「例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)」(東京藝術大学大学美術館陳列館、東京藝術大学上野校地大学会館展示室/11月26日〜12月2日)

「ひとりで抱えきれない大きな悩みを持つ人や、生きづらさを感じている人々が、自分たちの気持ちや意見を素直に発信・共有できる、新しい場所とシステムを模索」する共同体「trunk」による展覧会(キュレーション:西原珉)。会場内にトランスジェンダー・フラッグが置かれ、男女二元論に基づくあらゆる差別への対抗とトランスジェンダーたちへのエンパワメントが焦点化されている。お話し会など多様な機会をつなぐ場としての展覧会であり、zineや参考書籍がちりばめられ、見る者をいかに圧倒・制圧させるかを指標とする展覧会のありようとは一線を画し、クィアな展覧会のすがたを求める模索の痕跡を見て取ることができた。生活と制作と作品が地続きであることが確かな抵抗となることを痛感した。
第12回500m美術館賞 入選展より、入選作品「ゆきどける-『アートより除雪』から分化する、6人の視点」(札幌大通地下ギャラリー500m美術館、1月25日〜3月26日)

第12回500m美術館賞 入選展の中の入選作品「ゆきどける-『アートより除雪』から分化する、6人の視点」とは、2013年、当時札幌市議会議員であった人物が、札幌国際芸術祭の中止を求め、「『アートより除雪』これが札幌市民の本当の願い」と発言したことをふまえている。生活に根ざし喫緊の要事である除雪と対比させてアートの不要不急さを際立たせ、「公金の使い道」としてこれらを対立構図に見せかけることで「どちらかを選べばどちらかは選べない」という偽りの二者択一を迫る方法は、典型的な詭弁の一論法だ。かような偽りの二者択一に対して、本展は参加作家による「6人の視点」をもって応答する。大雪や除雪に対する身も蓋もない切実さとそれに伴う労働の側面、文学で参照される「文化的雪かき」など、「雪が溶ける/雪を退ける」ことの含意を多層的に示した点がとくに印象深かった。
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理江子 漂着」(アーティゾン美術館)


山城と志賀の作品を通じて、東京中心の経済・政治・文化の体系が厳しく問われる。本展で発表された山城作品は那覇文化芸術劇場なはーとで、志賀作品は青森県立美術館の東日本大震災15年「志賀理江子」展(仮)で、巡回ではなく、別のかたちに昇華されるという。「漂着」のタイトルが示すように、東京は経由地であり目的地ではない。なんと鮮やかな脱中心の手法かと膝を打った。加えて、志賀作品においてとくに前景化した核災害をとりまく問題系と呼応するように、戦後/敗戦/解放80年の本年、核災害や核と帝国主義を主題とする、あるいは主要な要素の一部とする展覧会が目立った。成定由香沙個展「Over My Head・あたまの上で」(CALM &PUNK GALLERY)、マヤ・エリン・マスダ「Ecologies of Closeness 痛みが他者でなくなるとき」(山口情報芸術センター[YCAM])、「Voices Left Behind|菊田真奈」(kanzan gallery)などもその一例である。

























