トビリシ国際空港の扉が開くと、昨年の2月に初めて降り立った日と同じように、重たい曇り空からどしりと冷たい空気が吹きこんできた。
帰ってきた喜びがこみ上げてくる。しかし同時にこの国の何に喜びを感じているのか、考えてみると分からなくなった。きっと繋がりが失われてしまったせいだと思う。トルコを旅した1ヶ月という時間が、7ヶ月間のジョージアでの日々を折り畳んで隠してしまったみたいだ。トルコで何かを間違えてしまって、タイムリープ映画のようにもう一度、2022年2月28日からやり直しということか。
空港に着いたときに溢れ出した喜びの感情は、喜びが依って立つ場所を失っていることに気がつくと急速に萎れていった。
水が美味しく感じられない。シャワーを浴びると水は肌に馴染まず表面を滑って私と関わろうとしない。もう一度日常をつくり直さなくては。
まずはTamarとVakho夫婦に預かってもらっていたトビを引き取って、同時に最後の引っ越しをした。
この1年のトビリシのインフレーションはえげつない。主な理由はウクライナ侵攻による人流の影響なのだけど、とくに家賃は2~3倍に跳ね上がった。
もともと1年間同じ家に住むつもりはなくて、日々の生活に慣れてしまい過ぎないよう数ヶ月ごとに引っ越しをする予定だった。
家賃を基準に選んだ新しい家は、トビリシの中央を流れるムトゥクワリ川の東側に位置し、100年、200年前の古い家々が残る地区にある。イタリア式中庭と呼ばれる広場を挟んで、コの字形にたがいの家が顔を突き合わせるように建てられた住居が多い。長屋のように人々の生活の場が重なり合うようなつくりは下町といった風情だ。その頃を生きていたわけではないけれど、こうであっただろう“昭和の生活”がそこはかとなく漂っている。私の家はそんな中庭へ至るアーチの中程の、長屋からは少し離れたところにある。全部で30平米ほどの小さな家だけど、天高が3.5メートルほどあって狭くは感じない。鍵をかけないでいると、唐突にドアが開くことが何度かあった。誰かはわからないけど、物盗りというよりかは話し相手がほしい酔っ払いや子供が迷い込んできたようである。たいていはトビの凛々しい吠え声で退散するので、番犬の仕事で自尊心がついた彼女は誇らしげな顔をしている。
大家のKetから聞いたのだろう、引っ越しの翌日には私たちのことが中庭の住人たちに知れ渡っていた。アジア人はまだ珍しい。少しジョージア語ができると知るや、何か嬉しそうに早口で喋りかけてくるけど一言も分からない。圧倒的に英語が通じない世界になった。10月までの4ヶ月を過ごしたワケ地区は、ゆったりした街並みの外国人が多く住む地域で、英語がそれなりに使えた。東京であれば外苑前のようなエリアで、こことはまるで雰囲気が違っていた。なんだか人間くさいプレハーノヴは、研修の残り3ヶ月を過ごすにはうってつけの最終決戦地に思える。
プレハーノヴには、ニコ・ピロスマニという画家が孤独な最期を迎えた居室がある。
ロシア帝政期の19世紀終わりに生まれた彼は、独学で描くことを習得し、素朴な作風を確立したジョージアの国民的画家である。一度はモスクワで認められ、故郷に錦を飾った人としてもてはやされたが、画風の素朴さゆえに批判的な新聞記事が出回ると、人々は掌を返したように評価を変えてしまう。果ては貧しさと酒に溺れて死んでしまった。
新しい家から北へ15分ほど歩くと、ピロスマニ通りと名づけられた通りがある。その通りには、彼が亡くなった家が小さな美術館としてひっそりと残っている。
あたりには亀裂が走っていたり傾いたりしていながらも当時の建物が残っていて、彼の生きた時間がいまもパラレルに流れているようだ。
彼が亡くなった部屋は、階段下の窓もない小さな独房のような空間だった。5月にピロスマニの故郷、東部カヘティ地方のミルザーニ村を訪れたのだけど、瑞々しい新緑と光に満ち溢れた生家を見て、ふたつの家が指し示している生と死の明暗はあんまりだと残酷に思った。
一見すると稚拙とも言われる画風だけれど、ピロスマニはとても上手い画家である。
例えば田園風景を描いた作品は、平面的で正教会の壁画のように複数の時間軸が同時に存在し、視線が集約する中心がないためにバラバラと拡散していく。人物は人に見えるギリギリまでしか描かないが、時には人にも見えない。絵画の技術的な作法はおさえていないけれど、実際にミルザーニへ行くと本当にそんな光景がぐるりと広がっている。あの景色がそのまま、既存の有効な絵画技法を使わず、独自の仕方で一枚の四角い画面に収まっているのだ。
ピロスマニの絵に興味があれば是非にジョージアの田園を訪れてみてほしい。丘も空も農夫も牛も、みな描かれているとおりの在り方でそこにいる。
2018年、ピロスマニの絵はサザビーズのオークションで、その時代の作家としては最高額となる価格で落札された。だけど面白いことに、ジョージアでピロスマニの絵はフリー素材と化している。どこへ行ってもグッズとなって(それも手づくり)売られている。ワインつぼ、マグネット、トートバッグ、トレーナー……。レストランの壁画にだって描かれている。それぞれが独自にピロスマニの絵を再現していて、匿名の画家たちによって味わいのあるバリエーションができあがっている。非業の最期を遂げた画家としてゴッホのように伝説になるわけでもなく、親戚か友だちかのように市井の中に溶け込んでいるのだ。
ピロスマニの家をさらに北へ行くと、大きな市場がある。穴が開いてしまったトビリシの日常を繕い直すために、私たちの語学学校でもあり食糧庫でもあるデゼルテル・バザールへ通う。新年のお祝い用に子豚や七面鳥、チチラキという正月飾りなどが並んでいて、すっかり季節が変わったことを実感する。どんなに笑顔を振りまいても、大量にマツォーニ(ジョージアのヨーグルト)やチーズを買っても、決して距離が縮まらない乳製品屋の女主人は、いつもの仏頂面で店番をしていた。
10月に置いてきた日常がまだ継続していることに安心して、それから絵を描き始めることにした。
家には部屋のサイズのわりに大きなふたつの窓があって同じ通りに面している。ジョージアに来てから始めた制作のひとつに、窓ガラスを支持体に絵を描き、それを写真で記録したのち版画の要領で紙に刷りとる、という作品がある。1年という限定された期間、テンポラリーな状況が作品に反映されつつ絵画として成立する最善の方法だと思う。さっそく、窓ガラスに油絵具で描いていると、たくさんの人が目の前を通り過ぎていった。乾燥した地域特有の鋭い光はガラス窓に反射して、お陰で外から室内はよく見えないようだ。
ガラスを挟んでたった数十センチ向こう側、絵具のあいだをすり抜けるように歩き去っていく人々を反射的に筆で追いかけていると、いつまでも描き続けられてしまう。新しい家の、新しい景色が馴染んでくるのを感じた。
日常ができてくると、トビを預かってくれたお礼も兼ねてTamarとVakhoを夕食に招いた。早くから始めたにもかかわらず、いつものように冗談を飛ばしあって気が付けば深夜を回っていた。2人を送りがてらトビの散歩に出掛ける。
後ろを歩いていたVakhoは、公園で花売りのおじさんからごっそり花を買ったようだ。薔薇は誰かの庭から切られてきたような野性的な姿をしている。さっそく、TamarとVakhoはその花束を振り回してトビと遊びはじめた。
公園の暗がりのなか、街灯に照らされ白い息を切らして全力で遊ぶ人間と犬の姿は感動的だった。突き出された花は噛みちぎられて、あたりに花弁が散らばる。すでに夫婦の2人はちぎれて半分になったバラを手に求婚しあっていた。トビは穴を掘り始める。すかさずTamarとVakhoも加わって、2人と1匹で凍った地面を掘りまくる。犬と人が一体となって何かがそこで生まれている。それを目撃しているのに気がついて、私は凍えながらうっとり見惚れていた。
01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩
02. イタリア式中庭のある住居。木製の外廊下で
03. Niko Pirosmanashvili Festival on the Tskhenis-tskali River(部分) 制作年不詳 油布に油彩、112×197cm ジョージア国立美術館蔵
04. ピロスマニの肖像写真をもとに、彼のタッチで自画像風に仕立てたと思われる壁画
05. 市場で売られるチチラキ。白木を小さなナイフで薄く削ぐようにしてつくられる。アイヌのイナウに似ている
撮影=筆者