連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第5回「Zazaさんの話」

2月末から海外研修先として、黒海とカスピ海のあいだにある小国・ジョージアに滞在している画家の庄司朝美。渡航直前の2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始された。隣国ともいえるウクライナの情勢を身近に感じながら、独自の文化を育んできたジョージアの首都トビリシからお届けする連載。今回は、Zazaさんの話。

文=庄司朝美

1.
前へ
次へ

 東京からトビリシに戻ってまもなく、大規模なデモがあった。政府への抗議活動とEU加盟支持表明のために、国会議事堂が面するルスタヴェリ通りを十数万人が埋め尽くした。現在、ジョージアはオリガルヒ(*1)によって樹立された親露派の政党が国の舵取りを行っている。その一方、ロシアの顔色をうかがいつつEU加盟を推進しようとしている。国民の8割が加盟に賛成という状況のなか、いつまでも進まない加盟交渉に苛立ちを募らせ、政府への圧力をかけるためにデモが企画された。主催者の熱のこもった演説や、デモの熱狂からは、絶えずロシアの脅威にさらされ続けるなか、ジョージア国民がEU加盟をひとつの救いとして夢見ているように思えた。加盟の是非について幾人かのジョージア人たちに聞いてみると、EU規格を受け入れることで失われるものの大きさや困難も承知していて、だから無理なのだという人もいれば、それでもロシアよりはマシだから加盟するしか選択肢はないと答える人もいた。

2.

 デモの熱狂から数日後、トビリシから北へ160キロ、ロシア国境近くのコーカサスの山々を訪れるためにカズベギへ向かう。乗合バスに乗せるには大きくなりすぎたトビのために、車を借りた。2005年製のパジェロミニはエンジンがゼイゼイと苦しそうだったけど、自分の行きたいところ、道なき道でも存分に行けるという自由は何より嬉しかった。沼さんの運転でクラクションと動きの読めない車の波を泳ぎ渡り、トビリシの街の終点にあるモールを越えると、急に荒野が広がった。埃っぽい風を受けて、窓から顔を出したトビの耳がパタパタとはためいている。北上するにつれて次第にロシアナンバーの車が増える。前を走る車の助手席から投げ出された手が、太陽光を受けて輝いていた。国境通過待ちのコンテナトラックの、ロシアまで連なる長い長い列を横目にひた走って、カズベギの中心街から10キロほど手前の小さな村、ゴリスツィヘに到着した。折よく花盛りの頃で、一面に色とりどり小さな花が咲き乱れ、初夏のまだ冷んやりした風に揺れている。宿に着くと、オーナーのZazaさんがゆったりと出迎えてくれた。

3.

 滞在中はZazaさんの案内で村や山を歩き回り、朝夕と食事を共にした。Zazaさんの話は面白い。歩きながら、食べながら、飲みながら、たくさんのことを話す。季節によって20〜40世帯ほどが住む小さな村は、みなお互いをよく知っており、厳しい環境を生きるために助け合って生きているという。夕暮れどき、村を散歩していると草原へ抜けた。途中で行きあった人物が、何かを探していたので聞いてみると、その草原の植物は半分ほどが食べられるのだそうだ。ピンク色の小さな花を摘むと、ひょいと口に運んで他にも食べられる花や草を教えてくる。さらに草原を進むと、夕日を受けた一面の花畑のなか、石造りの建物が崩れて草むらに埋れていた。かつてペストによって壊滅したゴリスツィヘの前身となる村だったという。そこでしばらく、日没どきの瞬く間に変わりゆく光で、草原や山の色が変わっていく様子を眺めていた。

4.

 毎日、とにかくたくさん歩いた。雪解け水の流れが筋となり、それを羊飼いたちが踏み締めていくことでつくられる、急な山道や渓谷を十数キロ歩く。都会育ちのトビは、すぐに疲れ切って鳴きながら抱っこをねだる。少しでも止まると眠気に耐えられず、うつらうつら船を漕ぎ始める様子は気の毒だけど、急斜面の滑りやすい道をトビを担いで登る気にはならない。羊飼いたちは、そんな道を日に何度も往復するのだという。ときおり、荒野のなかで文字の刻まれた石を見つける。「ここは私の村だ」と書かれていて、羊飼いが戯れに印を立てたのではないかとZazaさんは言う。高山の刺すような日差しを受けながらそんなふうに歩いて細部を見ていくと、遠くに壁のようにそびえていたコーカサスの山を、確かにこの足でとらえているのだと実感されて嬉しくなる。

5.

 ある夜、食事の席でZazaさんが自分の左耳を指差し、正確には左耳があった場所を示しながら、アブハジア紛争(*2)で戦ったときの様子を話してくれた。ソヴィエト時代に18歳で徴兵されて従軍したそうだ。どことなく禅僧のような佇まいのZazaさんは、一時期は僧侶として修道院に暮らしていたという。信仰や宗教のことはあまり口にしないけれど、とても信心深いZazaさんと教会や修道院を巡るうちに、教会は美しい壁画や何世紀もの歴史を刻んだ建築に価値があるのではなく、人々が集い、祈り、信仰が生きている場所なのだということを理解した。新しく描かれた聖人の絵や、時代ごとの素材や方法で改修や増築がされている教会は、なんとなく物足りなく感じる。古いもの、歴史が染み込んでいるものを見たいと思ってしまう私は、つい物を信仰してしまうのだと思い当たった。食事と一緒に杯を重ねた自家製ワインとチャチャという度数の高い蒸留酒のせいで、夜が更けるにしたがってぼんやり頭に霞がかかったようになる。まぶたが重くなってくると、耳から入ってくるZazaさんの修道院での生活や、ユーモアを交えて語られる多くの困難が映像として見えてきて、その人生を一緒に体験しているような気持ちになった。

6.

 Zazaさんの宿に3日ほどいて、それからさらに5日間、周辺の山や小さな村々の未舗装の凸凹道を、エンジンのゼイゼイいうパジェロミニを励ましながら巡った。カズベギからの帰り道、羊を食べることにした。道路沿いの至るところに「HALAL」の文字があって、何故かと不思議に思っていたのをZazaさんに確かめてみると、高原の涼しい土地で育った羊は臭みが少なく美味しいというので、わざわざイスラム圏から食べにくる観光客がいるそうだ。考えてみたらここはドバイから2、3時間ほど飛行機に乗ればついてしまう国だ。車を走らせていると煙と肉の焼ける匂いがして、目についた肉屋で車を停めた。小さな掘立小屋の横で炭火を起こしている。ただそれだけだった。メニューも看板も客引きもいない。いくらかと聞くとドバイ価格なので、それじゃあ高すぎて買えないから負けてくれと交渉する。面倒になったのかざっくり値引きしてくれた。待っているとどこからか羊が連れてこられた。2人の男がそれぞれ手足を抑え、1人がナイフを喉に当てて一文字に走らせた。男たちはとくに感情もなくゆったりした動きで、羊でさえ声も上げず暴れることもなく静かに首を差し出している様子は、なんだかあまりにもあっけらかんとしていた。晴れわたって輝くような緑の草むらの上に真っ赤な血が広がって、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。男たちが座れというので肉が焼ける間ブルーシートの屋根の下で待つ。その横で逆さに吊られ、皮を剥かれた羊を斧で捌いているのを見ていた。手際よく、さして力も入れずに骨を断っていく男は、隣国のアゼルバイジャンから来てそこに住んでいると言う。そのうちに香ばしく焼き目のついた肉が運ばれてきた。野原に放してやったトビは、そこらじゅうに落ちている羊の骨を見つけてはバリバリと食べて幸福そうだ。普段はまだるっこしいほどよく噛んで食べる彼女が別の犬のようだった。よく見ていくと体格もがっしりとして、この1週間ほどでまた少し大きくなっているような気がした。

*1─1991年のソビエト連邦の崩壊に続く経済の民営化を通じて、1990年代に急速に富を蓄積したソビエト連邦構成共和国の大富裕層。
*2─ジョージアからの独立を求めるアブハジア自治共和国での1989年のスフーミ事件から始まる武力紛争。1994年に停戦の合意が成立するが、その後も、アブハジアの独立を承認するロシアの介入もあり、係争は続いている。

7.

[写真キャプション]
01:庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩
02:5月26日の独立記念日の際の国会議事堂の様子。この日だけでなく常にEU旗が掲げられている
03:Zazaさんとトビ
04:村人たち。挨拶をするとみな笑顔で返してくれる
05:羊飼いの手仕事。羊の放牧中に刻んだのだろうか「ここは私の村」と書かれている
06:寝室からの景色。朝と夕、牛乳を絞る音が聞こえてきたのでZazaさんに確かめると、隣人からしぼりたての牛乳をもらってきてくれた
07:登山の途中、疲れ切ってうたた寝するトビ
撮影=筆者