作者の小高正道(こだか・まさみち)さんの生涯を追うため、僕はご自宅を訪ね、妻の明子さんと長男の雄介さんからお話を伺った。正道さんは、2020年12月に70歳で他界されていた。
1950年3月24日、正道さんは静岡県浜北市(現在の浜松市)で6人きょうだいの5番目として生まれた。実家は食堂を営んでいたようで、幼い頃から家業の手伝いをしながら育ったという。高校卒業後、いくつかの職を経験した正道さんは、37歳で掛川市内の梱包会社に就職した。そこからは定年までの20数年間、一筋に働き続けた。再雇用後も含め、一つの会社に勤め上げたその姿は、勤勉で真面目な彼らしい生き方だった。
正道さんが34歳の時、代々続く神道の家系を継ぐため、養子に入ってくれる人を探していた明子さんとお見合い結婚をした。結婚後、1989年に長男の雄介さん、1995年に次男の恭平さんが誕生し、あたたかな家族を築いた。雄介さんは東京でシステムエンジニアとして働いていたが、父の体調を案じ、神主を継ぐために2020年5月に帰郷。いずれは6代目となる神主を継ぐのだという。

正道さんは、普段は口数が少なく、感情をあまり表に出さない、寡黙な人だった。家ではテレビを見ていることが多く、食卓を囲んだ後もすぐに自室にこもってしまう。しかし、そんな彼の内側には、静かに燃える情熱があった。それは、彼の趣味を通して、饒舌に語られた。
とくに、マラソンに対する熱意は並々ならぬものだった。もともと近所の人からの勧めで走り始めたというが、県内各地のマラソン大会に参加したり、毎日仕事帰りにマラソンを行い、マラソン仲間とは週に何度か走りに行ったりするほど熱中した。なかでも驚いたのは、掛川市とアメリカ合衆国オレゴン州ユージン市が姉妹都市提携している縁で招待され、ユージン市へ行ったというエピソードだ。言葉も十分に話せない異国の地へ飛び込むその行動力は、彼の内に秘められた冒険心と強い意志を物語っている。




















