幸せを望み、女性として、母としての葛藤を抱えながら過酷な日々を生き抜くひとりの中年女性の姿に、釜山出身の監督ユン・ジェホが密着。

文=古川美佳(韓国美術・文化研究)
映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』より © Zorba Production, Su:m

国家の狭間に潜む夢と絶望、分断された身体

 暗闇の中、終わりの見えない闇の道を誰かが移動している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から逃れ、死を覚悟で国境を越える脱北者たち。北朝鮮の女性マダム・ベーも家族のために出稼ぎを目論んで中朝の境界・鴨緑江(おうりょくこう)を渡ったが、中国にたどり着くやだまされ、貧しい農村に嫁として売り飛ばされた。それでも、身に降りかかった運命として中国人の夫と義父母との新たな生活をたくましく受け入れていく。そして中国人一家を支えるいっぽうで、北朝鮮に残した家族をも養うために、自らが脱北ブローカーにまでなる。いまよりわずかでもより良く、幸せに、生き延びるために。

 マダム・ベーはやがて、将来を案じて北朝鮮の息子たちを韓国へ脱北させ、今度は自らも韓国へ向かうことを決意する。中国からラオス、タイを経て、命からがらたどり着いた念願の地・韓国。だがそこは、脱北者にとっては南北分断の非情な現実が日々突き付けられる、苦く辛い社会だった。ともに暮らせて幸せだったはずの北朝鮮の家族とは気持ちがすれ違い、逆に憎んでいたはずの離れて暮らす中国人の夫への思いが募るという彼女の心情はまさに、朝鮮半島の分断そのものだ。

映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』より © Zorba Production, Su:m

 フランスと韓国を往来し映画を製作する気鋭のユン・ジェホ監督は、この女性の実話を通して、立ちふさがる世界史の矛盾と国家の不条理を無意識の領域から溶解させようと試みたのかもしれない。そのユン監督の透徹した視線による映像は、民族分断を強いられた人々の切断された心象風景のようであり、生々しく繊細だ。それはまた、監督自らのアイデンティティに対するアイロニカルな問いかけともいえよう。

 絶望の淵から微かな夢を追う脱北者の存在は、分断の狭間に潜む声なき声と痛みを可視化し、私たちの日常をも揺さぶる。

 2016年のカンヌ国際映画祭監督週間でも上映されたこの映画は、優れて今日的であり、近代史を共有する東アジアの私たちにとっても無関係ではない。だからこそ、ぜひ観ておきたい。

 (『美術手帖』2017年6月号「INFORMATION」より)

information

映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』

公開:6月10日よりシアター・イメージフォーラムほかにて、全国順次公開。
監督:ユン・ジェホ
配給:33 BLOCKS
 
中国の貧しい農村に売り飛ばされ、そこでの暮らしを受け入れるマダム・ベー。中国の家族と、北朝鮮に残してきた息子たちの暮らしを支えるため脱北ブローカーとなり、自らも過酷な旅へと出る――。監督は、フランスと韓国を拠点に活躍する、釜山出身の新鋭ユン・ジェホ。本作でマダム・べーに密着するなか、自らもバンコクで不法入国のために強制送還された。本作は、2016年「モスクワ国際映画祭」最優秀ドキュメンタリー映画賞、「チューリッヒ国際映画祭」最優秀ドキュメンタリー映画賞ほか多数受賞。同年「カンヌ国際映画祭」ACID部門正式出品。6月10日よりシアター・イメージフォーラムほかにて、全国順次公開。配給=33 BLOCKS。72分。

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