1990年代の萌芽
笠原 小勝さんも私も、この30年くらいジェンダーやフェミニズム、女性作家について考えながら展覧会を企画し、文章を書いてきました。それもあって社会との関わりにおいて美術を考えることが多かったと思うのですが、では今の日本の状況はどうかというと、ジェンダーギャップ指数(*1)が144ヶ国中、111位(取材当時。18年は149ヶ国中110位)。指数の出し方に問題があると指摘する声もありますが、それでも「日本は女性を差別する社会であり、差別する側もされる側もその自覚を持っていない」という認識から考えを始めないといけません。
小勝 それは美術も同様です。2004年にジェンダー史学会が設立されて、昨年発行された会誌『ジェンダー史学』第12号に「美術史とジェンダー──日本の美術史研究・美術展におけるジェンダー視点の導入と現状」という論文を寄稿したのですが、美術史とジェンダーの流れを概括するテーマが同誌のシリーズ企画に取り上げられたのはこれが初めてだったんですね。笠原さんが東京都写真美術館で「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」(1991)を企画なさったのが26年前なのに、状況は当時とほぼ変わっていないと思います。
笠原 ジェンダーの視点から企画した美術館主催の展覧会としては、日本でもかなり早かったと思います。
小勝 群を抜いて早かったです。その後が東京都写真美術館の「ジェンダー 記憶の淵から」(1996)で、これを皮切りに世田谷美術館の「デ・ジェンダリズム 回帰する身体」(1997)、水戸芸術館の「水戸アニュアル‘97 しなやかな共生」(1997)、そして私が栃木県立美術館で企画した「揺れる女/揺らぐイメージ フェミニズムの誕生から現在まで」(1997)など、96年から97年にかけて、ほぼ毎月のように関東を中心にジェンダーを問題にした展覧会が開かれている状況がありました。しかしそこで、後に「ジェンダー論争」(*2)と呼ばれる、男性批評家・研究者らによる批判が起こります。大ざっぱに言うと「頭でっかちの女たちが輸入したジェンダー思想は、欧米由来の価値観であって日本の現実にはそぐわない」という批判でした。
──美術史家の千野香織さんが論争についてまとめたテキストなどを読むと、小勝さんや千野さんたちの応答に対し、批判者が論点をずらしていって本質的な議論に発展しなかった印象を受けます。ところで、笠原さんがジェンダーをテーマにした展覧会を最初に企画した動機はなんだったのでしょうか?
笠原 1987年にシカゴ・コロンビア大学を修了して、東京都写真美術館に入ったのが89年だったのですが、アメリカの社会学、写真史や美術批評の分野ではジェンダー的な視点は当たり前に共有されているのに、日本では存在すらしないことに驚きました。大昔にタイムワープしたような感じで、だから動機はほとんど怒りですね(笑)。
「ジェンダー論争」の時代には男性側からの批判として「社会で女性はこんなに活躍してるじゃないか。家に帰れば主婦がお金を握っているじゃないか。これ以上どうやって強くなるんだ」といった声がありましたが、その認識自体が時代錯誤。日本国内にも時代とリンクしたアーティストや表現動向が登場しているにもかかわらず、周囲の状況はまったく変わっていかないことの耐え難さが、いまも展覧会を企画し続ける個人的な動機です。
小勝 笠原さんや千野さん、美術史学者の若桑みどりさんや鈴木杜幾子さんたちが95年に発足した「イメージ&ジェンダー研究会」は、一般の人やアーティストを含め、誰でも参加できる研究会として始まり、いまも大学院生が加わるなど活動を継続していますね。ジェンダー、フェミニズムの最新動向に触れられる、有意義な場です。
──小勝さんは、ジェンダーの視点を取り入れた美術史の見直しを主に展覧会を通して続けていらっしゃいますが、その経緯はどのようなものでしょう?
小勝 大学時代は19世紀ヨーロッパの版画を研究していまして、美術館に就職してからも版画部門を担当していました。そこで19世紀の挿絵本研究に基づく「モードと諷刺」展(1995)を企画しました。この時代のファッションを見ると、当時の女性の立場がよくわかります。華美なドレスで着飾ることで、男性の所有物・資産として女性が扱われている時代です。18世紀までは男性も着飾っていたのですが、19世紀になると男性の衣服は黒の礼服といったシンプルなものに変化しますが、女性は変転する流行の衣装をまとうという点では変化がない。同展でのリサーチの過程で、美術における社会学的なテーマに目覚め、19世紀ヨーロッパから現代アートまでを扱う「揺れる女/揺らぐイメージ」へと続いていきました。
変わった意識、変わらぬ制度
──その後、小勝さんは「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後1930─1950年代」(2001)、「前衛の女性1950─1975」(2005)、「アジアをつなぐ─境界を生きる女たち1984─2012」(2012〜13)と、戦前から現代に至る女性作家の活動を、美術史のなかに新たに位置づける展覧会を手掛けられました。 いまお2人から伺った、ジェンダー視点を導入した研究や論争が盛んになった90年代当時の、女性研究者たちの間で共有されていた時代感覚についてお聞きしたいです。
笠原 フェミニズムに対する、ある種のフォビア(嫌悪)が、男女を問わずありました。例えば写真家の石内都さんに初めてお会いしたときに「私はフェミニストではないからね」と言われたんです。でもその発言も無理からぬことで、当時の日本で一般に流通していたフェミニスト像はとても歪んだものでした。作家がフェミニストを自称すると、すなわち活動家であると認識されるような極端な状況ですらありました。
小勝 70年代に起きたウーマンリブ運動(*3)への一種のバックラッシュ(反動)ですよね。その活動自体もかなり過激化していた側面はあるのですが、それをマスコミが助長して取り上げるなどした結果、戦う女性像に対する社会的な嫌悪感が醸成された。それは当時のアーティストやキュレーターにも大きく影響しています。
笠原 作品で扱っているテーマやコンセプトには明らかにフェミニスト的なメッセージが込められていても、フェミニストと名乗ることは否定したくなってしまう心証が根付いてしまった。先ほどの「ジェンダー論争」も論争ですらないんです。「生理的に嫌い」という感情が先に立ってしまっている。日本ではいまだに「ジェンダーは学問じゃない」と平気で言う大学の先生がいますから……。
だけど、ようやく変わってきたものもある。それは女性の経済とセクシュアリティに対する意識。例えば私たちが20代の頃は「女性はクリスマスケーキ」と言われていた時代でした。意味わかります?
──わからないです。
小勝 24、25(日/歳)を過ぎて、26になって売れ残っていたら、誰も買わないっていう意味。
笠原 女性の処女性が貴重なものとされてたわけ。それが80年代後半から晩婚化が進んで、86年に男女雇用機会均等法も施行された。出産も40歳あたりまで繰り延ばされた。つまりセクシュアリティの変化というのは、独身者が性的な身体であるという認識と自信を堂々と持てるようになったということ。そして経済に関しては、結婚しても簡単に仕事を辞めなくなりましたよね。共働きせざるをえない、という社会事情もあるにせよ、この2つの変化が女性の意識をものすごく変えたわけです。
しかし、そうやって意識が変わらざるをえなくなっているにもかかわらず社会システムのほうは、まったく変わっていない。クオータ制(*4)も導入されないし、女性役員を増やす、報酬を多くする、女性を多く採用する、というシステム面の変化もほとんど見られない。夫婦別姓すらいまだに認められてないですからね。紅一点好きで男性の意識に同一化する女性がいくら優秀でもダメなんです。
小勝 システムを動かす側に女性の権利意識、ジェンダーの意識を持った女性がいなかったってことですよね。例えば、美術館の館長も圧倒的に男性が多いでしょう。
笠原 すべては時代状況と密接なんです。私たちが美術館に採用された時期はちょうどバブル期で、全国規模でたくさんの美術館が新設された。それまでは大学内の学閥での人間関係で、就職の可否が決まる場合がほとんどだったけれど、例えば新興の写真分野であれば、日本の大学では社会学を専攻していてまったくコネのない、はぐれ者みたいな私でも学芸員になれる状態だったんです(笑)。何しろ人員が必要な時代ですから。裏を返せば、若い世代が自発性さえあれば企画を立てることのできる時代だった。もっとも、その後の景気後退で雇用状態が悪くなって非常勤が増えたことも、女性学芸員の増加の理由ではあるんですけどね。社会通念として、男性は正規雇用の職を選ばざるをえないバイアスが強いですから。でも、それも崩れ始めて、男性の非常勤が当たり前になってやっと社会問題化してきた。
──様々な社会的背景があるにせよ、いまでは美術館は女性の活躍が目立ちます。それは今後の美術館制度にとってポジティブな変化としてとらえていらっしゃいますか?
笠原 東京都写真美術館を見てください。とてもアクティブにやってるでしょう(笑)。学芸員12人中、男性は3人しかいません(取材当時)。でも、若手の伊藤貴弘さんも主体的に仕事をしていて、自分の企画展第一弾として2017年9月末からの長島有里枝さんの個展を企画しています。
長島さんはデビュー時に「ガーリーフォト=女の子写真」と名指されて、当時はそれが許容される社会だったわけだけど、それに対する反発や長島さんへの共感は、伊藤さんも私もまったく変わらない。でも、個々の意識は変化しているとはいえ、美術館の問題は、もっと上層部を含めたシステムを変えなければいけないと思う。
──では、アーティストの側はどうでしょう? この数十年でジェンダーを扱う表現動向に変化は起きていると感じますか?
笠原 どんどん成熟されていると思います。90年代まで寡占的だった二項対立的な図式ではなく、性差や民族性などの複雑さを抱えた豊かな視点・表現が現れて、世界基準で評価されるアーティストが増えています。実際、世界の主要美術館での展覧会や国際展を見ても、あえて極端に言えばゲイと女性と非白人の作家が世界の美術を席巻してるようなものですよね。
小勝 でも多くは、写真や映像の作家ですよね? それ以外のジャンルに関しては、日本に限定するとちょっと厳しいと私は思っています。アジア全域に視野を広げると、私も企画した「アジアをつなぐ〜」展にも出品したインドのナリニ・マラニやシルパ・グプタなど、かなり面白い人がいますね。中国の曹斐(ツァオ・フェイ)は、かつてのポップカルチャー的な世界観からジェンダー的なテーマに移行しつつあって、とても興味深い。いっぽう、日本ではアニメやゲームを想像力の源泉とする表現が、村上隆さんを筆頭に20世紀末から一定数登場しましたが、その後は表層的な意匠に留まっていて、コンセプトがアップデートされた印象がなく、残念に感じます。日本的なるものとして海外である程度ウケるという側面もあるのですが、そこに無防備に乗っかっていく女性アーティストが目立つようになった。
──幼児性やイノセンス(無垢性)に通じる「小さな世界」がいまだに日本の特異性として語られているということでしょうか。
笠原 でも「小さな世界」っていうのは日常に関わるものだから、じつはとても政治的ですよ。問題なのはその扱い方です。
──そこで気になるのは、近年の女性作家を特集した展覧会です。例えば、水戸芸術館の「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」(2011)や、金沢21世紀美術館の「Inner Voices ─内なる声」(2011)はそれぞれ意義深い展覧会ですが、ジェンダーを持ち出すことによる政治的・心理的摩擦を避けようとする姿勢も感じられます。抽象度を上げたり、ある種の弱さを戦略的に装わなければ、女性の意思を届けられない状況がいまだに続いていると言えるのかもしれません。
小勝 「クワイエット・アテンションズ」展を企画した高橋瑞木さんはジェンダーについてきちんと研究されていたのが図録のテキストからわかります。ただ私はその2つの展覧会のタイトルを見て仰天しました(苦笑)。女性の声が、なぜいまもそんなに密やかで内にこもったものとされるのか。
笠原 17年5月に企画した「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」(2017)での実施がすごくスムースだったのは、インドの女性作家で、生まれ育った環境も使う言語もまるで違うのに、社会に対する感じ方や価値観に差がなかったこと。それはダヤニータ自身が世界中を拠点とするコスモポリタン的な女性だからだと思います。住む場所や国籍は問題ではなくて、同時代的なあるレイヤーを共有していれば精神的な共感を得やすい。逆にいえば、精神的に鎖国している人とはブレイクスルーできない。声が届かない。
小勝 それは感じます。日本に閉じこもっていてはダメってこと?
笠原 日本から出なくてもグローバルな意識を持つ作家はいっぱいいますよ。私、最近は外国の女性作家の小説をよく読んでいて、例えば、ウクライナに住んでいる人が書く物語がものすごく身近なものとして響くんですね。逆に、日本語で書かれた男性作家の本は腹が立って全然読めないものもある(笑)。それくらい共感できる社会意識や時代認識のレイヤーが世界的に張り巡らされているってことでもあるし、逆に既存の価値観内での利益の享受者……つまり一部の男性ってことですけど、彼らが社会の変化の中で自分たちの利益が侵されつつあることに危機感を抱いているのが文章から伝わってくるんですね。人の意識だけでなく、社会のシステムも変化せざるをえなくなっている。これは、その予兆のような気がします。
*1――世界経済フォーラムが毎年発表している、各国の社会進出における男女格差を示す指標。経済活動・政治への参画度、教育水準、出生率などから算出する。2015年は45ヶ国中101位、16年は144ヶ国中111位、17年は144ヶ国中114位、18年は149ヶ国中110位。
*2――「ジェンダー」視点を持つ企画展や美術史学のあり方をめぐり、1997年から98年にかけて起きた一連の議論。ミニコミ誌『LR』や『あいだ』を舞台に論争が交わされ、三田晴夫や稲賀繁美からの批判に、小勝禮子や若桑みどり、千野香織らが応じた。熊倉敬聡/千野香織編『女?日本?美?――新たなジェンダー批評に向けて』(慶應義塾大学出版会、1999)に千野による詳細な経緯、分析が収録されている。
*3――1960年代後半から70年代前半にかけて、第二波フェミニズムの流れとともに世界的に女性解放運動が展開され、日本での運動はウーマンリブ運動と名乗った。「女の幸せ」であると考えられてきた結婚や家族の規範に批判的まなざしを向け、平和運動とも密接に関係した。
*4――国民構成を反映した政治が行われるように、政治家や公的機関の議員・委員の人数を割り当てるシステム。政策決定における男女比率の偏りを是正するものでもある。2018年5月23日に、国政選挙などの候補者の数ができるかぎり男女均等になるよう政党に努力を求める「政治分野における男女共同参画推進法」が施行されたが、強制力も罰則規定もない理念法であり、19年3月29日に告示された41道府県議選では、女性候補の割合は約13%にとどまった。