SERIES / The Public Times - 2019.3.21

昭和初期の公の時代とドクメンタのない日本
The Public Times vol.7〜Chim↑Pom卯城竜太 with 松田修による「公の時代のアーティスト論」〜

2018年、新宿・歌舞伎町のビルを一棟丸ごと使用し、「にんげんレストラン」を開催したことで話題を集めたChim↑Pom。彼らはこれまでも公共空間に介入し、数々のアートを展開してきた。本シリーズ「The Public Times」では、Chim↑Pomリーダー・卯城竜太とアーティスト・松田修が、「公」の影響が強くなりつつある現代における、「個」としてのアーティストのあり方を全9回で探る。第7回は、大正から続く「昭和」の美術と国際展の意義を問う。

構成=杉原環樹

ドクメンタ14より、マルタ・ミヌヒン《本のパルテノン》(2017) 出典=ウィキメディア・コモンズ

公権力の拡大と、アーティストたちによる「公」の実践

ーー前回は美術評論家の福住廉さんを迎え、1926年に開かれたアンデパンダン展「理想大展覧会」(以下、理想展)を取り上げました。今回は、そこに連なるコレクティヴの動きや、昭和初期の前衛の動きを語ります。

卯城 理想展は、大正の最後(1926年)に開かれたわけだけど、それ以前にはいろんなグループが結成と解体を繰り返してたんだよね。で、そこから一度バラバラになって、「個」に戻っていた人たちが理想展でふたたび集合した。だけど、理想展は、もはや思想だの方向性だのアートかどうかだの個別の違いはどうでもよくて、なんでもアリな「公」がアートになり得るのかを試す場所だった。その実験として、「アンデパンダン」と「お祭り騒ぎ」って枠組みが採用されたように見えるよね。祭りって無礼講になった「個」が集まれる場所でしょ。

松田 祭りと言えば、日本は「奇祭の国」って言ってもいいくらいわけわかんない祭りがたくさんあるね。裸祭りもヤバイし、かなまら祭りもウケる。確かに祭りでは、普段はエクストリームなんて目指さない「個」たちが、狂った「公」を形成しようと盛り上げるしね。

卯城 そうそう。狂うことに肯定的。

松田 とはいえ僕らが話した黒曜会にしろ、理想展にしろ、この2つのアンデパンダン展は、どちらも公権力が監視するなかでの祭りであったことは見逃せない。

卯城 マジでとくに大正後半は、思想や表現が取り締まられ、「公の時代」のエスカレートが凄いから。関東大震災を機に不穏なことが連発するんだよね。アナキストや社会主義者らは憲兵に虐殺され、民間人も自警団をつくって朝鮮人を虐殺しまくる。死者は数百から数千と諸説あるけど、どっちにしてもえげつないよ……。内政では普通選挙法と引き換えに治安維持法が制定されて、外交では日英同盟が失効し、戦争への伏線となる……まさに大波乱じゃん。

卯城竜太

松田 大正時代には、公権力による弾圧が増すいっぽうで、右翼勢力は拡大していく。にもかかわらず、震災の年にMAVOが生まれ、前年に発足したアクションやDSD(第一作家同盟)といったコレクティブや、第1回で紹介したバラック装飾社などが、災後直後から過激な運動を展開した。

卯城 「公」が強権的にヤバくなるいっぽうで、市民たちがあちこちで人間を殺し回ってるなかで、だよ。危なすぎでしょ(笑)。治安維持法は理想展の年には適用されていて、そこからはもうガッツリ。数年の間に野党四党は解散だもん。

松田 つまり、権力が集中し特定の人を排除する「個化する公」と、それに追従する「公化した個」たちが、エクストリームな相互監視社会をつくりだした。

卯城 そんななかで、アーティストたちはいくつものコレクティヴをつくったでしょ。少数精鋭、すぐに解体できるくらいのフレキシブルさで、権威のなさが特徴。感じわるい公共や、二科会って権威へのカウンターにも見えるけど、ある意味小さい規模の「公」の実践だったのかも。

MAVOのパフォーマンス(1924年) 出典=ウィキメディア・コモンズ

猿股から社会主義リアリズムへ——社会的意義の方へ

卯城 で、そんなコレクティヴのブームは、いまの状況とも重なるけど、彼らはそこで完結しないんだよね。コレクティヴや個人が大同団結して、さらにもうひとつ上の「公」をつくっていた。コレクティヴってより「シーン」に近いのかな。理想展や黒曜会は、展覧会って形式をとった「シーン」のバリエーションに見えるよ。

松田 なるほど。

卯城 大同団結型グループで言ったら、大正にはその2つに挟まれる時期に「三科造形美術協会」(三科)もあったよね。

松田 三科は大正期のもっとも先鋭的な動きとしてよく言われるもので、MAVO、アクション、DSD、未来派美術協会といった強烈な個性を持ったバラバラなコレクティヴのメンバーが大同団結し、狂ったイベントを連発した。時期でいうと大正13年から14年。震災の翌年から。

 面白いのは、三科にはこれまでどのコレクティヴにも属していなかった、のちに理想展を開く横井弘三がいきなりいて、無所属アーティストとして誰からも重宝がられている、ということ。なんと結成の会は横井の家で行われたらしい。横井の「八方美人力」ヤバイ(笑)。

卯城 「博愛主義力」で良くね?(笑) 理想展が多様性だとしたら、三科はセクト間の団結だからより激しそうだよね。第1回でも話した「劇場の三科」はとくに尖ってる。全11演目を、美術家たちがDIYで実現した実験劇場だった。

松田 意味不明な詩の朗読から、観客に聞こえない小声での演劇、ほかにも観客に向かってバイクをフカしたり、通路を焼き魚の煙で満たしたり。当時、ここまでアートに見えないことを平気でやっている感じがすごくない?

卯城 新聞広告で、「つまらなかったら大成功」と謳っていたりね(笑)。三科は展覧会も狂ってる。

松田 元アクションでのちにプロレタリア美術の代表的な作家となる岡本唐貴の作品とかマジひどくて良い 。1926年の第2回三科展に出した《ルンペンプロレタリア》なんて、回想によると、いろんな階層の人の名札や縄梯子、よれよれの着物、オナニーで汚れた猿股なんかがぶら下げられたもので、自分自身で「神妙な不快さが陳列されてあった」とか言っている(笑)。

卯城 三科は他にもヤバめな作品のオンパレードなんだけど、やはり内部の確執や思想の違いで、短命に終わってしまう。

松田 けど、解散した三科の主だったメンバーも理想展には再集結してるでしょ。横井の「八方美人力」ここでもヤバイ(笑)。戦後は画風からか「日本のルソー」なんて呼ばれてるけど、やっぱりそれだけじゃ測れないよ。横井さん、アンタ「マスト」だよ!

松田修

 で、理想展を最後に大正が終わると。理想展も三科も内部矛盾ありきのカオスだったけど、昭和になると、こうした前衛運動に関わっていた人たちは、それぞれの方向に整理されていくんだよね。主にはプロレタリア美術に流れ、プロパガンダ化していくんだけど。

卯城 社会が俄然戦争ムードになると、もうダダとか無意味とかアホなこと言っていられなくなるんだろうね。芸術は社会に対して無力なのか?とか、ガチで問われたんだと思うよ、きっと。いまの状況にも重なるよね。

松田 オナニー後の猿股を展示していた岡本唐貴のような人が、急に社会主義リアリズムの絵を描いたりする時代になるわけだ。エクストリームな「個」を発揮するよりも、モチーフも固定され、メディアはポスターや絵画って形式的になっていく。社会や世論に100パーセント向くって意味では、戦争画も、プロレタリア美術とは政治的立場は逆ながら制作動機が似通ってる。プロレタリア美術は、ファシズムへの「共産主義の抵抗」として、戦争画は、「全体主義をより浸透させる」目的として。

卯城 作品が「個」による「公共事業」みたいに、わかりやすくなるんだよなー。ダダのときはあんなに謎だったのに。

弾圧の論理と現代美術のある種の近さ

——そのプロレタリア美術も、度重なる弾圧で1934年頃までには勢いを失います。

卯城 うん。それと並行して次に出てくるのがシュルレアリスムでしょ。

 シュルレアリスムで言ったら(もはやウチらこの本の大使と化してるが)またまた足立元さんの『前衛の遺伝子』での扱い方がヤバい。でもじつはここに、 「『公』の時代のアーティスト論」のひとつの本質が書かれてるんだよね。

松田 日本の戦前の前衛芸術運動って、シュルレアリスムの弾圧によって終結感が出るよね。決定的なのは、1941年の福沢一郎と瀧口修造の検挙。けど瀧口修造らシュルレアリストたちは、弾圧を逃れるためか政治色を抜き、日本の伝統を論じたりもした。じゃあいったい体制側は、シュルレアリスムを何でここまで弾圧したのか? その根本的理由を、足立元さんは、弾圧した側の人間が書いた当時の評論を解析することで示してるんだよね。

——つまり?

松田 当時、「原理日本」という右翼系の雑誌があって。足立さんによると、この雑誌は戦前期にめっちゃ大きな力を持っていて、直接左派への弾圧のきっかけになる記事を掲載していた。その同人のひとりに田代二見という画家がいて。そこで田代は、シュルレアリスムのような美術をボロクソ批判する文章を寄稿していた。ちなみに田代による「原理日本」での執筆は1927年、つまり理想展の次の年にはもう始まってる。

卯城 大正と昭和が並立する年かー。改元ってやっぱ時代の変わり目として影響あるんだよな。田代の言い分をわかりやすく言うと、西洋由来の前衛芸術は、ダダであれシュルレアリスムであれ個人主義をもとにしていると。それに対して、田代らが目指すべきは全体主義であって、それは言うなれば「公」のもっともエクストリームな形態でしょ。僕の考えも交えると、かたやアーティストというのは「個のエクストリームな振り幅」を創れる存在。で、個人主義と全体主義の相性は言うまでもなく最悪。田代はまず、西洋由来の芸術の、そうした個人主義的な側面を批判した。つまり全体主義をイラつかせるアートの本懐は「個」性だった。

卯城竜太

松田 田代的には「個」を尊重して見えるものは、もう何言っててもアウト。でも、現代美術はただの「個」人主義かっていったら、そうでもないでしょ。足立さんは田代二見の文章の感想から、もっとアートの深部に迫っている。

 というのも田代は、日本人として持っている美意識のようなもの、つまり日本にもともとある自然や信仰に「個」が接続しなければ、真の芸術ではないと書いてる。その象徴として挙げられるのは天皇の和歌。そこに接続しない個性尊重の芸術は、ただの個人の幼稚なわがままであるという理屈。

 ただ、田代がそう断定した西洋のシュルレアリスムは、本来「個人の意識を超えた無意識や集団の意識」に迫ろうとしていた芸術で、全然個性を尊重するだけの芸術じゃない(笑)。「個」を超えたところに真の芸術性があるという点で、ゴールは違えど両者は似通ったところがあると足立さんは指摘している。

 これ、僕らの現代アート評にもつながるところがあるでしょ。「個のエクストリーム」でもなく「私的」に溢れた個性尊重っぽいものなんて、僕らもアートだと思わないでしょ(笑)。

卯城 だよね。作品が個人によってつくられるなんて、どの立場からしても当たり前で、だけど作品は、「個」を超えた普遍性に到達しないといけないわけじゃん。その理屈は、現代美術であれ近代美術であれナショナリストの美術であれ、アートであるかぎりは共有できる。だからといって、その象徴が天皇の和歌で、主義が合わなきゃ弾圧OKって田代の主張は、エクストリームすぎてついていけないけども(笑)。

昭和初期は楽しくない、笑えない

卯城 でも、この田代の論理って、アート論としてはある意味複雑さがあってオモロいけど、「公」側の目的としてリパッケージして、パンピーをターゲットにして安易にしたら、途端に「全員で一致団結」して大きな目的を遂行しようっていう全体主義の論理にもなっちゃうわけでしよ。

松田 いまの日本のマジョリティの意識もそうでしょ。「礼儀正しく勤勉な優しい日本人」が理想で、「礼儀がなってない怠け者で、優しくもないカス」はクレーム対象。理想の「公」に合わない「個」は、邪魔になるだけ。第1〜4回で話した現在の美術や社会に対する違和感につながる何かが、この田代のエピソードにはある。

 次の東京オリンピックや大阪万博とかもそうじゃない? 表向きには個人や個性が大切と言われながら、個人の都合や気持ちを超えて、より大きな成果を成し遂げよう!と「公」のほうから求められるでしょ。

卯城 そんで、それが正論ぽいときは「個」もなんだかその気になって、「公」に自らレイアウトされたがるもんね。キュレーションやフェアで代替可能になっちゃうアーティストも、構造的には似てるよ。大きなストーリーのつくり手にとっては、代わりがきく「個」こそが使い勝手がいい存在になる。それこそキモい意味でのマジョリティなんだけど、その空気が「公共の原理」みたいに力を持った瞬間に、個と公は一体化し、全体主義は完成し……。

 てかさ、足立さんの分析は、「公の時代のアーティスト論」を考える上でエッジが効いてて合点がいくんだけど、その後の話となると、なんかもうお馴染みのことばかりになっちゃうね。集団的な大義名分と人間の本性の関係は……みたいな。けど、そんな安吾の『堕落論』みたいにしか結論がならない古い話をウチらがいまさら「美術手帖」でしてもね(笑)。やっぱなんか話してきて思ったんだけど、プロレタリア美術あたりからなんか話が盛り上がんないな。自虐史観ぽくなるしかなくて、「あれ?」って思わない? むしろ僕らは戦前の日本のアートめっちゃ良いじゃん!って賛美してたはずなのに(笑)。

松田 たしかに(笑)。1930年代は戦後につながる絵画隆盛の時代という見方もできるけど、直接的な肉体表現やカウンター的な表現は死滅しちゃうしね。エログロナンセンスのブームが終わって、シュルレアリスムが終焉した後は、ほんとに暗い話ばっかりだもの。僕ら、ヤバいアートってどんな方向性でもヤバすぎて笑えるっしょ? 思想とか技術云々置いといて。だけど昭和初期は話しててもぜんぜん楽しくないし、笑えない。

松田修

卯城 アートの話もストイックすぎるし、戦争の総括もザ・左翼っぽい話、個人主義の話もザ・戦後民主主義って感じだし。てかいまウチら、戦争でも戦後民主主義でもない状況にいる、ってことで大正がビンゴだったのに (笑)。

松田 戦争と弾圧が絶対悪だから、解釈やアイデアで遊ぶ余剰が戦中のエピソードにはなさすぎ。終戦までの1940年代初頭は、マジで暗黒時代。

卯城 言うなれば「超公の時代」だね。流石にリアリティないわ。

松田 リアリティ持てる状況になったらジ・エンド(笑)。

卯城 こんな連載掲載する時点で「美術手帖」は潰されてるね(笑)。

改元の季節に試される「個」の立ち方・広げ方

卯城 こうやって大正から戦中までを「公の時代」として振り返ってみて、僕的にやっぱり気になるのは、理想展が終わって昭和になるタイミング。ここで一気にムードが変わった感じしない?

 だから俄然気になってくるのは、「平成」からの改元。椹木(野衣)さんと大正について話していて出てきたキーワードなんだけど、現代と大正を重ねるのであれば、2019年は、あえていうなら「昭和元年」なのではと。今年から何かがガラっと変わるのでは、と椹木さんも言ってて気になったけど、元祖昭和元年からの話の流れ的には……今年から……。

松田 今年から、つまんなくなる(笑)。去年が大正15年てことは、「にんげんレストラン」は理想展か(笑)。本家昭和元年とリンクさせると、2020年の東京オリンピックは、戦後民主主義が花開いてた1964年の東京オリンピックではなく、むしろ1940年、つまり昭和15年に計画されていた幻の東京オリンピックと考えてもいいかもね。

卯城 賄賂が立証されたらマジでそっちだわ。ていうかさ、本家昭和元年からの作家たちは、アーティストっていう「個」としての在り方を広げていくような実験はしなかったのかな。だって現代も、コレクティヴの動きが活発になるだけじゃなく、アノニマスな活動をしたり、アーティストのバリエーションは増えてるじゃん。コレクティヴの性質だって一筋縄じゃない。

 で、大事なのはそのユニークさ、個人であれ集団であれその「個」が立ってることだと思うんだよね、改めて。コレクティヴの潮流を見てると、ひと昔前のアート・コレクティヴって、デモやコミュニティっぽいというか、アマチュアリズムによる「群れ」のようなものだったでしょ。プッシーライオットとかインドネシアのジャトワンギとか、現在の日本のコレクティブもほとんどその形態。

 でも去年ターナー賞にノミネートされたフォレンジックアーキテクチャなんかは、弁護士、フィルムメーカー、エンジニア、建築家、アーティストなど第一線の「個」が立ったエキスパートからなるコレクティヴでしょ。最近は集団の中でも「個」が重要になってると思う。で、いまはそうやっていろんなグループがそれぞれに「個」性をつくって乱立してて、集団のバリエーションをつくっている。

 さらに言うと、例えばChim↑Pomってコレクティヴに対して、僕らが企画し、いろんなアーティストやコレクティヴが参加する展覧会Don’t Follow The Windは「シーン」だと思うんだよね。で、Chim↑PomもDon’t Follow The Windも集団なのに、展覧会には両者とも参加作家として呼ばれる。つまり「個」になるわけよ。ようはユニークな集団が増えることが、アーティストのバリエーションを増やすことにもつながっている。言うなれば「個と公の入れ子状態」みたいな状況があって、そこには未来を感じる。

日本ってドクメンタやってなくね?

松田 既存の「公」ではない、小さな「公」としてのコレクティヴが、「個」性を発揮する。そしてより大きな影響力を持つために、他のアーティストやコレクティヴと集まり、もっと大きな「公」である「シーン」をつくるってことか。そしてそのシーンにも「個」性が必要で……って、ややこしいな(笑)。大正っぽい話でウケる。そこで言うシーンって、グループ展や芸術祭のことでもあるよね?

 なら、その芸術祭の個性と「意識の断絶」の両方を考えて思うことがあるんだけど、日本ってドクメンタやってなくね? ナチス時代のドイツでは、ナチス芸術と呼ばれた彼らの思想を体現する美術が賛美されたでしょ。これは、日本で言えば、陸軍美術協会が聖戦美術展などを通じて日本軍の勇姿を喧伝していたこととパラレルだよね。ちなみに、その協会のトップだったのが藤田嗣治ね。

 ドイツに話を戻すと、ナチス統治下で前衛的な芸術は「退廃芸術」とレッテルを貼られて、徹底的に弾圧された。ナチス芸術以外のアートなんかは、「ドイツ人」にとって、モラルのない害的なもので排除すべきだと。そこまでは日本と近いけど、ドイツでは戦後にそれらの弾圧された芸術を見直す展覧会を開いたんだよね。それが「ドクメンタ」の第1回なわけ。つまり、ドクメンタってのは、戦前の黒歴史を個性に変えた芸術祭なんだよね。

 日本でも、瀬戸内国際芸術祭なんかが、工業汚染やハンセン病など、地域的な黒歴史を含めた芸術祭として行われているけど、戦前戦中の弾圧とか、日本全体での黒歴史を個性にした芸術祭がひとつくらいあってもいいと思わない? こんだけ全国に芸術祭やビエンナーレが乱立してるんだから。

2017年に行われたドクメンタ14より、右がメイン会場のフリデリチアヌム美術館、左はマルタ・ミヌヒン《本のパルテノン》(2017) 出典=ウィキメディア・コモンズ

卯城 なるほど。それは核心的だわ。たしかにドクメンタの雰囲気ってすげー独特なのよ。一回一回のテーマとは別に、そもそも芸術祭そのものとしてのミッションとかアイデンティティが強い。そういう意味では、韓国の光州ビエンナーレも、光州事件という黒歴史発の芸術祭だよね。確固たる「個」性があるのは成り立ちからして当たり前。だからこそ「マスト」な芸術祭として、毎回世界中の注目を浴びるわけでしょ。日本がアートで世界に地位を築きたいなら、そういうことを始めてブレずに育てればいいだけかもね。

松田 「他人を傷つけない」アートを並べるだけじゃなくて、「他人を傷つけた歴史」にも目を向けるってことね。

卯城 歴史であれ、多様性であれ、公共性であれ、「傷つけない」とかポリティカルコレクトネスとのせめぎ合いだけど、加害者意識ってのもアートの本質のひとつだと僕は思うよ。そんなこと言ってるからChim↑Pomは日本の芸術祭に呼ばれないんだろうけど(笑)。とは言え、どの国も例えば戦争の被害は盛大に残すけど、加害については微妙でしょ。日本にも広島長崎レベルの加害についての博物館はない。被害者意識は右も左も共有するけど、加害は議論がわかれるし。ってことで、やっぱほとんどの国にドクメンタみたいな芸術祭なんてなかなかできないよ。ドクメンタ、超「個」だわ(笑)。