ヤバい作品ひとつとの出会いでガツンと満足するような経験がなくなってきた
——本シリーズでは、アーティストであるChim↑Pomリーダーの卯城竜太さんと、松田修さんを中心に、「アーティスト論」を軸に様々なお話を展開していただきたいと思います。そもそもなぜ「アーティスト論」なのか? ここから話を始めていきましょう。
卯城 きっかけはいくつもあるんですが、例えば、自分が国際展なんかに参加してきて、毎回つくづく感じること。キュレトリアルな時代だと言われるようになって長い間経っていると思うんだけど、国際展ってキュレーターが描く「世界像」がまずあるでしょ。国際展以前にグループ展自体がそういうもんなんだけど、まずはキュレーターが描く「大きな物語」がある。
で、その大きな物語を理解することが目的化すると、個別の作品はそれにそって配置される。その結果キュレーターの意図がテキストベース、とくに英語で理解できないと展覧会自体を楽しめないような構造になっているイベントがめっちゃある。そういう「大きな物語」や言語がわからなくても、ヤバい作品ひとつとの出会いでガツンと満足するような経験が、得にくくなってきた。
——現在はとくに国際展の数も非常に増えています。
卯城 キュレトリアルな話だけじゃなく、アートフェアもそう。めっちゃアーティストが参加しているけど、一つひとつの作品(一人ひとりのアーティスト)を見出すのが蟻の行列レベルで難しくなってきている(笑)。全体的に、ほぼ同じサイズで同じ傾向の作品がたくさん並んでいるから、「アーティストの個」というものが見分けられない。
で、「あれ、アーティストってそもそもなんなんだっけ」っていう疑問が拭えなくなってきた。そこにはもちろんウチらも含まれています。いま言ったような「大きな物語」と「個」の話が、自分にもブーメランで返ってきちゃうことが結構あるんです。
例えば、外国でChim↑Pomの活動をプレゼンするときに、1時間や2時間でまとまるパッケージで語らなきゃいけないでしょ。海外のオーディエンスが理解しやすい物語を僕がつくって作品をレイアウトすると、そこに入り切らない作品は語られなくなっちゃう。公共の問題や放射能、移民などを扱った作品がエースみたいになって、ゲロ吐いてたエリイちゃんとか即身仏になってた稲岡くん、岡田くんの描く線のニュアンスとか——自分は大好きなのに——そういう身体的な作品がもれがちになっちゃうんだよね。で、いつのまにか、「Chim↑Pomはこういうものだ」って居心地の悪い概念が成立しちゃって、メンバーみんなにとってChim↑Pomが客観的なものになってきちゃう。
そんなときにひとつの評論が出たんですよ。ジョセフ・コンスタブルってサーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)の若いキュレーターが書いたChim↑Pom論なんですが、ざっくり言うと、「Chim↑Pomは身体を使った個的な作品と公を扱ったプロジェクトによって、個と公のギクシャクした関係を表現しているように見える」的な。これは僕にとって目からうウロコでした。なぜそういう作品たちがウチらの中で矛盾なく共存しているのか、それを図星で言い当てられた感じだったし、ひいては、クリス・バーデンやヴィト・アコンチみたいなクソヤバい身体表現をやってた作家たちが、なせが後年は建築を扱ったり、街灯やジオラマなどパブリックオブジェクトなど公的な素材を作品にしてたんですが、その感覚が納得できた。
で、そんな「個」と「公」の話を友だちの松田くんに飲みながらしたら、今度は松田くんがスパークしはじめた(笑)。
そしてこれらの話が、「にんげんレストラン」の実践、現在開催中の「グランドオープン展」(19年1月26日まで)、そして「アーティスト論」をベースにした、「大正時代のアートがなぜ一般的にそこまで認知されず、いうなれば“ブラックボックス化”したのか」っていう突拍子もない話を含んだ今回のシリーズにつながったわけです。
知られざる「大正」
松田 「公」と「個」の関係を歌舞伎町で実践的に表現することを卯城くんが考えていて、「大正時代にあった日本初のアンデパンダン展」の話になったんだよね。で、僕はアカデミックな大学(東京藝術大学大学院美術研究科)を卒業し、それなりにアートの文脈を学んできたつもりだったけど、(大正のことは)知らないことだらけだった。で、大正のアートを調べまわったんだけど、超刺激的でびっくりしたんだ。
その後、Chim↑Pomのメンバー間でもなかなか大正のイメージの共有ができないこともあってか、アンデパンダン展ではなく「にんげんレストラン」になっていったんだっけ。まぁとにかく「大正時代のアーティスト」の話題は、僕にとっても近年稀に見る刺激的なものだった。日本史上で間違いなくトップクラスの問題作、《遠眼鏡》を描いた望月桂なんて、まったく知らなかった。《遠眼鏡》は、大正天皇を描くってだけではなくて、当時絶対的にタブー視されていた「大正天皇の遠眼鏡事件」を題材にしていた作品です。
「遠眼鏡事件」は——信憑性は定かではないものの——「大正天皇が帝国議会の開院式で詔勅を読んだ後、進行した脳病によるものか、その勅書を丸めて遠眼鏡のように議員席を見渡した」とされる事件。さらに画風は未来派とマンガのハイブリッドな淡彩画だった。未来派は機械文明を礼賛していたグループなので、大正天皇を「機械」として描いたとも読み取れる。
現代の「人間宣言」をした天皇の時代ではなく、まさに天皇が「現人神」であった時代で!ですよ。ヤバすぎる。こんな作品があるのに、大浦信行さんの昭和天皇コラージュ事件(*1)のときも、小泉明郎さんの《空気》のとき(*2)も、望月桂はまったく言及されていない。
言及されてないといえばもうひとつ。Chim↑Pomをはじめとした様々なアーティストが東日本大震災に対して大きく反応したわけだけど、このときだって、関東大震災直後からバラックにペンキで絵を描く運動をしていた「バラック装飾社」(*3)の話なんかが出てきてもいいですよね。「バラック装飾社」の中心人物である今和次郎は、「野蛮人の装飾を、ダダイズムで」なんて言ってて、バラックに怪獣のようなものや渦巻き紋様を激しいタッチで描いてたっていうからこの人もヤバイ(笑)。まぁ、調べれば調べるほど強烈なアーティストのオンパレードで、知らなかったことを恥じると同時に、いまではすっかり影響を受けるようになった。でも大正のアートは、周りのアート関係者に聞いてもほとんど知られてないし、陰謀的なものまで感じたよね(笑)。
卯城 そうそう。《遠眼鏡》と望月桂の話はマジで僕にとってもインパクトだった。日本のアンデパンダンの歴史は彼から始まってるらしいしね。てか、彼が主催したアンデパンダン展はやばすぎて警察に6点押収されたんでしょ。28点に撤回命令が出て無視した結果。で、望月さんは押収した警察署に行ってその6点の盗難届とか提出してるんだよね(笑)。ギャグセンスが高すぎる。
この情報も作品も一般的には全然知られてなくて、ネットで出てくるのは版画家・風間サチコさんのブログのみ(笑)。会田誠さんも周りのキュレーターも知らなかったし、たしかにここまで知られてないと陰謀論を感じる(笑)。
ふと思ったんですが、日本のアートって戦後や敗戦をアイデンティティにし過ぎていませんか? 前衛と言ったらみんな60年代のことばっか言うし、岡本太郎から始めすぎている。それが効果的だった世代の戦略は理解できるけど、ぶっちゃけ僕らの世代は戦後のマインドよりも、どっちかっていうと戦前にシンパシーを感じる人も多いと思う。オリンピックや万博で戦後の成功体験を求めてる感じのいまの政治を見ても思うけど。同じ敗戦国のイタリアだと未来派から現代まで地続きなのに、なぜ日本はこんな断絶してるのか。
戦後っていま73年間でしょ? 明治元年から表現の自由が死滅する昭和13年までだって70年間だよ。同じボリュームがあるのに、なんでみんなザックリ廃仏毀釈から茶の湯、岡倉天心から黒田清輝、あとは岸田劉生とかその辺のペインターをなぞって藤田嗣治になるんですか? ま、そのへんは次回詳しく話そう。(第2回に続く)
*1——1986年に、アーティスト・大浦信行が昭和天皇の写真をモチーフとして使った《遠近を抱えて》(1982-85)を発表後、収蔵した美術館が作品を売却。図録470冊も焼却された。大浦はこれを不服として裁判を起こしたが、一審、二審を経て2000年12月最高裁で棄却され、全面敗訴。
*2——アーティスト・小泉明郎が天皇を扱った連作《空気》(2016)が「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展(東京都現代美術館)で出品不可となった出来事。同作は東京都現代美術館と同じ清澄白河にある無人島プロダクションでの小泉明郎「空気」展で展示された。同作については椹木野衣のレビューを参照されたい。
*3——今和次郎が結成した同人団体。その名の通り、バラックを絵で装飾することを目的に活動を展開した。