正道さんは、生前は寡黙な人だった。家族との間に多くの会話があったわけではないかもしれない。しかし、彼は死を目前にして、それまで秘めていた内なる世界を、絵というかたちで表現し始めた。まるで、言葉にしないからこそあふれ出る彼の感情や、自身の人生を、絵筆を通して家族に伝えようとしていたかのようだ。彼が描いた作品の一つひとつは、饒舌だったマラソンやパチンコの話とはまた異なる、より深く、静かな彼の「声」だったのではないだろうか。

2020年11月、最後の入院をした正道さんは、2週間後にこれ以上治療ができないと告げられ退院した。コロナ禍で面会もままならないなか、明子さんは自宅での緩和ケアを選択し、最期までそばにいることを決意した。
2020年12月17日、家族に見守られながら、70年の生涯を閉じた。その最期の時、明子さんが置き時計を見た時刻は、彼の誕生日と同じ数字の「3時24分」だったという。逝去後、明子さんは正道さんの絵をまとめ、自費出版で作品集200部を作成し、親しい人やお世話になった人たちに配った。遺された絵は、言葉に頼らない正道さんの生きた証そのものだった。そして、その作品集は、静かに燃え続けた彼の情熱と、それを大切に見守った家族の愛を今に伝えている。




















