軽やかでアンコントローラブルなスペースが生む可能性。「TOH」吉田山&髙木遊インタビュー

2021年1月、代々木駅東口にオープンしたスペース「TOH」。「TOH」のディレクションを担っている「FL田SH」の吉田山と、キュレイトリアル・コレクティブ「HB.」の髙木遊に、企画やキュレーションについての考え方についてインタビューした。

聞き手・文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

左から吉田山、髙木遊
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 2021年1月、代々木駅東口にオープンしたスペース「TOH」。2021年1月、代々木駅東口にオープンしたスペース「TOH」。これまでに山内祥太、トモトシ、MES、松井照太、佐藤友理の個展をはじめ、多様性を感じさせる企画を開催してきた。「TOH」のディレクションを担っているアートショップ「FL田SH」(吉田山、ex高田光)の吉田山と、キュレイトリアル・コレクティブ「HB.」(髙木遊、三宅敦大、立石従寛)の髙木遊に、企画やキュレーションについての考え方についてインタビューした。

──「TOH」がいかにして生まれ、吉田さん髙木さんのふたりがディレクションを担当するようになったのか教えてください。

吉田 「TOH」は新型コロナウイルスの影響で空いてしまったテナントを使いアートギャラリーをやるという計画があるぞ! という話を「HB.」のメンバーである立石従寛くんが持ってきて、つながりのあった僕と、「HB.」の髙木遊くん、三宅敦大くんに声がかかり、やんわりと企画のディレクションを担当することになったんです。その後、おもに僕と髙木くんのふたりがディレクションすることになりました。

髙木 僕と吉田さんは、僕が大学院時代にキュレーターとして参加した展覧会を手伝ってくれた縁で知り合いました。企画を手伝ってもらったり、よく遊んだりと、要は仲が良い関係という感じですね。

──オープン以来、インパクトの強い展示企画を立て続けに開催していますふたりはどのように「TOH」の企画をつくっているのでしょうか?

吉田 「TOH」のオープン前から、スペースの方向性や企画のディレクションについて立石くん、髙木くん、三宅くんと色々話していたんですが、コロナによって状況が瞬間瞬間で変化してしまって計画が難航したので、結果として方針をあまり決めない状態でワークインプログレスのように走り出したんです。それぞれが企画を持ち込んで、運営チームレベルではそこまで合意形成をとらずに、お互いが好きなように進めるというかたちに落ち着きつつあります。この方針はまた変わるかもですが。

髙木 多分、吉田さんはFL田SHで高田さんと誰かに見られるための企画をつくるために合意形成をとってきたし、僕も「The 5th floor」と「HB. Nezu」というふたつのスペースでの企画は、がっちりとルールを固めて運用しています。お互い、これまでのそういった活動や理念とは別で、軽やかかつポップなことをしたいということは言っていたんですね。「TOH」はそれぞれのメインスペースに対する、サテライト会場という位置づけです。

 まあしかし、最初は理念をつくりました。「ファインアートオンリー禁止」「呼んだことのあるアーティスト禁止」「ポップなものとのコラボレーション」「ファインキュレーション禁止」といったもののほか、「売っていくことを考える」とも決めていましたね。

吉田 結局僕は、最初に決めた理念をいち早く気にせず「TOH」の企画をつくってきましたが、振り返ってみれば案外理念をなぞっているかもしれない(笑)。

──「TOH」のオープニング企画は山内祥太「第二のテクスチュア(感触)」(2021年1月10日~30日)でしたね。こちらは吉田さんの企画ということです。

吉田 僕は異質なコラボレーションがおもしろいと思っているので、オープニング企画である山内祥太「第二のテクスチュア(感触)」(2021年1月10日~30日)では、タトゥイストでアーティストでもあるARIKAをアサインしました。展覧会では山内祥太との話し合いのなかで、オープニング時に山内祥太自身が背中にタトゥーを彫るというライブパフォーマンスを行いました。

 そのときは結果的にそのようなコラボレーションをすることになったのですが、この後の企画では初めからコラボレーションすることにこだわらず、作家と話し合いでコラボレーションの可能性があるときは考えてみようという感じです。様々なジャンルの交差点のような場所になればいいという気持ちではありますね。

髙木 例えば、僕が担当した「Faded Yah Man」(4月17日~24日)は、OASISII(京都拠点の古着屋) とKazumich Komatsuによるパーティーのような企画でしたが、出演アーティストはほとんど美術畑ではなかったし、毎回企画によってオーディエンスが違うのもおもしろいと思っています。

山内祥太「第二のテクスチュア(感触)」(2021、TOH) 撮影=竹村晃一
「Faded Yah Man」(2021、TOH)のイベント風景

──代々木という土地は有名なギャラリーや美術館があるわけでもなく、美術とは遠いイメージもありますが、この立地だからこその自由さもあるのでしょうか?

吉田 外苑前で「FL田SH」(編集部註:現在「FL田SH」は入居していた建物取り壊しのためスペースが無く、ステータスは移転中となっている)をやっていたときよりも、遥かに人が来るので驚いています。平日でも人がたくさん来ますし、山手線沿線の強さですかね。また、代々木駅の東口出口から10秒くらいで着くというのも足を運びやすい理由でしょうね。

 代々木という土地は文化的には荒地ともいえるほど固有の文化的な「におい」が薄いです。例えば原宿でギャラリーをやると、どうしても土地の持つ「におい」に引っ張られてしまうと思うのですが、代々木ではそういう土地性をあまり考えなくてもいいのが良いですね。

髙木 企画の際に「代々木はこういう場所だから」という提案をアーティストにすることもないですしね。土地や建物から企画をつくることがない。スペース自体も真っ白なホワイトキューブなので、なんでもできるギャラリーだと思います。ここまで単純に白い箱だと、その人の色に染まりやすい。

「TOH」の内観 (c)Jukan Tateisi

──企画内容を考えるうえで、ふたりのあいだではどのようなやり取りがあるのでしょうか?

髙木 ふたりのあいだで企画内容のコンセンサスはとらないですし、本当にスケジュールの分担だけですね。

吉田 展示についても、毎回ふたりで話しあうよりも、個人の勢いのまま、そのときの強さをそのまま出したほうがいいという感覚ですね。インディペンデントなスペースなので、来年の企画をいまから決めなければいけないということもないですし。僕も髙木くんも、興味をもったことをするりとやっているような感じです。

髙木 「The 5th floor」や「HB.Nezu」での活動では、しっかりと文章化できるように展示のコンセプトを考え抜いてつくりこみますが、「TOH」ではやりません。「このアーティストなら個展ができるだろう」というフィーリングやバイブスを重視しています。ある種、キュレーションをしないということを決めている感じです。

吉田 僕はそもそもキュレーターとして活動してはないですし、キュレーションという行為についても髙木くんほど切実な問題ではなくて。もちろんアートをすることへの責任は強く感じているので、最終的に髙木くんの言うところのキュレーションとは別の責任のとり方もあるかも? というのはつねに模索しています。単純な事ですが作品を売って作品の存在を担保するとか、この展示を誰に見てもらえれば作家の可能性が増えるか等、毎回企画に応じて考えていくようにしています。

──おふたりがそれぞれ各自で企画を進めるとのことですが、アーティストとはどのようなやり取りをするのでしょうか?

吉田 僕はいったんアーティストの話を聞いて、やりたいことが明確にあれば完全に補助に回りますね。逆にあまり見えていなかったら時間をかけて話し合ったりもする。

髙木 「TOH」は何でもできる、何をしてもいいという場所ですからね。入場料をとってみたり、イベントでアルコール飲料を出してみたり、コンテンポラリーダンサーによる全裸に近いパフォーマンスをやってみたり。かなりざっくり言ってしまいましたが、内容に関して火災だけは気をつけるようにしています。

──MESの個展「DISTANCE OF RESISTANCE/抵抗の距離」は、入場料を徴収しましたが、オルタナティブスペースとしてはあまり見られない試みですよね。

髙木 あれは吉田さんの企画ですけど、会期中に600人くらいが訪れて、びっくりしました。入場料も1000円とそれなりのハードルでしたが、きちんと対価を払って展示を見に来てくれる人がこれだけいるということに励まされましたね。インディペンデント・スペースでの美術展示の新たな可能性を感じさせる企画でした。

 作家ではなく、僕ら企画側がマネタイズする方法ってじつはそんなにないわけです。そうしたなか、入場料というのは今後重要になってくるかもしれません。責任をもって展示を企画しているわけで、それを見るという体験はべつに無料で提供しなくてもいいし、その作法ははやく壊したほうがいい。

吉田 お金を払って鑑賞することで、見る側も鑑賞の覚悟ができるし、スマホで作品の写真やセルフィーを撮るにしても、写真に覚悟が乗るんじゃないかなと思います。

 MESの個展は作品内容の関係もあり、会場は完全に撮影禁止にしたんですよ。展示では多少過激なことをやっていたわけですが、目立ちたいからやっているわけでない。その切実さはSNSに載ると異なる解釈で消費の渦に取り込まれてしまうので……。作品と作家の意図を正しく伝えるために、どのように、どの程度展示を閉じるかを意識することは、今後大事な気がします。新宿の「White House」も会員制のアートスペースですし、参考になりますね。不特定多数のお客さんのために「おみやげ画像」をつくることは、一番大切なことではないですし。

 あと、ほかの企画にしても、多少なりとも客観を揺るがすような展示になるようには心がけているかもしれません。例えばデートでふらっと来てしまった人が衝撃を受けて、もうデートどころじゃなくて展示のことばかり考えてしまう。そういう展示がいいなと思っています。

MES「DISTANCE OF RESISTANCE/抵抗の距離」(2021、MES) 展覧会ビジュアルデザイン=山田悠太朗

──お話を聞いていると、「TOH」は2010年代に国内でも様々に勃興にしたアートコレクティブに対し、また異なる視点での共同作業の可能性を提示しているようにも感じられます。内部でのハラスメント問題や、メンバー間の意見の相違、金銭面での継続の難しさなど、集団で美術を実践することの困難さが指摘されるなか、強固なステートメントとは一定の距離を保ちつつもつながりをつくる「TOH」のあり方は興味深いです。

髙木 何か目的をもって誰かと何かをやろうというのは、やはり難しい側面があると思うんですよね。SNSでの発信も含めて集団と個人が同一視されるし、ストレスが多い。今後もその流れは加速する気がします。相当大きなプロジェクトを動かすのではない限り、自由に個人でやることを前提に「ありがとう」「ごめんなさい」「スケジュールを守る」といった最低限のことを守りながら、コンセンサスはとらない。ハイコンセンサスとも言える組織構造が今後は求められるのかもしれません。

吉田 僕らも「TOH」ではお互いの企画をそんなに手伝いません。みんなでやっていると、どれだけ責任感があっても、結局はなし崩しで仕事が偏ってしまうことがある。「自分しかいないぞ」となると自分の責任のレベルが上がり、やるべきことをどのように達成していけるかを、集中して考えることができる気がします。そのうえで、人に頼るべきところは明確になっていく気がしますよね。

 あと、企画者側にお金が入りにくいという構造も結構問題なのかもしれない。コレクティブの「みんなで」の感覚はわかりますし好きですが、結局は作品や物をつくってある程度消費のシステムに入らないと、生活費や活動費が得られない仕組みにはなっている。企画者が生きていく為には先ほどの入場料を設定するというのはひとつの手かもしれませんね。

髙木 僕は「食べられなくていいから好きなことを言わせてくれ」というスタンスではあったりします。美術って、たしかに守られるべきところは守られてほしいんですが、そもそも守られて然るべきという前提はちょっと違うと思っています。最近の自分の活動は、とりあえずやってから考える、良い意味での諦めの境地になりつつあります。

吉田 なんとなく、最近はふたりくらいが一番いいんだろうなと思っています。一対一くらいがちょうどいいかな、なんとなく。

山内祥太「第二のテクスチュア(感触)」(2021、TOH) 撮影=竹村晃一

──今後の「TOH」の活動方針については、何かしら決まっていることはあるのでしょうか?

吉田 最初はコンセプトを強めに、「10(TOH)」という名前にちなんで10回企画をやったらスペースは解散しようかとも思っていたんですが、結局ステートメントも対外的に発信せずに、ぬるっと始まることになりました。

髙木 ディレクションを担当しているのが「FL田SH」の吉田山と「HB.」の髙木遊だということも、あまり表には出ていませんしね。もっとややこしくして、実態が見えないほうがおもしろいかもしれないとさえ思っています。僕は完全にここでは楽しむことしか考えてないので、それだけですね。

吉田 こんなハイコンセンサスなスペースの動かし方は、人の母数が多くてスピードが早い都会でしかできないのかもしれないと、地方へ行って展覧会をつくるときに気づきました。ものごとのスピード感についてはじっくり考えています。あと、「TOH」に尊敬する方々が見に来てくれるのでプレッシャーも感じます。

 「TOH」はアンコントローラブルな場所ですし、結果的にそれが場所のテーマとなってしまった感覚はあるけれども、アーティストと何かをともにするというのは、台風や気象現象のようにアーティスト自体がそもそもアンコントローラブルな存在なんだと思います。もっと大きく言えば、他人はみんなアンコントローラブルな存在なので、よくわからないことに対しての前向きな関係を大切にするだけ。「TOH」の今後について何か言えるとしたら、そういうことかもしれませんね。