リサーチやフィールドワークを重ね、自らの経験を題材にした映像作品などを手がける青柳菜摘と、レクチャーパフォーマンスを主として「語り」の実践を行う佐藤朋子。ふたりのアーティストが2020年4月から、Twitter上で物語やその断片を読み語る「往復朗読」を日々途切れることなく行っている。東京・池袋のコ本や honkbooks(以下、コ本や)のオープンスペースtheca(テカ)で開催された展覧会「TWO PRIVATE ROOMS – 往復朗読」(11月17日〜12月6日)に際して、話を聞いた。
──青柳さんは、清水玄さん、和田信太郎さんとともに「コ本や」を主宰されています。「往復朗読」は、コ本やと佐藤さんによるパフォーマンス・シリーズの共同企画「サークル・ナレーティング」の一環として行わているものです。またおふたりは、東京藝術大学大学院映像研究科が主催するノンディグリー・プログラム「RAM Association」にも関わっていますね。
青柳 コ本やでは、大岩雄典さんとフィクションや物語についての研究会「雪火頌」、オル太とのドローイング・パフォーマンス「Daily drawing, Daily page」など、アーティストとの共同企画としてプロジェクトを展開しています。企画は、コ本やに遊びに来てくれた人との立ち話がきっかけになることも多いですね。
佐藤 RAM Associationでは、青柳さんと共同で「石のエクリチュール」というプロジェクトを立ち上げています。文芸的な観点から芸術表現について再考する集まりとして、勉強会やワークショップを開催しています。
コロナ禍で生まれた「往復朗読」
──「往復朗読」は、緊急事態宣言が発令された直後の4月20日にスタートしています。このプロジェクトが生まれた経緯を教えてください。
佐藤 「言葉」や「声」を表現のメディウムとする実験場をつくるために、定期的にパフォーマンスを行う「サークル・ナレーティング」という企画を2019年からコ本やと共同で始めました。昨年12月の1回目ではアーティストの関川航平さんに参加してもらい、2回目は今年3月に開催を考えていたのですが、コロナ禍で会場に集って発表することは難しくなってしまいました。そこで、せっかく始まったこの実験の機会を止めずに、いま何かできないだろうかと話し合い、「相手が読んだものを受けて朗読する」ということだけを決めて、それ以外のルールや終わりを設けずに、共同で主催する青柳さんとスタートしたのが「往復朗読」です。
青柳 4月頃はTwitterで、新型コロナウイルスについて恐怖心を煽るようなツイートが続いていて、日常的なつぶやきや制作の風景などもタイムライン上に見えづらくなっていましたよね。そんな状況下で何か異なる流れをつくれたら面白いのではないかと思い、SNSのなかでも「言葉」や「声」の要素が多いTwitterという場でやってみることにしました。
──はじめは家のなかで朗読されていましたが、だんだん外に出ていったり、本ではないものを読んだりと、その月の状況とリンクしたパフォーマンスになっていくのが印象的でした。
佐藤 例えば、6月5日(W.B.イエイツ(井村君江訳)「黄金時代」『ケルトの薄明』)は、緊急事態宣言後ほぼ初めて遠くへ行き、屋外で朗読をしたので、道路を走る車の音に負けないように大声で叫ぶように朗読しています。7月1日の落語(桂九雀「元犬」『特選落語全集』(MBS))のときは枕のようなフリートークを入れ、自分がいま発している言葉と、方言という異物な他者の言葉を行き来きさせてみました。8月は遠方にも出かけたので、その地の新聞や地図を読んだり、9月にはそれまでなんとなく避けていたペスト関連の書籍も朗読したりもしました。日常が戻ってくるにつれて配信時間がどんどん深夜になっていったのも印象的ですね。
──展覧会のステイトメントには「何を読むかはその日次第で、まるで交換日記やカラオケの順番待ちのように応答に応答していくことで、往復する朗読に起伏を与えていく」とあります。実際に朗読する本は、日々どのように選んでいたのでしょうか。
青柳 前日の朗読から読んでいる内容に応答することもあれば、映像の撮影方法に触発されて考えることもありました。初めて読む本もとても多かったです。同時期にコ本やでは、お客さんの「最近気になっている2つのキーワード」をもとに選書する〈2 KEYWORDS〉、通称「古書パック」という活動も始めていたので、選び出すために店頭に並ぶ本のあらすじや目次に目を通していました。ふと本のタイトルや、どこを引用するかピンと思い浮かぶこともあって、「往復朗読」を通してよりたくさんの本や言葉を知る機会にもなりました。
佐藤 私は「青空文庫」でキーワードを検索して読むことも多かったです。前日の朗読を聴いてから古本屋に行き、そこから次の本を選ぶということもありました。私自身が新しいものに出会っていくことも大切な要素でしたね。
──ゲストが参加する回もありましたね。
佐藤 朗読は、書かれたテキストを声に出して読むという、誰にでもできるシンプルな行為ですよね。朗読であれば、普段からパフォーマンスをしていない人にお願いしても、声の連なりをつくっていけるのではないかと思いました。選ぶ内容や発話の仕方がそれぞれ違うので、私たちも新しい刺激を受けることが多かったです。
青柳 荏開津広さんによる朗読が印象深いです。そこからいままでとは違う流れが生まれ、映像を再生しながら現れる言葉を読んだり、路上やネットの地図を声に出してみたりと、「朗読」の対象を広げるきっかけになりましたね。
未来の観客に向けて読み語る
──Twitterでは、Periscopeというアプリを使って配信されていました。リアルタイムで見る人だけでなく、後からアーカイブを見る人もいると思いますが、観客との関係性についてはどのように考えていましたか?
佐藤 Periscopeでは、配信を見ている人の人数がリアルタイムで表示されるんです。また、アーカイブが残っていくので、未来にもこの声を聴く人がいる。画面の向こうの見えない観客と、青柳さんに向けて声を発しています。
青柳 「往復朗読」には、映像のフレーミング、画面のなかの動き、朗読する本、その読み方、声の出し方など遊びの要素が豊かで、毎回新しいことをできるだけしてみたくなりました。ライブ配信なので読み間違えることも多く、動きが止まってしまうその様子も記録されます。だからこそ、より実験的なことをやってみようと思いました。そういう些細な行為や日々の挑みに対して、いつも目撃者がいるというのは面白く、翌日の読み手がどう読むかを意識して朗読することも多かったです。
──青柳さんは小説を発表されていたり、佐藤さんも「語り」をテーマにされていたりと、おふたりとも作品のなかで「言葉」が重要な要素になっていますね。「往復朗読」を通して、言葉と、それを読むことに対するとらえ方の変化などはありましたか?
佐藤 普段のパフォーマンスでは基本的に自分で書いた台本を読んでいるので、自分以外の人が書いた言葉を読むことはほとんどありませんでした。引用して紹介することはたまにあったのですが、自分の言葉ではないこの声を、どのように発話していいのか悩んでいました。初めは毎回震えるくらい緊張して、書かれた言葉に忠実にならないと、という気持ちが強かったです。でも青柳さんの朗読を聴いて、自分でも発話をして、という循環のなかで、気がついたら自分の外側である青柳さんや、朗読する文章によって自分が振り回されていて、変容していく面白さに気づきました。
また、言葉の意味だけでなく、音自体の面白さもあります。漢字や他言語も、きっと聴いている人は頭のなかで違う変換をしてしまうけれど、鼓膜を通して音で伝わっていく。会えない画面の向こうにいる観客や青柳さんと身体がつながれているように感じました。自分とはまったく違う誰かの言葉を実際に声に出して読むことで、自分ではない誰かを自分のなかに受け入れる、朗読というものはそういった行為を孕むのだと思います。
青柳 私はこれまでも作品のなかで、自分のテキストをナレーションとして読んできましたが、朗読として意識したことはありませんでした。つい最近の往復朗読では、11月12日に読んだ詩人・河野聡子さんによる「パンダ・チャント」は、それまで散文的な詩の印象でしたが、声に出して読んでみるとラップのビートが想像されました。朗読によって、音のない活字に内在する、異なるリズムが表れてくるということもわかりました。
公開制作から展覧会へ
──「TWO PRIVATE ROOMS – 往復朗読」は、4月から10月末までの「往復朗読」の意味を問い直す展覧会です。
佐藤 「往復朗読」は、終わりを決めずにスタートしたのですが、途中で「公開制作」として位置づけてみることにしました。公開制作もおよそ半年が経ったところで、毎日の往復だけではなく、日常がどんどん変わっていったこの半年を振り返ってみたい気持ちが湧いてきたんです。展覧会は到達地点ではなく、振り返りのひとつのかたちでもあります。毎日の朗読の連なりや、月日を経ることによる私たち自身の変化は、概観するとどのように見えるのか。Twitterのタイムライン上に流れる映像と、ギャラリーというノイズの少ない空間で映像を観ることでは、まったく経験が異なります。一定期間を振り返るためには、その違いが必要でした。
──実際の朗読の映像以外にも、おふたりのiPhoneのカメラロールをスクロールする映像など、新しい要素がいくつか組み込まれていますね。
青柳 「往復朗読」の配信はスマホで撮られていて、それを見る多くの観客も同じようにスマホを通して視聴していると思うのですが、パンデミックが落ち着き、何年か経ってから見返したときには、タイムラインのそうした切迫した空気感は抜け落ちて、映像のデータだけが残るだろうと思いました。そこに映し出されるものは何なのか。今回、展覧会にするにあたって、SNSも含めてスマホをモチーフにしたいし、撮影/視聴のデバイスとしてのスマホを会場に取り込みたいと思いました。配信をしていた私たちの部屋の景色や日付・時間を重要だと考え、展示や情報の羅列ではなく、この「往復朗読」の記録から新たな時間としての「暦」をつくることを企画してみました。
佐藤 展覧会には、「往復朗読」とは違うタイトルをつけようと議論を重ねました。本来、パフォーマンスや朗読は公の場所で行われることが多いですが、「往復朗読」におけるパフォーマンスは、あくまで日常の生活のなかで、個人的な場所からほかの個人に向けて表現していたことが特徴です。個人的な場所から個人的な場所につながるという意味で「TWO PRIVATE ROOMS」というタイトルにいたりました。
──展覧会以外にも、アーカイブを制作する予定などはありますか?
青柳 ひとつの映像作品にしてしまうと、ライブ配信だったことや、スマホを使っていたことなどが削り落とされてしまう。また、毎日続けるということも要素のひとつなので、そこを抜きには作品にできないと思い、いまでもよい方法を考え続けています。それと別に、展覧会以外のアイデアとしては、早い段階から本という形式でのアーカイブ化のアイデアも出ていました。
佐藤 青柳さんが「暦」の話をしていましたが、「往復朗読」という日常のなかの実践が積み上がってできた「暦」を、どのようにかたちにできるのかは、いまも模索しています。今回は展覧会というかたちにまとめてみましたが、本をはじめとして、より多様な形態が生まれそうな予感がしています。
完成を目指さない、流動的な制作である「往復朗読」において、アーカイブや完成形のかたちも流動的にならざるをえないのかもしれないとも思います。私たちにもまだ何ができるのかははっきりとわかっていませんが、新しい制作の手つきとして、楽しんでいきたいと思っています。