アンディ・ウォーホルを巡って。藤原ヒロシ&渡辺真史が紡ぐ表現の系譜

アンディ・ウォーホル「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」展(2月15日まで)が開催されているエスパス ルイ・ヴィトン東京で、「美術手帖プレミアム」会員限定スペシャルトークイベントが開催。音楽・ファッション・デザインなど領域を軽々横断し表現を続ける藤原ヒロシと、ファッションブランド「BEDWIN & THE HEARTBREAKERS」ディレクター・渡辺真史が、ウォーホルへの思いやその影響、いまウォーホルを見ることの意味を縦横に語った。

構成=山内宏泰 撮影=稲葉真

スペシャルトークのゲスト・藤原ヒロシとモデレーターを務めた渡辺真史

ジャンルを超えて活動する表現者の系譜

渡辺真史(以下、渡辺) 今回のアンディ・ウォーホル「SERIAL PORTRAITS - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」展をご覧になって、全体の印象はいかがですか?

藤原ヒロシ(以下、藤原) ポートレイトに特化した展示というのがおもしろいです。ウォーホルはいろんな素材や形式を用いて表現していますが、ポートレイトばかり集中して観られる機会は珍しくて貴重です。ここで初めて知った作品もたくさんありました。

渡辺 僕は10代の頃にウォーホルを知って衝撃を受けたのですが、ヒロシさんはいつごろからウォーホル作品に親しんできたんですか?

藤原 僕も10代のときですね。ウォーホルが監修したホラー映画『悪魔のはらわた』(1973)を観たのが最初です。そのあとは音楽で再び出会って、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドをプロデュースした人として認識し、それから「マリリン・モンロー」シリーズなどのアート作品に触れていったという順番です。

渡辺 ウォーホルは故郷ピッツバーグからニューヨークに出て、まずイラストレーションを描き、そこからドローイングや写真なども手がけてジャンルを拡大していきます。ヒロシさんはどの年代・フェーズのウォーホルが好みですか。

藤原 ウォーホルがシルクスクリーンに目覚めた時期がいいですね。アートの世界にシルクスクリーンという技法を持ち込んで、作品を大量生産してしまおうというコンセプト自体が、ユニークでおもしろかった。そんなやり方はいまよりずっと「禁断の一手」という感じだったでしょうし、風当たりも強かったんじゃないでしょうか。ウォーホルはアートの世界の「パンドラの箱」を開けてしまったようなものです。いまの表現者たちがAIに脅威や恐怖を感じているのと同じように、当時のアーティストたちは、ウォーホルの大胆さと斬新性に、怖れを抱いたんじゃないでしょうか。

ともに10代の頃にウォーホルを知ったという藤原と渡辺。背景に展示されているのはアンディ・ウォーホル《TEN PORTRAITS OF JEWS OF THE TWENTIETH CENTURY》(1980)

渡辺 ウォーホルはいつの時代も論争の的になってきました。僕が美大に通っていた頃も、周囲では「ウォーホル? あんなのニセモノだ」「いやすごい才能だ」などと、いろんな意見が飛び交っていたものです。ヒロシさん自身は、ウォーホルに対する気持ちの変遷はありましたか?

藤原 1980年代にはすでにウォーホルは日本でブームになって、消費されすぎた感がありました。お金持ちの家に行くと必ずマリリンが飾ってあるというような。流行に乗るというのはウォーホルのコンセプトが実現した状態と言えるのかもしれませんが、有名すぎてちょっと距離を置きたくなった時期もたしかにありました。2000年代に入るとブームはちょっと落ち着いてきたので、僕自身も作品を買うようになりましたね。

渡辺 テレビや雑誌などいろんなメディアに登場したり、音楽もやれば映画もつくるしと、マルチに活動したウォーホルは、誤解も受けやすかったことでしょう。アーティストがジャンルをクロスオーバーするというのは、いまでは珍しくありませんが、当時はまだ定着していませんでしたから。ヒロシさんも幅広く活動していますが、源流はウォーホルにあるということになりますか?

渡辺は藤原ヒロシとアンディ・ウォーホルの共通点を指摘する

藤原 おもしろいと思ったところにどんどん足を踏み入れていく態度は、ウォーホルから学んだのかもしれません。彼が切り拓いてくれた道があってこそ、僕らが自由にやれるんだろうなとは思っています。

渡辺 いま若い人たちに話を聞くと、ひとつのことにずっと打ち込むというより、そのときに自分の好きなことや興味があることをやり続けたいという声が多いです。藤原ヒロシや、さらに遡ればアンディ・ウォーホルという先人がいたから、そういう思想も出てきたのだろうと思います。

藤原 もっと前にはレオナルド・ダ・ヴィンチのような存在もいますね。マルチに活動する人の系譜というのは、主流ではなかったとはいえずっと昔から脈々とつながっているだろうし、これからも受け継がれていくのだろうとは感じています。

渡辺 ウォーホルとヒロシさんの共通点でいえば、おふたりとも、ものをつくったあとは受け手にすべてを委ねてしまうところも似ています。ウォーホルは頻繁にメディアに登場しましたが、自分のプロモーションはしませんでした。ヒロシさんもマーケティングをしないというか、何かをつくってもみずから詳細に説明することはせず、受け取る側に自由に考えさせるところがありますね。

藤原 たしかにウォーホルは自分の作品や活動に対して、どこか我関せずで無機質な感じもします。彼のそういう態度は好きなので、僕も無意識のうちに彼の流儀にのっとっている可能性はあります。

ウォーホルがいま生きていたら

渡辺 展示を見て改めて思いますが、ウォーホルは本当に古びませんね。雑誌の切り抜きでコラージュをつくったり、セルフポートレイトを撮ったり、著名人のポートレイトをコレクションしたりと、興味の赴くまま創作する様子は、いまの時代感覚となんら変わらないように見えます。彼がいま生きていたら何をしただろう、というのが気になります。

藤原 ウォーホルがいまいたら、すでにポピュラーになっているものには関心を示さず、AIなんかはあえて使わないかもしれません。僕はといえば、わりとなんでも飛びついてみるほうなので、AIにいろんな質問をしたり、遊びで音楽をつくってみたりしています。そこで気づいたのですが、ミュージシャンはたいてい「ビートルズに憧れて」「パンクに衝撃を受けて」などと、だれかの真似をするところから音楽を始めます。その人がのちにどれほどオリジナリティある音楽をつくるようになっても、その音を自分がイチから生み出したとは言い難いものです。AIを使って創作するとオリジナリティがなくなるとよく言われますが、考えてみればAIに「ビートルズとJポップを混ぜて作曲して」と指示するのと、ビートルズもJポップも聴いてきた人が作曲や演奏をするのは、似たようなことなのではないかとも思います。膨大な素材を自在に使って新しい組み合わせを見出すAIの創作法は、ウォーホルのやり方と親和性があるように感じます。

渡辺 AIを使ってあれこれ考えていらっしゃるんですね。ヒロシさんはいつも何かに興味を惹かれていますが、自分にとっておもしろいものをどうやって探しているんですか?

藤原 人に聞いた話がきっかけになることは多いですよ。いろんな人と会ってお茶して話しているなかで、気になるものがあったら、どんどんその世界の奥へ分け入ってみる。すると意外な広がりを持ったテーマだということがわかったりして、ますますおもしろくなっていく。

渡辺 ウォーホルの原動力も同じく、好奇心だったのでしょうね。自分の興味があることをとことんやり尽くした人、という印象です。

藤原 興味関心の限りがない人だったのだろうと思います。ウォーホル自身がどこまでも奥深い人でもありますし。だからウォーホルがやったことはいつの時代にも掘り起こされ、新たな解釈が加えられていきます。そういえば僕が持っているウォーホル作品のひとつに、レンチキュラーと呼ばれる立体加工写真があります。ひなぎくの絵柄が素敵で入手したのですが、あとで調べてみるとその作品の元型は、1970年の大阪万博のときにウォーホルがアメリカ館で発表したインスタレーション《レイン・マシン》の一部でした。やっていることが本当に多様ですし、一つひとつの行動・作品が時代や社会と深くつながっていることを感じます。アンディ・ウォーホルという存在に対する僕の興味も、いつまでも尽きることはなさそうです。

編集部