ほかにも、釣りは海釣りから釣り堀まで幅広く楽しんだ。定年後には好きだったパチンコ通いの頻度が増え、長男の雄介さんとパチンコに一緒に行くこともあったという。映画鑑賞も趣味のひとつで、とくに洋画のSF系を好んで観ていた。通院の帰りには、ビデオ店からまとめて借りてくるのが習慣で、多い時には1度に10本もの作品をレンタルしていたという。
そんな正道さんの体調に異変が現れ始めたのは、2019年初夏のこと。知人夫婦との飲み会で美味しそうにビールを飲んでいた正道さんだったが、その翌月には妻の明子さんが「ビールが美味しくない」と感じていることに気づき、体調の異変を感じたという。夏頃には朝食が食べられない状態が続き、痛みに強い彼が我慢を繰り返すようになった。
ようやく会社の嘱託医を受診したのは10月のこと。そのときにはすでに盲腸がんのステージ4と診断され、手術は不可能だった。その後、地元の総合病院での検査入院を経て、12月頃から2週間ごとに点滴による抗がん剤治療が開始された。この治療は半年ほど続いたが、病状は徐々に進行し、お腹に腹水がたまり、妊婦のような状態になっていった。しかし、この腹水は「命の水」として、栄養分が奪われるという理由で抜くことはできなかった。抗がん剤治療が効果を示さなくなると、その後は痛み止めだけの治療に切り替わった。
病状が進み、大好きだったマラソンができなくなってからは、建物の周りをくねくねと歩いたり、家の中で廊下を行き来したりしていたという。そして、2020年3月頃、正道さんは突然、自室のベッドに腰掛けて、あの絵を描き始めた。それはまるで、生涯の最後に最高の才能を発揮する「白鳥の歌(スワンソング)」のようだ。病状の悪化によって大好きだったマラソンという肉体的な自己表現の手段を奪われた彼にとって、絵を描くことは、言葉にできない内なる世界を表現する最後の手段となったのかもしれない。


それまで絵を描く姿を見たことがなかったという家族は、毎日のように絵に没頭する正道さんに、下手に声をかけることはしなかった。明子さんは「まるで上の方から何かが降りてきて描き始めたのではないか」と感じたという。正道さんは描いた絵を自ら額装し、裏山から伐採した竹に吊るして、室内に飾っていたようだ。



















