彫刻とジェンダー、美大の状況。 アーティスト・笠原恵実子インタビュー
シリーズ:ジェンダーフリーは可能か?(6)

世界経済フォーラム(WEF)による2018年度版「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は「調査対象の149ヶ国中110位」という低順位であることが明らかになったが、日本の美術界の現状はどうか。美術手帖では、全11回のシリーズ「ジェンダーフリーは可能か?」として、日本の美術界でのジェンダーバランスのデータ、歴史を整理。そして、美術関係者のインタビューや論考を通して、これからあるべき「ジェンダーフリー(固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること)」のための展望を示していく。第6回では、西洋を起源とする制度や二元的思想への疑問を発端に作品制作を続けてきたアーティスト・笠原恵実子に話を聞いた。

構成=杉原環樹

La Charme #3 2004-05 第14回シドニー・ビエンナーレでの展示風景

神話的な身体性への疑い

━━笠原さんはこれまで女性の身体やジェンダーに関わる作品を多くつくられてきました。最初にこうしたテーマに関心を持ったのは、いつだったのでしょうか?

 初期の制作は、女性の身体やジェンダーへの意識をはっきりと自覚したものではなかったと思いますが、それでもいま振り返ってみると、多摩美術大学の大学院在籍中に制作を始めた《A Flower of Stone》シリーズ(1987-91) にはそういった傾向は現れていたと思います。

A Flower of Stone 1990

 この作品は、領主からの様々なオーダーをこなす才能ある石工の若者が、俗世から離れ、石の女神が住む山に入る決心をするロシア民話「石の花」をモチーフとしています。子供の頃に読んだこの話のなかで、社会から隔絶し永遠に自分のつくりたいものだけを彫刻すると選択した石工の目の前で、木も花もすべてが石でできた世界へと立ち変わる場面があり、私は大きなインスピレーションを得ました。インスタレーションは、大理石で彫った花が設置されるショーケースのような彫刻、広告用のプリント方法を用いた花のイメージ、そしてチョコレートの包み紙にあった花に喩えられた愛の言葉の3つの要素で構成されています。

 私は彫刻の持つマッチョな側面や、美術の世界にある肉体性への神話的解釈に疑問を持っていました。社会や政治、日常生活から隔絶して制作に邁進する石工の物語を題材にしたのもそのためです。当時、私はまだ完全な発注制作を行っておらず、作品中央にある花は自身で制作していますが、肉体の介在をできるだけ無意味化することを考慮しました。物語のなかで登場する石の花は、凍結したかのように現実から切り離され、意味が欠落した彫刻の象徴としてあります。その花のあり方を再現するためには、私(作者)の手の痕跡をなくしたかったのです。

━━彫刻科は美術大学のなかでもとりわけ身体性の強い学科だと言えますが、アーティストの身体の神格化はやはり強かったのですか?

 そうですね。時間をかけて自分でつくる者が偉いというか、そういう力技や根性論に近いことが当然のように語られていたと思います。でも、もう、そういった価値観を逸脱した彫刻の概念があることも私は知っていました。高校時代からマルセル・デュシャンやギルバート&ジョージが好きでしたし、ブルース・ナウマンやリチャード・セラのように、パフォーマンスや映像を通して身体をひとつの物体ととらえ、彫刻の概念を拡げる動向はすでに広く知られていたのですから。

 しかし、日本の美術大学では当たり前のように石膏デッサンや人物デッサンといった古典的なかたちの把握のみが重視されていて、そこに多くの時間を費やして入学してくる学生が多くいる。そうしたことに対する違和感は強かったと思います。

This Sentence 1991

━━大理石を彫った花の形は、同時期の《This sentence is not composed of eight words》(1991)でも用いられていますね。

 この作品でも《A Flower of Stone》同様、極力作者の手の痕跡をなくそうとし、パラドキシカルな世界のあり方を構築しました。

 展示室の壁には「This Sentence is not composed of eight words」という文章があります。これは、8個の言葉から成立していながら、「この文章は8個の言葉から成立していない」を意味した、パラドクスを示すフレーズです。設置された八角形の箱四つの取手部分には、「BODY+MIND」「IDEA+FACT」「LOVE+HATE」「HOPE+FEAR」と相反する4文字言葉のペアがそれぞれ彫られており、8に象徴されるパラドクスを示唆しています。箱の中は全面鏡で覆われており、中を覗けば鑑賞者の鏡像が連続してつながっていきます。

 しかし、私がこの作品で重きを置いた部分は、見ることができない部分でした。それは、対義語によって示される二元的世界のあり方を箱の構造とすると、その閉じた箱の中でカレイドスコープのように永遠に続いていく鏡像の部分です。90年代初頭から頻繁に海外との行き来をし始めた私にとって、エイズや人種問題などは大きな問題でした。そういった意味で、このとき選択した対義語はどれも切実なもので、例えばbodyという言葉を入れたとき、そこにはLGBTやジェンダー問題につながる意識がありました。

笠原恵実子

「対象物」としての自己を作品にすること

━━その後、ともに1993年の作品である《Subjectified Object》や《Three Types》になると、より身体を思わせる形態が現れてきます。

 《Subjectified Object》は、はじめて発注制作をした作品です。当時フランスのレジデンスに滞在していた私は、時間を持て余してルーヴル美術館によく行きました。そこには、当然のように女性の彫像が、それも自分が日本で彫っていた大理石できたものがたくさんありました。私は「この部屋にはお尻が○個、おっぱいが○個」といった風に、ゲームのように女性の彫像や女性鑑賞者の身体部位を数えていく遊びを行っていました。

 しかし、冗談のように始めたこの行為が、女性を対象物として見る視線を問題とする作品の構想へとつながっていきました。ある日、私は彫像や他者としての女性だけではなく、自身の身体も数に入れようと思い立ち、自分の胸を見下ろし、彫像や他者の身体を見るときに発見される形と、主体である自分が自身の身体を見るときに現れる形が大きく違うことに気がついたのです。

Double Sink #2(「Subjectified Object」より) 1993

 他者としての女性の乳房は、丸く中央あたりに乳首があるものですが、自分の乳房の形は突起のある稜線のような形です。対象物が客体か主体かで変わるこの形状の違いに私は興味を持ち、自身が見る胸の形をもととした作品をつくることにしました。そして、「Objectifying gaze(女性をものとして視る視線)」というフェミニズムの文脈で語られる言葉を意識し、「Subjectified object(主体化された対象物)」という造語をつくりタイトルとしました。

 女性差別において、「オブジェクト化(Objectified)」は大きな問題です。美術の歴史でも女性はつねに他者として描かれ、対象物として扱われてきた。もちろん、女性が女性を対象化することも可能ですが、そうではなく、女性が女性を主体のままに見る行為を発端にオブジェクトを生成することが、この作品のポイントでした。

 というのも、女性のオブジェクト化が否定すべきものであることは自明ですが、いっぽうで、性別に限らず自分の商品価値を上げないと市場価値が保たれない経済体系のなかで私たちは生きているからです。他者が判断する対象物としての価値が重要とされる状況のなかで、主体の視点でさえ対象物、オブジェクトとして集約されていくことに、私は強いリアリティを感じたのです。

━━作品では、モチーフとして教会の入口にある聖水桶も扱われていますね。

 当時は美術館だけでなく教会もたくさん訪れましたので、そこで日本ではあまり見慣れない聖水桶を発見しました。宗教的な先入観なくそれらを見ていくうちに、私はその形が自分の胸を見下ろして発見したものと重なっていくことに気がつきました。

 キリスト教には象徴的な2人の女性、性行為をすることもなく神の子を授かる清らかなマリアと、男性の肋骨からつくられ原罪を招いた原因となるいやらしいイヴが存在し、その極端な二元論が女性の社会的地位向上を長い間妨げてきたのだと思います。そういったことを考えても、教会の中で発見した聖水桶の形と女性が視る自身の胸の形の相似することはとても興味深いものだと思いました。さらに、聖水桶には水が入ってないことや虫が浮かんでいることもあり、その打ち捨てられている感じが、汚れた手を洗う流しの形へもつながっていき、作品のコンセプトとして固まっていったのです。聖水桶だけに限らず、この頃の私は教会で様々な備品を興味深く眺めており、その後の作品、例えば《Offering》(2005-14)の発想へとつながっていったのだと思います。​

Three Types 1993

​ 《Three Types》という作品も、自分の視点のオブジェクト化を試みたもので、身体とベッドを一体化したような形状となっています。フレームには私の肌の色に近かった楓を使い、マットレス部分に3つの穴が造られています。口と女性器と肛門を象徴的に示している、それらの内部は体内の肉と同じ硬さのシリコンでできていて、化粧品のコンパクトのような蓋を持つステンレス容器の中身として取り付けられています。

Three Types 1993

 「3つの型」という意味のこの作品タイトルは、女性の身体において外部と通じる3つの穴を意味する同時に、ヘテロセクシャル・バイセクシャル・ホモセクシャルの3つのセクシャリティでもあります。また、人が生まれ、性行為を行い、死んでいく3つが連関する場所がベッドであり、これらの文脈がこの作品のコンセプトを構築しています。《Subjectified Object》《Three Types》の頃から、私は自分が女性であることや、その意味、社会的あり方を意識して作品化していたと思います。

 

二元論の境界としての子宮口

━━《Three Types》における穴は、子宮口の写真で構成された1997年の《Pink》を連想させます。《Pink》は笠原さんの作品でもとくにラディカルなものですが、どのように構想されたのでしょうか?

 《Pink》はアメリカに住み始めたときに制作した作品で、撮影は日本で行っていますが、アイデアはアメリカにいたからこそ出てきたものだと思っています。

 発想は、さきほどの《This Sentence》に近いものです。つまり、「body」と「mind」のような二元論に対して、二項目の境界線上にある領域を思考することを試みています。

 作品構想には大きく分けてふたつの理由がありました。まず、子宮口という女性の身体部所への興味です。子宮口は膣と子宮の中間に存在しますが、女性の生殖器を語るとき、先ほど話に出たマリアとイヴのように、性行為を象徴する膣と生殖を象徴する子宮といった二分された「性/生」のみが語られ、その境界線上にある子宮口は語られません。私はこの作品で「性/生」の2つの力が重なり合う境界として、子宮口を可視化したかった。

 また、「ピンク」という色の持つ二元的意味性も私の大きな興味でした。ピンク色は、とくに日本では、短い期間で散っていく桜の刹那的な美しさを多くの人に連想させるでしょう。それが女性の処女性を美徳とする価値観にもつながっていく。しかし、美しく大事で可愛い色であると同時に、ピンク産業、ピンク映画といったように、ピンク色は性産業を示す色としても強く認識されている。可愛い女の子に着せたいと思う美しい色であると同時にとてもいやらしくて人工的なピンク色は、子宮口同様に清らかでいやらしいといったふたつの象徴性が重なり合う場を意味しています。

Pink #1 1996/2001

━━被写体はどのように探したのでしょうか?

 日本に帰国するたびに、レクチャーをしたり友人たちに話しをつなげてもらったりしながら参加していただける女性たちを探しました。それと同時に、プロジェクトを行っていただける婦人科の先生を、知人の医師に紹介してもらって探していきました。当初は不可能に近いとも思えましたが、なんとか婦人科の先生と自分も含めて25人の10代〜50代の女性を集めることに成功しました。

 そして、私が医療費を負担した上で、彼女たちに子宮頸がんの検査を提供し、その際に医療用カメラで医師によって写真撮影が行われました。あえて白黒ネガフィルムを用いて、撮影後にすべてのイメージをコンピュータに取り込み、最後にピンクの色付けを行いました。すべての女性に同じピンク色のユニフォームを着せるような意味を持たせるためです。

 《Pink》は私にとってとても大きな意味を持ったプロジェクトでした。それまでの彫刻的3次元表現とは違った写真を扱ったものであったし、手伝っていただいたお医者さんや参加していただいた女性たち、また彼らを探す協力をしていただいた友人たちといった多くの他者と協働した最初のプロジェクトでした。ひとりでスタジオでつくるアートと違い、その過程ではコントロール不可能な予期せぬことが起こり、とても刺激的でした。

 もしアメリカでモデルを募集したら、そんなに困難ではなかったと思いますが、日本で参加女性を探しているときには「自分はやりたいけど夫に否定された」「彼氏にダメだと言われた」といった話を何回も聞きました。顔を絶対に見られたくないという人も多く、日本の女性の背後にある状況が垣間見られる気がしました。女性が自分の意思でやりたいと思ったことを、周囲の人が止める状況や、女性の身体に対する社会的タブーの強さが浮かび上がってきたのです。

 

海外で得た距離感と、カテゴライズの問題

Pink #1-#9 1996/2001 「揺れる女/揺らぐイメージ」展(栃木県立美術館、1997)での展示風景

​━━この作品は、小勝禮子さんが企画した「揺れる女/揺らぐイメージ」展(栃木県立美術館、1997)にも出品されましたが、展示への反響はどのようなものでしたか?

 「ただの子宮口の写真じゃないか」とか、「いやらしい」とか、批判というより強い拒絶もありました。でも、私のなかでこの作品は、ただ性的な問題を扱ったものではなく、カラーフィールド・ペインティングのような、美的強度の強い作品なんです。鑑賞者が吸い込まれるような感覚もあり、体内を宇宙のように描いた映画『ミクロの決死圏』(1966)のようなサイエンス・フィクションも意識していました。顔がみんな違うように子宮口もひとりずつ形が違っていて、さらに同じ人の子宮口でも、体調やその日の状態によって形態はまるで異なります。つねに動いている体内のその流動性は驚くべき発見であり、固定化された性の価値観やジェンダーのあり方は退屈なものであると、あらためて認識しました。

━━ちなみに、さきほど「《Pink》はアメリカにいたからこそできた作品」とおっしゃいましたが、渡米によってジェンダーに対する意識が変わったということですか?

 ジェンダーについてというより、変わったのは家族との距離感だったと思います。とくに母親との関係ですね。私はリベラルな教育を受けて育ちましたが、それでも戦中の世代の彼女と私とでは、とくに性に対する認識やフェミニズムに関する考え方が大きく違う。作品ではリベラルなことができても、実質一番身近な女性である彼女の前で当たり前に振る舞えないことも多く、そこには大きな疑問を抱いていました。

 私にとってジェンダーの問題は、自分の足場を固めるのに少し時間がかかったのだと思います。美術大学でロールモデルとなる女性作家から学べたわけでもなく、活動を始めて間もない頃、私はまだ自分の成長や日常性と作品との折り合いをつけるのに苦労していました。そんな状況で、《Pink》を構想できたのは、日本との物理的な距離ができたからだと思います。

━━自分の創造性と現実の人間関係とのギャップは、多くの人が抱える問題でしょうね。

 そうですね。ところで、アメリカに移ってもうひとつ気づいたことは、女性であること以上に日本人であることを意識して話すことが求められた、ということです。自分の肩に乗った日本人というカテゴリーは注目される属性であると同時に、私を限定するネガディブな要素でもあることに、私はわりと早い時期に気づきました。周囲を見回してみても、そうした側面が渾然一体としてアート作品の商品価値となることは避け難く感じられ、残念に思いました。これは多様な人種の存在が見えづらい状況の日本では感じなかったことですね。

 ただ、女性であることに関しては、アメリカでは女性作家も多くそれが突出した特徴になることは少ないと思います。日本に戻るたびに、ここでは女性というラベリングが深いものであることを辛く感じていました。

社会の大きな断面を見せる

━━2001年には、カツラに使用される人工毛髪を使用した《La Charme》を発表されました。

 《La Charme》は、髪の毛というとくに女性にとって象徴性の強い素材を用いながら、美/汚、生/死、自然/人工、主体/客体、現在/過去といったいくつもの二元的項目の並列とその境界の可視化を試みた作品で、彫刻的立体と映像、パフォーマンスといった要素が絡んだ複合的インスタレーションです。​

La Charme #1 2001 ヨコハマトリエンナーレ2014での展示風景

​ 髪の毛は頭に生えているときには若さや活力、とくに女性においては性的魅力の象徴でありますが、抜けて床に落ちた途端に汚らしいゴミとされ、老いや死の象徴に変わるのです。私は、同じ髪の毛の持つ両極端な意味性の違いをとても面白いと思っていました。

 また当時、ウィリアムスバーグという、「ハシディック」と呼ばれるオーソドックユダヤ人たちのコミュニティの隣の地域に住んでいました。ハシディックの女性は結婚をすると性的魅力を持つ髪を剃り、カツラをつけて暮らさなければいけないというルールがあります。私は、そんな彼女たちが週に何度か地域のプールで泳ぐ日には、ロッカールームがカツラで一杯になる状況を興味深く眺めていました。カツラを外して楽しげにはしゃいでいる女性たちと、脱ぎ捨てられたカツラの対比は、確実に《La Charme》のインスピレーションとなりました。

 カツラを調べるうちに、カネカロンという世界的シェアをもつ日本製人工毛髪にいきあたりました。遠くから見たら金属製のディスクのようにも見える完璧なまでの輝きを持つこの素材は、本物の髪の毛を確実に凌駕します。その積層によってディスク状の彫刻がつくられているのですが、そのあり方は日本庭園で丁寧に整えられた木立のようで、自然以上に自然がつくり上げられる、そういった日本的美学です。

 展示に先立ちディスク上ではパフォーマンスが行われます。パフォーマーの女性たちは事前に自身の髪の毛を人工毛髪に合わせて染めています。「ポーズ中は陶器の人形のようにオブジェとして存在し、時折ゆっくりとポーズを変え、そのときには主体を持った存在を意識してください」といった指示を行い、枯山水における石や岩が、鑑賞者の解釈によってそのもの以上の意味を持つ可能性なども話をし、彼女たちの理解を深めていきました。

 面白いことに、これまで5回パフォーマンスを行っていますが、言葉で書くとどこか難解な、「客体と主体の間を行き来してその意味を変えていく」というパフォーマンスの内容を、彼女たちはみんな本能的に理解していたと思います。それは、女性たちが日常的に客体であり主体であることを求められているからだろうと思って、資本主義社会のリアリティを生きる女性のしたたかさを感じましたね。パフォーマンスは録画・編集され、インスタレーションの一部として流れています。

 パフォーマーの構成は、展示が行われた場所の社会に生きている人々の構成を映すものになっています。例えば、シドニー・ビエンナーレでは、アボリジニやスコットランドの血を引く方、ベトナム移民の方、レズビアンのカップルなど、多様な女性に参加してもらいました。オーストラリアは歴史的に白人至上主義であった国ですし、そういった背景を踏まえて、全員髪をブロンドに染めてもらいました。

La Charme #3 2004-05 第14回シドニー・ビエンナーレでの展示風景

━━この作品では、ジェンダーだけでなく、人種や移民の問題を扱っている点が新しい展開ですね。

 そうですね。移民や労働者といったことから派生する経済的格差や、社会的役割の違いが複雑に関係し、個々の人々の差異が形成されます。ジェンダーや生物学的性差だけで「女性」という言葉を使って均質化してしまうことは問題ですね。

 作品では、できるだけ「社会の大きな断面」を見せたいと思っています。《La Charme》のパフォーマーを選ぶ際には、その地域をマッピングしようと努力していました。彼女たちの社会的役割や育った背景は作品の重要な要素であり、着る洋服、着けるアクセサリー、いつもの動作が育む彼女たちの様々なコードを、どのように作品に取り組むかを考えていました。自宅を訪ねたり、ワードローブを見せてもらったり、考えていることを話してもらったり、コミュニケーションをとるなかから、彼女たちによって社会の状況を示すことができる記号が見えてきます。

 私はノマド的な生活を長くしていますし、かなり俯瞰性をもった外部者としての視点が強いのかもしれませんね。他者と関係を持ち、観察して分析する行為は制作の大きな楽しみであるし、重要な部分であると思っています。

 

献金箱に見るキリスト教的イデオロギー

OFFERING - Monica 2005

​━━「社会の大きな断面」という意味では、キリスト教の献金箱(offering box)に焦点を当てて約10年をかけて制作された《Offering》は、その最たるものと言えますね。

 《Offering》は、世界各地で撮り貯めた献金箱の写真と、それをもとに制作した彫刻で構成されるインスタレーション作品です。この作品では、その対象とするキリスト教が巨大産業・文化・歴史であるために、作品が「社会の大きな断面」であることは特別強く意識しなければなりませんでした。もちろん断面は大きければ大きいほど良いのですが、さらに、その切り取られた断面ができるだけシンプルな様相であると同時に深遠な複雑さが潜んだ質のものであること。こういった状態が一番美学的強度の高い制作なのだと思っています。そんな意識を持ち始めた頃、最初に出会ったのがイタリアのピサで見た献金箱でした。

 とても美しい木製のその献金箱は建物の中央に設置されていて、まるで上半身を切り取られた優雅な女性像のようでした。私がその献金箱に見惚れていると、老女が背後からやってきて箱中央のスリットにお札を入れました。その日は雨が降っていて、スリット周りにかすかに水滴がついていたこともよく覚えています。彼女が腕を伸ばしてお金を入れたその光景は、とてもエロティックなものとしていまでも私の記憶に焼き付いています。「ここには何かある」と強い直感を感じた瞬間でした。そして、後日私は献金箱の寸法を測りに行きました。

OFFERING(Lucia、Clara、Maria,、Agnes、Theresa) 2011

​ 彫刻となる立体作品は、あえて現実の献金箱の形状を継承して制作していますが、お金を入れる切り込み部分にはヴァギナ的な解釈を加味しています。作品名にも聖女の名前を付け、献金箱と女性が関係することを示唆しています。さきほども言ったように、キリスト教に登場する女性としてマリアとイヴのふたりの存在は大きく、聖女と悪女といった二元論を構築しています。キリスト教のイデオロギーを貫くこうした女性像の文脈を、私は作品にしっかりと含めたかったのです。

 また、献金箱の目的である「donate(寄付)」は、いっさいの見返りを求めずに自身を捧げるという気高く美しい行為としてあるのに、その代替として用いられるのが、とても卑しいとされる金銭であることに大きな興味を持ちました。聖と俗といった相反する意味を持つ寄付行為が、献金箱によって受容され、介在した金銭が見えないように保管されていく。その隠遁された受容性は、女性器をBOX、男性器をSTICKと呼ぶ隠語と相関し、私に女性器と女性の性行為にまつわる様々なタブーを強く連想させました。

 数々の侵略と虐殺を信仰の美徳とともに支えてきた、世界的巨大経済網のキリスト教は、西洋近代の基礎を形成した概念として存在し、その追従から社会を構築している日本のような国においても、宗教的背景を共有しなくても、絶対的影響力をもっていると言えるでしょう。相反するに項目が同時に存在するキリスト教的思考体系と女性の身体の相関性は、《Offering》のコンセプトの根幹を形成しています。

 

フォルムを通した世界の発見

━━献金箱という具体的なものを通して、その広がりが見えるのが面白いですね。

 《Subjectified Object》の聖水桶もそうですが、私は、実際に存在するオブジェのフォルムからその背景にある政治的・社会的・歴史的な背景を探索していくような行為に興味をもっています。様々な要因を発見していく過程を通して、「社会の大きな断面」がつくられていくことは、とても刺激的です。

K1001K 2015

​ 《Offering》の後、私は《K1001K》や《TSR14》(ともに2015)という作品に携わりました。両作品とも、《Offering》で深く考察した植民地主義に由来していて、それらはとくに日本における植民地主義や旧満州への越境を調べるなかから制作されました。

 金属不足が深刻だった1944年当時の日本では、全国の窯業所で直径8センチの球体に2.5センチほどの小さな口の付いた陶製手榴弾容器が大量発注されましたが、使用されることがないままそのほとんどが廃棄されました。美としての陶器が雄弁に語られる反面、毒ガスなどの生成に使用される科学陶磁器が日本の近代化において担った大きな役割が語られることはあまりありません。そこには美学と政治の関係を隠遁する構図が存在しています。

 《K1001K》はこの遺棄された陶器製手榴弾1001個を発掘し、考古学資料として保存すると同時に、そのなくなった欠損部分を、科学磁器で有名な京都で焼成したものです。戦時中に集団単位として用いられた「千」に個人である一を足した1001を象徴的数字として用いながら、ないものをあるものとして存在させ、あるものをないものとして消滅させることで、このプロジェクトはリニアな構造の時間軸をすり抜けて、過去の出来事を身近な存在へと変換する試みでした。

TSR14 2015

​ いっぽう、《TSR14》はシベリア鉄道の線路上で、様々な国の硬貨を通過する列車によって潰すアクションであり、金属片となった硬貨を写真などとともに展示するプロジェクトです。他文化への越境に用いられた近代の鉄道敷設を取り上げたこのプロジェクトはシリーズとしていまでも継続しており、旧満州鉄道で行われた《CER15》、アメリカ大陸横断鉄道で行われた《TCR18》のあと、現在はナチスドイツ下でユダヤ人退去に使われた鉄道路線を対象として展開しています。

 植民地主義への関心から、近年はネイティブ・アメリカンに関するリサーチも手がけてきました。近代化とともに独自な文化体系が消滅し、搾取の構造が形成される過程は、日常生活のなかではなかなか意識されませんが、こうしたリサーチを通して私の作品生成は緩やかにつながっていくものなのです。

 

声をあげられる次世代を育てたい

多摩美術大学の八王子キャンパス 出典=ウィキメディア・コモンズ

​━━ここまで作品についてお聞きしましたが、教育についても聞かせてください。笠原さんは昨年問題になった多摩美の彫刻科の学生有志による要望書の件に関して、学科に唯一の女性教授として当事者の立場でした。いま、あの問題をどう振り返りますか?

 前提として思うのは、「女性」もそれぞれだということです。最終的には女性であれ、男性であれ、個人の能力や資質が問われるべきだと思います。でも、その質を誰が判断するのかというときに、大多数が男性教員の現況では公正であることは難しいのです。であれば、現時点ではまず制度を整え、すべての組織における人員比率を、人口における男女やLGBT比率と合わせることが必要ではないでしょうか。その上で、あらためて能力が問う制度が組織されるべきではないかと。

 ただ、性別に限らず、この問題に意識的でない人は多い。そういった状況のなかで、女性はつねに少数で、「いつもニコニコしている優しい人」といったイメージが求められ、「声をあげてしっかりと主張しない人」といった役割が与えられていくのだと思います。

━━男性教員にはさまざまなタイプの人がいることが自然であるのに対して、母数の少なさゆえに、女性教員のバラエティは生まれづらい状況ですね。

 そうだと思います。実際、すごく発言しづらいですね。私は一度、男女は同じ比率にすべきで、そうでなければ法律違反になる国もあるのだから、と話を切り出したことがあります。すると、「女性だからって質がない者を教授にすることはできない」と男性教員が平然と答え、ひどく驚きました。そこには自分の質を疑う視点はまったくなく、一方的な精査方法だけが存在しています。こういった状況で平等な能力判断はできるわけもありません。

 この発言は明らかにナンセンスだと思いますが、いっぽうで私は、ある世代以上の人の意識を変えるのは不可能に近いという、現実的選択をする感覚が強くあります。現行システムで決定権を持つそういった人々に関わりすぎることで、自身が消耗してしまうことはあまりにも不毛すぎるからです。それよりも、「こんな状態は普通におかしい」と思える、発言できる次世代の大人を育てることの方が大事です。どちらにしろ、えらく時間がかかり大変な行為であると思っていますが、自分のできることを行うのみです。

━━大学で、ジェンダーの問題を踏まえた指導は行われていると感じますか?

 ジェンダー問題を抜きには語れない作品を構想する学生は、とくに女性学生に多いですし、その相談も多く受けます。もちろん私は彼ら、彼女らと一教員として対話をしていきますが、学内でしっかりと系統立てた授業が行われるべきだと強く感じます。私自身は2019年のいま、フェミニズムアートやジェンダー論が語られない美術大学は難しいのではないかと思っています。それらは当たり前のように私の知っている美術大学で教えられていることであり、実際のところ、一般教養のレベルなのではないかと思うからです。

 また、美術大学について疑問に思っていることとして、思考を軽視する傾向があります。これは学科による偏りもあるのだと思いますが、技術や努力、信仰心に近い感性重視の評価基準は、ファインアートおける文脈を視えないものとし、そこに批評が派生する可能性を消してしまいます。ものづくりが好きな人々が多く集まるのは美大の特徴であろうし、それはもちろん素晴らしいことなのですが、アートを通して何を発言するのか、何を考えるのか、社会的な行為としてのアートが、もっと志向されるべきだと思っています。

 表現の多義性を考えるとき、先ほど問題になった性別やLGBT比を公正化するだけでなく、指導する教員を学生が選択し、評価できる制度も導入するべきだとも思います。一方向からの変化では、状況が活性化しないことは様々なワークショップなどでも確認されることです。学生にも教育の質自体をつくり上げていくチャンスを与えるべきだと思います。デリカシーのない組み合わせ、つまり、学生の志向する美術と合わない教員が噛み合わない批評を繰り返すような状況は、高額な学費が介在する教育の場で避けるべきであり、細かい適応ができる努力を学校は怠るべきではないと思います。

 

​美大に、意識の共有と流動性を

━━学生と、問題意識の前提を共有できる教員が増えていくことが必要ですね。

 そう思います。《Pink》が強く批判された当時、批判者との間で前提となる問題意識が共有されていないなぁという諦めの感覚を持ちました。日常のなかにある政治性に無自覚な人が、あの作品を「ただの子宮口」と言うとき、そこには私との議論の可能性はまったくないですよね。ただただ萎えてしまう状況でした。

 大学でも、これと似たような状況を見ています。あまりにも噛み合わないまま一方的な意見だけが放たれるとき、そこに可能性はあるのでしょうか。デリカシーを持って無意味な越境行為を回避する、そういった認識力を教員は保持するべきではないでしょうか。

 私が学生の時分、「多摩美は学生紛争の終焉に伴って、当時先鋭的だったファインアートの先生や学生が大学を去り大きく変わった」と聞きました。当時活躍していた作家や評論家たちの語るその話では、学生紛争ののちに学校に残った体制派教員の多くが、新しく生成されるアートの動向や国際性に関心が少ないままに、長い期間学校にとどまり、そして彼らがその後任を決めていくという行為が繰り返されていったそうです。

 要望書を提出した学生たちの問題提起は、こういった背景を考えれば理に適ったものだと私は思っています。私自身は当時、問題の所在を薄々感じながらも「関わりたくない」と無視を通した学生のひとりでした。「そうしてみんなが放っておいた結果、現状がある。あなたにも責任がある」と学生に言われたときには、言い返すことができませんでした。まさにその通りだと思います。

 私は外に出ることで、自分の制作を通して、漠然とではありますが、権力と戦ってきたと思っています。しかし、30年近く経って学校に戻ってきてみると、私の学生のときと変わらない価値観や止まったような時間がそこには存在し、自分が作家活動を通して何も変えることのできていなかった状況には少し驚きました。美術大学とアートの現場との時差はもっと縮まって然るべきではないでしょうか。

━━今後、どのような改善策があると思いますか?

 まず、先ほど人口における性別やLGBT比を雇用教員に反映させることを挙げました。これは地道に長い時間をかけて築いていかなければならない変化でしょうね。私が大学を去る頃に半分でも達成されていたら嬉しいです。次に言及したのは指導する教員を学生が選択し、評価できる制度を導入することですが、これらは様々な海外の大学ですでに行われていますし、いますぐにでも検討できるのではないでしょうか。作家として評価のある教員に学生対応をさせるには、この方法が一番早いでしょう。そして、現代美術において常識と化しているフェミニズムアートやジェンダー論の授業体系も整える。そのほかには、例えば教員の流動性を高めることなどはどうでしょうか?

 これはデンマークで教授職にあった知人から聞いた「7年ルール」なるものなのですが、すべての教授が7年で任期を自動的に終えるのです。そのことによって学生にも教員にも緊張感が生まれ、作家であることを続ける教授自身のためにもなると。さらに、サバティカルの徹底もあると思います。自身の研究や発表を持たない指導者をつくらないためにも、サバティカルは必要だと思います。

 アートの世界ではつねに新しいものが生み出されるものだし、美術大学はアートで社会を変えようと思うほどの人材を育てる器量が問われるべきではないでしょうか。どのような事情であれ、学生を萎縮させ、その勢いを潰すような行為は論外だと思います。学生たちには、アートを通して自主的に考え、発言する力を失ってほしくないと本当に思っています。