連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第7回「画家にもどる」

2月末から海外研修先として、黒海とカスピ海のあいだにある小国・ジョージアに滞在している画家の庄司朝美。渡航直前の2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始された。隣国ともいえるウクライナの情勢を身近に感じながら、独自の文化を育んできたジョージアの首都トビリシからお届けする連載。画家としての自覚を取り戻す。

文=庄司朝美

01.
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 私は忘れっぽい人間だと思う。いまこの瞬間の鮮やかさに、過去はその影に隠れてしまう。いくつかの展覧会の会期が迫ってきて、にわかに自分は画家だということが思い出された。
 トビリシに来てから、嬉しいことにいくつかの展覧会の話をもらっている。それぞれ小さな規模ではあるけれど、いよいよ日取りが迫って開催が現実味を帯びてくると、身体に力が漲ってきた。この数ヶ月、ジョージア地方部への旅に次ぐ旅を続けるうちに、旅行者というテンポラリーな在り方に慣れてしまって、自分が何者でもない存在になったように感じていた。季節ごとの野菜や果物をつくり、牛や豚を育て、自給自足に近い生活を送る地方部では、その一生は大きなサイクルのなかにある。そんな人々にとって、絵描きという存在は異質だ。彼らの生活の片隅に住まわせてもらう生活を続けていくと、次第にそんな生き方の方がリアリティを持つようになる。日々の「描く」という行為は特別な意味を持たずに日常へと回収され、言ってみれば日曜画家のようなものだろうか、旅の合間に気の向くまま描いていた。それが展覧会となると、誰に見せるでもない絵から、見られるための絵に。そんなわけで画家としての自覚を取り戻すと、しばらく忘れていた睡眠中の歯軋りの癖が戻ってきた。少し、緊張している。

02.

 展覧会のうちのひとつは、東京、歌舞伎町にあるギャラリーのデカメロンでひっそりと始まり、終了会期を決めずに行われている。会場であるバーの一角にはポストがあって、日々の制作物やメモみたいなものを、トビリシからそこへ届くよう気が向いたときに送る。お酒を飲みに偶然デカメロンへ来た人が、自分宛に届いた手紙みたいに思ってそれを読んでくれたらいいなと。この展覧会(のようなもの)は、もともと7月に個展の話があったのだが、こちらの事情で取りやめになったのをデカメロンの黒瀧紀代士さんが別のかたちでアレンジしてくれたのだった。ボリュームのある展覧会ではない、日常のキワにそっと置かれるようなやり方で何かできないかと思って、ジョージアの匂いや空気を手紙に吹き込んだ。

03.

 9月末、キュレーターの吉田山さんがトビリシ へやってきた。
 彼が企画した「風の目たち/The eyes of the wind」トビリシ展のためだ。小さな箱に収納され、空輸された日本人作家たちの作品をトビリシで展示する。その後、各作品は現地のジョージア人作家たちによって、彼ら自身の作品と交換に引き取られる。トビリシでの展覧会は1日限りの開催だが、ジョージア人作家たちの作品は冬に東京で展示されるそうなので、展覧会というよりプロジェクト的なものだ。
 それまでの1ヶ月、ジョージア人作家の協力者や展覧会の開催場所を探し、企画書を詰めたりと準備をしてきた。トビリシの空の下、しばらくぶりにオフラインで会った吉田山さんは、この街とちぐはぐな雰囲気があって間違いなく東京の人だった。ジョージアでの生活に馴染むにつれ、東京はとても遠く感じられる。

 吉田山さんが連れてきた東京の「あの感じ」は、トビリシの日常を妙な具合に非日常化した。朝、目が覚めると、リビングから吉田山さんがパソコンに向かって話しかけている声が聞こえてきた。ミーティング中らしい。「How are you?/ როგორ ხართ?」ではなく「お疲れ様です」から始まる会話と、テンポ良く繰り出される日本語の軽妙な響きはなんだか懐かしい。この半年間、ぎこちない英語とちょっとばかり使えるようになったジョージア語で生活をしていたから、日本語すら怪しくなってきている。言語を失いつつあることも自分の輪郭がぼやけることと関係しているのだろう。
 その日、明日に控えた展覧会の設営を行った。時間の痕跡が見える古い煉瓦造りのギャラリーは、Obscuraというアートプラットフォームが運営するスペースで、展覧会だけではなくレジデンスやアートイベントなども行う場所だ。前日着いたばかりで寝不足の吉田山さんは、寡黙にそれぞれの作品が一番輝ける場所を探っている。リュックに収納され、海を越えて運ばれてきた5センチ四方の箱から、様々なアイデアの作品が次々と出てくる様子は、まるで富山の薬売りのようだ。吉田山さんは富山県の出身である。
 私は展覧会のために骸骨を描いた。そのB4サイズのドローイングをくしゃっと拳で丸める。私の手で丸めると、ちょうど5センチ四方の箱に収まるサイズのボール状になる。この展覧会で吉田山さんが作家に課した唯一のルールは、作品がその小さな箱に納まることだった。丸められたドローイングは紙の塊になるけれど、ギャラリーに運ばれ、そこでまた平に直されて展示されれば絵に戻る。そして、拳大に丸めたドローイングには自分の身体のスケールがそのまま反映されていて、絵を描くときに起点としている身体性を立体に起こす試みでもある。

04.

 設営が終わり、Obscura運営メンバーの一人で企画の初期から協力してくれたSophoさんに会場の様子を送ると、とても嬉しそうなメッセージが返ってきた。ほっとして、設営を手伝ってくれた友人の外園さんと連れ立って、街一番のヒンカリ(ジョージアの小籠包)屋に行く。満ち足りた気持ちで夕食をとった。店を出ると秋の気配が感じられる気持ちの良い夜で、散歩ついでにそのまま外園さんの家へ向かった。外園さんの家というのは、すべての家が中庭に面して玄関や窓を設けてある長屋で、隣近所の寝息まで聞こえそうな、昭和の木造家屋のような趣がある。趣はあるけれど、サンルームにレンガ柄の壁紙が張られたりしていて、それが少し惜しい。これがなければ美しいのに、と常々思っていた。夜と酔いが深まるにつれ、その日はとくにその壁紙が気に食わなくて、外園さんも同感だと言うからとうとう吉田山さんも加わって3人で壁紙を引き剥がしてしまった。

05.

 明くる日、夕方のヴェルニサージュにむけて沼さんは朝から料理を仕込んでいる。たくさんのおにぎりと出汁巻き卵、小学校の遠足みたいだ。17時になって、展覧会は始まった。Obsucraのメンバーや建築家の友人がそれぞれ知人を連れてきてくれる。あまり目にすることのない日本人作家の作品は興味深いようで、皆長いことじっくり見ていた。画家のTamarさん曰く、小さな作品ではあるけれど、それぞれの作家が個々の作品と深く向き合っているのが感じられて緊張感のある空間になっている、と。ギャラリーには借家の近所の犬友だち(じつは有力な政治学者だった)のKakhaや、トビリシの兄貴的存在のYangさんなど、各方面の知人友人の顔も揃った。生活と美術がなだらかにつながっていくのが感じられる。直前に開催日を変更したにもかかわらず引きも切らさず来訪者があり、中庭で軽食を囲んで来場者と話し込んでいると、いつの間にか夜も更けていた。

06.

 展覧会が終わり、それぞれの作品の引き取り手も決まった。忙しく駆け回った1週間が過ぎてみると、街は人混みであふれ、物価もまた少し上がっているようだった。おそらくロシアからの人流のためだろう。9月21日にロシアで部分動員が発令されると、数日のあいだにバックパックを抱えて公園に寝泊りしている人、街の中心部で投げ銭目当てに歌や楽器を演奏する人を見かけるようになった。ジョージア語よりロシア語が聞こえてくるカフェやレストランも以前にも増して多くなったようだ。
 部分動員令によってロシアの広大な国土の辺境の地域では、村の男がみな動員されてしまったところもあるという。10年ほど前、ロシアの東の果て、サハリン島(旧樺太)を旅した。温泉があると聞いて、ノグリキという島の北部にある町を訪れた。寝台列車で一晩かけて着いてみると、そこは温泉こそ湧き出ているけれど、ほとんど沼のような湿原だった。さわさわとイネ科の草が茂るなかにポツンとある掘立小屋が浴場になっているようで、男たちが爽やかに湯気で火照った顔で小屋から出てきた。きっと気持ちよかったのだと思う。そんな彼らが皆戦場に送られるのだろうか。あのときの写真を見返していて、男たちの背中を見つけた。戦争そのものもだけれど、現在のロシアという国家自体の在り方が悪夢のようだ。

07.

01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022、窓に油彩
02. ジョージア中部Zanavi村の宿泊したゲストハウスにて。女将Izaの朝の仕事
03. デカメロンにて開催中の、本連載と同名の個展「トビリシより愛を込めて」に向けて送った手紙。中にはドローイングや位置情報を記した植物などが入っている 撮影=黒瀧紀代士
https://decameron.jp/exhibitions/220909.html
04. 「風の目たち/The eyes of the wind」展へ出品したドローイング作品。庄司朝美《22.9.24》(2022、紙に油彩、鉛筆、25.4×33.5cm)
05. 外園さんの家から望む中庭。イタリア式中庭と呼ばれるトビリシではよく見かける建築様式だ  撮影=田沼利規
06. 「風の目たち/The eyes of the wind」展会場風景 撮影=田沼利規
https://flsh.org/the-eyes-of-the-wind-vol1/
07. 2013年に訪れたサハリン島北部の町、ノグリキの温泉小屋
記載のないものは筆者撮影