連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第4回「帰郷」

2月末から海外研修先として、黒海とカスピ海のあいだにある小国・ジョージアに滞在している画家の庄司朝美。渡航直前の2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始された。隣国ともいえるウクライナの情勢を身近に感じながら、独自の文化を育んできたジョージアの首都トビリシからお届けする連載。6月、一時帰郷する。

文=庄司朝美

01.
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 どんなふうに書けるのだろうか。そのことについて今はまだ考えるのが恐ろしい。とはいえ、それを語らなければこの1ヶ月が空白になってしまうから書くことにする。6月3日、私たちは緊急で東京に帰った。ある人の、とても大きな存在の人が亡くなったと訃報を受けて。その一報は、私の身体をバラバラにした。体中の血が何処かへ引いて、床がグラグラと揺れ、急に身体が世界にフィットしなくなった。泣き崩れていても、悲しいから泣いているのか、泣いているから悲しいのか、ふと不思議になって泣き止む。出来事の大きさに、向き合うことも飲み込むこともできず、ただ混乱している。昔に、若くして父親をなくした友だちがいる。その人は、父の死をそこまで寂しく思わなかったと言う。なぜなら、自分の心の中に父がいて、いつでもその存在を感じることができるからだ、と。それを聞いてとても驚くと同時に、ああそうか、誰かが死んでしまったとき、その悲しみは自分を哀れむためのものでしかないのだと、そう気づいた。亡くなった人のために涙を流すのではなくて、残された自分が気の毒で泣いている。だから大いに泣く、可哀想な私のために。

02.

 飛行機が成田空港に着いて、乾いたトビリシとは違う梅雨の湿度にむせた。久しぶりに帰ってきた東京は、知らない国のようだった。言葉は通じるし、看板も読める。でも、その人がいないことで世界は変質してしまって、知っているのにどうもよく分からない場所になっていた。深夜家に着いて、誰かのいびきが聞こえる。たくさんの花に囲まれベッドで横になっているその人は、穏やかな顔で眠っている。いびきは一段と高くなって、見ているうちにお腹が上下しているように見えた。それで、なんだ眠っているだけじゃないか、と心が軽くなる。そのうちいびきがピタリと止まって、「おかえり」と隣室から声をかけられた。「ただいま」と言いながらその人の頬に触れると、やっぱり冷たくて、私の体の血がまた何処かへ引いていってしまった。それからの毎日は忙しかったように思う。毎日、毎日花が続々と届いて、その人の部屋は一面真っ白な花畑になっていった。納棺の日、葬儀場へ持っていくために花も一緒に運び出す。運んでも、運んでも白い花はなかなかなくならない。夜になって、さっきまでその人が横たわっていたベッドで眠る。布団はしっとりとして重い。いくつかの夢を彷徨っているうちに足が攣って目が覚めた。

03.

 梅雨明け前のよく晴れた日、真言宗式に葬儀が執り行われた。読経が始まると、それは旋律を持った美しい歌で、聞き惚れてしまう。その人は浅草の下町で生まれ、戦火を生き抜いて写真家となった。70余年も世界中を飛び回りながら、人間のあらゆる様態を見てきた人である。焼き場から骨が帰ってくるのを待つ間、和尚さんと話をした。先ほどの読経は、「声明」という宗教歌だそうで、能や長唄などにも影響を与えた宗教音楽だという。美しい音楽として、どんな人にも仏教の教えが届くように発展したそうだ。真言宗は密教を基礎とした大乗仏教の一派で、おおらかな思想の宗派だという。聞いていくうちに、その人の写真家としての人間くさい在り方が、そのまま死後の世界にもつながっているようで嬉しくなった。

04.

 それから少しして、研修を続けるためトビリシへと戻ってきた。見慣れた道をタクシーで走る。借家に帰り着くと、3週間と少しの間見ないうちに、育ち盛りのトビはまた大きくなっていた。帰国前には青かった庭の枇杷の実が、すっかり美味しそうに色付いている。トビは大家さんに預けていたので、まるで自分の家のように庭でくつろいでいた。お母さんのMananaがジャム用に山盛りのさくらんぼの種を抜いている。その横で娘のMedeaが入れてくれたコーヒーを飲む。家のどこからでも臨める中庭は、季節ごとに咲く花や果樹などの植栽があって、その家の主の人柄を表すようにゆったりとしている。コーヒーとともに採りたての枇杷やさくらんぼ、トゥケマリという酸味の強いプラムを出してくれる。ときおり吹き抜ける風が庭木を揺らすなか、一家となんでもないような会話をして笑ったりしていると、東京での日々が宙ぶらりんな思い出として感じられて、その美しい庭にいる時間とうまくつながらない。まるで記憶が蛇腹状になっていて、3週間分の時間が折り畳まれてしまったようだ。お父さんのBejanはトビを私たちに返さなければならないので寂しそうにしている。それだけトビを大切にしてくれたのだと思う。一家は、私たちの悲しみを包むように懐へと迎え入れてくれた。訃報について知らせに行った際、Bejanは胸に手を当て涙をにじませながらお悔やみを伝えてくれた。いつも人懐こい笑顔で、毎日どこかしら家の増築作業に汗を流しているその姿からは、想像もできなかったほどの悲しい顔で。しばらくして息子のNikaが帰ってくると、家族が全員揃ったと感じたのか、トビは満足げに全員の顔を見回していた。

05.

 束の間の帰郷ではあったけど、東京では当然のように停電も断水も起こらないし、歩道が途切れたり唐突に穴がポッカリと口を開けていたりすることもない。車の間を縫って、命がけで道路を横断する必要もない。ぼんやりとしていても日々の生活を送ることができた。だけど、次第に自分の体の存在が希薄になっていったように思う。葬儀の日、和尚さんが言っていた。真言宗では心や体の感覚を最大限に使って悟りを開く教えで、体というものがとても大切である。なぜなら、体はこの世界と精神をつなぐ唯一の場所だからだ、と。トビリシに帰ってきて、注意深く身体を使う生活が始まると、緩んでいた体に力が入ってきたようだ。あのときバラバラになった自分の身体を、少しずつ取り戻している気がする。

[写真キャプション]
01:庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩
02:夜の新宿
03:梅雨の気候で重たく茂った緑。トビリシとはまるで違う植生だ
04:大家さんの庭
05:市場からの帰り道、熱を感じて顔をあげると、ゴミ箱から囂々(ごうごう)と火が上がっていた
撮影=筆者