神奈川県・箱根のポーラ美術館と、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリー(以下NGA)、そしてカナダのアートギャラリー・オブ・オンタリオ(以下AGO)が共同調査を行い、ポーラ美術館所蔵が所蔵するパブロ・ピカソの「青の時代」を代表する作品《海辺の母子像》(1902)に関する新事実を発見した。それは同作品の下層部に「新聞紙」が貼付されていたというもの。これは、若き日のピカソがどこで、どのような試行錯誤をしながら制作をしていたのかを探る手がかりになるという。
ピカソの「青の時代」とは、青を貴重とした作品を制作した1901〜04年のこと。親友の死がきっかけになったこともあり、その画面からは寂しさや静けさ、ときには荘厳さすら感じさせる作品を制作していた時代だ。《海辺の母子像》はピカソが20歳のときに制作した作品で、97年と2005年にも調査が行われてきた。作品が売れず貧しかった頃のピカソは一度描いたキャンバスを再利用することが多く、本作もそのような作品のひとつだということが発覚しており、下層部には女性像が描かれていたことがこれまでに確認されていた。
05年の透過X線調査により発見された《海辺の母子像》の下層部の、より明確な画像を得るために計画されたのが今回の調査だ。AGOとアメリカのフィリップス・コレクションで計画されている「青の時代」の展覧会(20〜21年開催予定)に先駆けて、AGOによる「青の時代」作品調査の一貫として行われた。
これまで主流だった赤外線調査やX線調査よりも精緻な情報を得ることができる「ハイパースペクトル・イメージング・スキャナー」という、対象物の成分に関する情報を非破壊・非接触で得ることができる最新技術が用いられた本調査。火星探査にも使用されているというこの技術に10年取り組んでいるというNGAのジョン・デラニー博士をはじめ、ポーラ美術館やAGO、ノースウェスタン大学・シカゴ美術館美術品学術研究センターも参加したほか、東京文化財研究所もオブザーバーとして参加したという。
この調査により、《海辺の母子像》の下層部に新聞紙が反転した状態で貼付されているのが確認された。この新聞紙はフランスの日刊紙『ル・ジュルナル』の1902年1月18日付けということが判明。本作品の制作時期から見当をつけ、フランス国立図書館(BnF)のオンラインサービス「ガリカ」で新聞紙を探したところすぐに見つけることができたという。
また、過去の調査からすでに判明していた下層部に描かれている女性像については、より鮮明な画像を取得することができたことも発表された。スプーンが入ったグラスや女性が座る椅子の一部などが確認できる。
本調査により、ピカソが本作を制作した日にちが貼付された新聞紙の日付よりもあとだということが発覚した。この日付はパリからバルセロナにピカソが移住した時期と重なることから、ピカソの足跡を探る大きな手がかりになるという。また、本作の下層部はのちにコラージュ作品を制作するピカソの試作ととらえることも可能になり、ピカソの作品制作の変遷を見ることもできるなど、ピカソ研究に大きく貢献できる調査であると考えられる。
ポーラ美術館館長の木島俊介は、下層部に新聞紙の画像が出てきた理由について「最初は、パリからバルセロナに(油彩画の画面どうしをあわせて)運んだときに画面が擦れることを嫌がって新聞紙を挟んだんじゃないかと思ったんです。(絵具が乾いていない厚塗りの部分に)そのままくっついてしまったのではとないかと」と述べながら、ほかの理由として「もしかすると、トレーシングペーパーではないですけれども、新しい図像を古いカンヴァスに写すために、新聞紙の上にデッサンを描いてそれを貼り付けた。この方法も考えられるのではないか。いずれにせよ、ほとんどやらないことですよね」とコメント。
調査に参加した同館学芸課長の今井敬子は「(これまでの調査で)新聞紙があるような気配は一切なかったので、大変驚きました」と発見時の感想を述べ、発見の意義について「青の時代のピカソのスタイルの変遷、制作の変遷、そして足跡の変遷に関わるものなので、美術史やピカソ研究においても重要なことであるのではと考えています。なるべく早いうちにみなさまと共有し、一緒に論議を深めていければ。世界のピカソ研究者の方にもご意見をいただけることを楽しみにしております」と語った。
同作品はポーラ美術館で8月中旬頃まで展示されており、その後パリ・オルセー美術館で9月18日から19年1月6日まで開催される「ピカソ 青の時代、バラ色の時代」展に貸出、それに続き20年から21年にAGOとフィリップス・コレクションで開催される「青の時代」の展覧会にて展示予定だ。本作をきっかけにした、今後のピカソ研究の動向に注目したい。