JR田端駅から徒歩10分、都電荒川線・小台駅にかけて、銭湯や八百屋が立ち並ぶ「小台元銀座商店街」。ここに今年3月、「lavender opener chair・灯明」がオープンした。スペースを立ち上げたのは、アーティスト・冨樫達彦と渡邊庸平、露木蓉子の3人。食堂とギャラリーを併設する新たな取り組みについて話を聞いた。
それぞれ独立したギャラリー/食堂をつくる
──まずは、スペースをつくるにいたった経緯から聞かせてください。
冨樫 僕は2016年からオランダ・アムステルダムに留学していて、帰国後に日本で場所を構えようと考えていました。当初はアトリエというよりオフィスのようなスペースを構想していたんですが、キッチンがあって、料理ができて、人が集まれるような場所にしたいと思いはじめて。でも急にそんなことはできないから、お金を生み出すために、食堂を運営することにしたんです。アトリエ+キッチンが、ギャラリー+食堂になったという感じですね。
ギャラリーは「lavender opener chair」、食堂は「灯明」とそれぞれ名前を分けていて、ギャラリーが僕と渡邊、食堂が僕と露木の分担になっているのですが、実際にはすべて3人で運営しています。
──西尾久という場所は、どのように決まったのでしょうか。
渡邊 飲食店をできる物件だとどうしても居抜きが多くて、逆にギャラリーとして使える物件は飲食不可の場合が多いんです。ここはネットで探して見つけたのですが、どちらもOKでかつ家賃が安かったのですぐに決めました。
冨樫 この場所はもともと花屋さんだったのですが、まず天井を抜いて、トイレも移動させて、キッチンはほとんどいちからつくりました。クラウドファンディングで賛同者を1ヶ月くらい募集して、150万円ほど集まったので、それを改装の資金に充てています。
露木 クラウドファンディングをしていなかったら、まだお店はオープンできていなかったと思います(笑)。
──オープンの時期は新型コロナの流行の直前だったと思いますが、影響はありましたか?
冨樫 正式にオープンしたのは3月5日で、コロナに関するニュースも少しずつ出ていた頃でした。当初のお客さんには美術の関係者はほぼいませんでしたが、地元の人がたくさん来てくれましたね。初めは地元の常連さんたちがいなかったら、経営的にかなり厳しかったと思います。周辺は下町なので気さくな人が多く、カウンター席ということもあって、お客さんと話す機会が増えました。
──これまでにはセザール・ブラン「The air we breathe, the food we eat.」、川角岳大「ミクリ」といった個展や、冨樫さんと渡邊さんの2人展を開催されています。現在も斎藤玲児さんの個展「24」が開催中ですが、ギャラリーで展示する作家はどのように選んでいるのですか?
渡邊 毎回堅く決めるというよりは、「この人はどうかな?」という感じで、3人のおしゃべりからスタートすることが多いかもしれません。自分たちの身の回りにいるアーティストや、冨樫がアムステルダムに留学していたときに出会った友人も紹介したいと考えていますが、コロナでいくつか中止になってしまった展示もあります。
──常連のお客さんは作品も見てくれたりするのでしょうか。
露木 最初は作品をほぼ見てくれなくて(笑)。でも週に何回も来てくれる方だと、ようやく「なんかやってるかも」ということに気づいて、ちらっと見て帰ることはありました。
──必ずしも、ギャラリーと食堂の双方を楽しまなくてもいいわけですね。
冨樫 そうですね。僕はいろんな人に美術を見てもらおう、という気はあまりありません。食堂とギャラリーが無関係にそれぞれやっているというのが良いと思っていて。ご飯を食べて、あるいは展示だけ見てすぐ帰るというのでもかまわないんです。最初はギャラリーと食堂になんらかの仕切りをつくろうか考えていましたが、空間がつながっていながら、それぞれ自立した活動をすることに意味があると思いました。
──冨樫さんはアーティストでありながら、食堂の料理も手がけられています。食堂とギャラリーをやってみて、自身の創作にフィードバックはありましたか?
冨樫 もともと料理のように作品をつくりたい、という考えがありました。アムステルダムにいたころは、ちょうどバイオアートや発酵が注目されていて、「スタジオ・オラファー・エリアソン」の料理本も出ていました。それらに面白さを感じる反面、あまりパフォーマンスのようにせず、料理は料理としてあったほうがいいのではないか、という結論にたどり着いて。
どちらかというと、ゴードン・マッタ=クラークの「FOOD」のようなものが良いなと思ったんです。都市計画やコミュニティのつくり方についての実践という面もありますが、そこでは「普通に料理をする」という軸が大切だったのではないかと思います。僕も日々キッチンに立つなかで、料理からインスピレーションを受けています。
「食堂」である意味
──いわゆる飲み屋ではなく、食堂というコンセプトで「灯明」を始めた理由を教えてください。
冨樫 ひとつは、僕の実家が米農家なので、ここでは実家の米を使っています。だから、お米を食べる場所としての「食堂」という位置づけは大切にしたかったんです。
もうひとつは、何時に何を頼んでもいい、というのが僕のなかでは重要で。例えば飲み屋に行って、いきなりご飯物は頼みづらいじゃないですか(笑)。だから、そうじゃないお店があったらいいなと思っていて。実際にやってみると難しい部分も多いですが、それぞれがバラバラに好きなものを食べたり飲んだりできる場所をつくりたかったんです。
渡邊 一発目にお茶漬け!って言ってくれる若い子も結構多くて、食事の場所として定着している気がします。
冨樫 アムステルダムに留学していた頃は、学生寮のようなところに住んでいて、同じフロアに色々な学校の人が集まっていました。日本だと友達とは外食することが多いと思いますが、海外では家に人を招く文化がありますよね。それで何か集まりがあると、30人くらいを相手に、とにかくずっと料理をつくっていました。
最初は英語もできなかったんですが、料理をしていると、喋らなくていいのに「自分が場をつくっている」という感じがして。料理の修行をしたわけではないので、家で食べるようなものをつくるんですが、逆にそういうのがすごく喜ばれました。言葉の代わりに友達をつくるツールにもなっていましたね。しかも作品と違って、食べた後に「これはどういう意図なの?」とか聞かれない(笑)。美味しかったらそれでいい、というのがいいなと思いました。
──レシピもすべて自分たちで考案されているのですか?
露木 そうです。メニューには冨樫の出身地である山形の郷土料理が多く、「ぬた」やがんもどきが人気ですね。冨樫に「旅行に行ってこういう料理を食べたんだけど」と話すとつくってくれて、全然違うものが出てくるときもあるけど、それが美味しかったりもして。そうやって、メニューは試行錯誤しながら考えています。
冨樫 祖母のレシピを真似することもあるし、郷土料理には知恵やアイデアを感じられるのが良いですよね。
今後の展望
──オープンから半年ほど経って見えてきたことや、今後の目標などはありますか?
渡邊 ギャラリーでは「良い展示をする」ということを心がけたいです。壁も2面しかないので、このスペースをうまく使う方法を模索しています。
露木 他の先輩たちと話す機会が増えて、「続ける」ことってすごく大変かも、と思いました。1~2年だったらやれることも、5年、10年経ったら難しい部分もあるはずです。でも、とにかくできるだけ続けていきたいですね。
冨樫 僕の知り合いでリトアニア人のアーティストがいるんですが、彼女は昔リトアニアにあったユダヤ人のコミュニティについてリサーチしています。ホロコーストが起こる前は、ユダヤ人によるベジタリアンのレストランや、ベーグルのお店がたくさんあったそうで、リサーチするうちに彼女もベーグルを焼けるようになったんです。例えばそういう風に、キッチンもギャラリーの一部として使えるような企画ができるのではないかと思います。
あとは、ギャラリーはギャラリーで、食堂は食堂でキュレーションするというアイデアもあります。アーティストには料理好きな人も多いので、1ヶ月は僕じゃなくて誰かがキッチンに立つとか、そういうこともできたらいいですね。
──将来的にはレジデンスも考えているとうかがいましたが、それについてはどうでしょうか。
冨樫 単純に、海外の作家もたくさん日本に来ているのに、日本の作家とあまりコンタクトがないですよね。海外だと家に人が泊まれるスペースがあるけど、東京の家は狭いので、物理的に人を泊められないというのを歯がゆく感じていて。ご飯はここで食べられるので、あとは泊まる場所があれば過ごしやすいと思ったんです。
──最後に告知などがあればお願いします。
露木 私は年明けにここで個展をして、1年前くらいから制作をはじめたカーペットの作品を展示する予定です。元々ニットを編んでいたんですが、服をつくるための設計図がどうしてもできなくて。でも毛糸を触りたい!と思ってつくりはじめたのがきっかけです。
渡邊 lavender opener chairでは10月1日から、ロンドン在住のウィル・ペックによる個展「Air Sensor」を開催します(11月9日まで)。ウィルは、デジタル・アナログを問わず様々な「デバイス」を用いて制作するアーティストです。本人の来日は叶いませんが、見に来ていただけたらうれしいです。