世界最小のアート・コンプレックス「文華連邦」とは何か。美術における集団のあり方を考える

世界最小のアート・コンプレックスを名乗る東京・墨田区の「文華連邦」。オルタナティヴスペース「DOGO」の栗原あすかや岡田真太郎、「文華連邦」で展示経験のあるアーティストの佐藤清の談話を交えながら、呼びかけ人の三原回に話を聞いた。

聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「文華連邦」にて、左から栗原あすか(DOGO・代表)、三原回(文華連邦・呼びかけ人 / YUMI ADACHI CONTEMPORARY・代表)
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──「文華連邦」は世界最小のアート・コンプレックスを謳っています。どのようなプロジェクトなのか、呼びかけ人の三原回さんより教えていただけますか?

三原回 厳密には「文華連邦」というスペースはありません。4坪ひと間のホワイトキューブとと6帖の板の間に、複数のアーティスト、ギャラリー、美術団体が入居するアート・コンプレックスです。入居しているのはギャラリーをはじめ、アートや演劇に関わる様々な団体で、2022年6月現在は休止中を含めて10団体が所属しています。入居といっても、実際にこの場所で事務をしているわけではなく、それぞれ自分の屋号を持った各団体がホワイトキューブのあるひとつの空間を共有して、展示やイベント、パフォーマンスなど、やりたいことを実施するという感じです。

 世界最小といってもただ狭い物件に色々な団体がひしめき合っているというだけのことなのですが、そこを逆手にとって、むしろキャッチとして使えるかなと思いまして。

「文華連邦」の外観

──「文華連邦」を立ち上げたきっかけを教えてください。

三原 立ち上げは2019年なので、今年で4年目になりますね。「文華連邦」の物件は、もともと私が複数のアーティストと共同のアトリエとして使用していました。このアトリエが解散となったタイミングで、まずは知人に声をかけることから始めました。「文華連邦」はひとつの目標にみんなで向かっていくというかたちではなくて、それぞれ別々のやりたいことがある団体が集まっているためアート・コンプレックスを名乗っています。目的や手段が異なる人たちが、この空間をそれぞれ有効に使ってもらうかたちであれば継続できるのかな、という考えがありました。

「文華連邦」の内観

──これまでに入居する団体の変遷もあったと思いますが、入居団体の選定の基準や、入居する団体の傾向などはありますか?

三原 出入りはあるので変遷はしてきましたね。一応、入居を許可するかどうかはその都度、入居者みんなで話し合って決めるようにしていますが、今後はもう少し制度が整えていくかもしれません。入居者の数が減ったら、都度募集をかけるとか、色々とやり方はありそうですね。いまのところ、基本はみんなで決めていく合議的なスタイルをとっています。

 ただ、ひとつルールがあって、基本的に展覧会やイベントは入場料を取ることにしています。作品販売の利益だけでは、物件の賃貸料も賄えませんから、継続していくためのルールですね。大きなギャラリーなら無料で展覧会を見せても成り立ちますが、我々のように小規模なプロジェクトではそれは叶わないですし、アーティストがそれぞれの工夫や苦労を重ねて展示をつくりあげているわけで、そのクリエイションにお金を払うという意識はとても大事なことだと思っています。

──今年3月の「アートフェア東京」と同時期には、入居団体が集まって日本最小のアートフェア「BUNKA UNION ART FAIR 2022 -It's a Small World -」を開催しました。

三原 立ち上げのときに「Good Morning Japan-おはようにっぽん」という、当時入居している団体やアーティストを集めた展覧会を行ったのですが、このときは「文華連邦」自体がひとつのスペースだという誤った認識を広げてしまったので、反省しています。

 「BUNKA UNION ART FAIR 2022 -It's a Small World -」は、この狭い空間をブース分けしてアートフェアを行い、入居する団体に関連する若手作家を中心とした、作品を購入する場をつくろうと思いました。改めて文華連邦がコンプレックスであるということを認知させたいという思いもありました。今後も、2年に一度くらいは全団体が参加して何かをやる企画をすることも、悪くないと思っています。

──文華連邦に入居する団体として、オルタナティヴ・スペース「DOGO」の代表である栗原あすかさんと、監査とアートマネージメントを担当する岡田真太郎さんにもお話をうかがえればと思います。「DOGO」はどのような経緯で入居したのでしょうか。

栗原あすか 「DOGO」は、現在休養中のインディペンデント・キュレーター、番場悠介が立ち上げたオルタナティブ・スペースで、20年6月に文華連邦に加盟して運営を開始しました。キュレーターとアートマネージャーから成るスペースで、スローガンは「美術史に領土を獲得する」としており、若手作家を中心とした展覧会を主催しながら、アーカイヴとしての図録を発行したり、アーティストのマネジメント業務なども行ってきました。

 今年3月には「文華連邦」ではなく渋谷のRoom_412​​で小田原のどか、楠田雄大、小寺創太、佐藤清、百頭たけし​​が参加する展覧会「野山のなげき」​​を開催しました。「戦後美術」というタームと天皇制の取り扱いという問題に切り込むことを志向した展覧会でしたが、このように必ずしも「文華連邦」で活動しているわけではありません。

岡田真太郎 現在は制度的なプロジェクトも進めています。展覧会の期間中に作品の販売権を「DOGO」が作家から預かり、一定期間が過ぎたら作家に返却する、ということを記した書面を制作し、この書面を持っている作家を増やしていく計画です。作品がフリーエージェントであることを書面で証明できるので、その作家がそのギャラリーに所属しているのかわからないという状況を防ぐことができます。将来的には、この契約書を持っている作家だけを集めて、トライアウトのような展覧会もできるのではないか、というアイデアを「DOGO」外部のキュレーターからいただいています。

「DOGO」の企画した「作品販売権不所持証明書」

三原 キュレーターやプロデューサーが主動する「DOGO」が入ってくれたことは「文華華邦」としては非常に大きかったです。立ち上げ当初は参加者にアーティストが多かったので、アーティスト・ラン・スペースとしての色合いが濃かったのですが、そこに「DOGO」が入ってくれたことで、本来やりたかった姿に近づけたような気がしています。

岡田真太郎 また、「DOGO」では代表の番場の方針として「関ったすべての展覧会で紙媒体の図録を『DOGO』として発行する」というものがあります。それを一貫して行っていることは大したことないと思われるかもしれませんが、地味ながらもほかでは聞いたことがありません。

 例えば、「DOGO」で開催した佐藤清の個展の図録は初版100部、増刷100部を発行して好評を得ています。これは、「『DOGO』で個展を行うと『DOGO』が図録を制作発行する」というモデルの基礎になっているといえます。このモデルは貸画廊でもコマーシャルギャラリーでもなく、展覧会と出版とを同時に捉えた番場独自のモデルです。

──アーティストから見た「文華連邦」についても伺います。自身の「佐藤清」という名前の普遍性をモチーフに、そこに介在する匿名性と個別性を問う作品を制作されているアーティストの佐藤清さんに、「DOGO」や「文華連邦」での活動で得たものがあれば教えてもらいたいです。

佐藤清 小さいスペースなので自由にやらせてくれてありがたいというのがありますね。また、購入作品の発送や、ステートメントの添削だったりということを、入居メンバーたちにサポートしてもらいました。

 また、作家が展示のコンセプトを固めやすくなるように、「DOGO」の番場さんは100本以上の論文や資料を送ってくれました。番場さんは作家に対して大変誠実な姿勢を持つ、稀有なキュレーターだと思っています。

三原 基本的に展示について「文華連邦」が主体として動く、ということはないのですが、困っているひとの相談窓口になったり、情報を提供したりといったところは意識しています。また、展示をする際に誰かが使いたいものがあったら、それを共同購入したり、機材をアップデートしたりといったことも行いますね。

佐藤 昔はこのスペース、暖房がありませんでしたが、いまは設置されていて作業の際もかなり快適になりました。僕は11月ごろの展示だったので寒さを凌げたものの、12月以降の展示の方々は大丈夫かな……と心配になっていたのですが、様々な改修がなされており安心したのをよく憶えています。また、自分の展示の搬入時にプリンターが導入され、印刷物の多い展示だったため、会期中もすごく助かりました。

三原 そういった設備拡充の方向性も、みんなで合議して決めるというより、自然と「こっちの方向だよね」といったかたちで決まっていた印象です。

「文華連邦」の内観

──三原さんのお話を聞いていると「文華連邦」が権威化したり、明確な決定権を持つことをできるだけ避けたいという意識を感じます。10年代はアートコンプレックスやアーティスト・ラン・スペースが勃興した時代でしたが、いっぽうで集団における権力の不均衡やクローズドな関係性に起因するハラスメントなども問題化しました。それらを意識したうえでの運営方針なのでしょうか?

三原 そこまで意識していたわけではないですが、立ち上げるときも、空間そのものに名称をつけるか迷ったくらいなんです。結果的に通称があったほうがいろいろ便利なので「文華連邦」と名づけましたが、そのくらいあくまで場として存在することを目的にしたいと思っていました。

 アトリエ時代から数えると、この物件もそろそろ10年くらいになるんですよね。長く続いている要因は力を入れすぎないことにあるのではないでしょうか。アーティスト・ランをやるうえでは力を入れて話題性を演出したほうが良いのかもしれませんが、大きなことをやろうとすると結果的にいろんな人を巻き込むことになり、それぞれの本来の目的から離れていってしまうことも多いです。

 小規模ながらも屋号を持てて、それぞれの負担を分担できるという現在のやり方であれば、人が抜けたときにも新しい人を入れやすいし、私が抜けたとしてもシステムは継続できますから。

──最後に、今後の方針があれば教えてください。

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言時、そもそもこの時代に場所を持っていることがどれだけ重要なのかは考えました。コレクティヴの時代とは、土地の時代とも言えるので、これからの時代に文華連邦をやるうえでフィジカルな物件が本当に必要なのかどうかはつねに問われていくでしょうね。