この連載は、「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」構想を発端にはじまったものだが、今回は、それとは異なる視点で、筆者が専門とする建築計画という立場から、「これからの美術館」について考えてみたい。まずは、「これまでの美術館」の話から。
第三世代の美術館
建築家の磯崎新は、自身が設計する美術館建築を説明するにあたり、美術館を3つの世代に分けて論じている。「第一世代の美術館は、一八世紀の末までに成立した、王侯貴族の私的コレクションを公開する目的で設立され」(*1)たものであり、「ルーヴル美術館」をはじめとして、額縁や台座を持った具象的な美術作品が、有彩色の壁面に展示されている。続く第二世代では、「美術が内包している想像的空間の質が変化しはじめ、その展示空間もさらには新しい型が要請され(中略)美術作品はその近代主義的視点によって、究極的に平面や立体に還元され、これが均質空間に浮遊する状態をイメージ」(*2)しており、白い展示壁面を持った、いわゆるホワイトキューブと呼ばれる均質な展示室がつくられる。
そして、第三世代は、「生存している芸術家が自らの作品を自由に空間的に設置(インスタレーション(*3))するような傾向とかかわって(中略)サイト・スペシフィックな作品と呼ばれる(中略)すなわち空間に独特な性格をみなぎらせるような強度が要請されて」(*4)おり、この文章とともに発表した「奈義町現代美術館」(1994年開館)を、磯崎は第三世代の美術館として位置づけている。
この美術館には、宮脇愛子、岡崎和郎、荒川修作+マドリン・ギンズによる3つの作品が設置されているが、それらは美術家と建築家の協働によって、特異な形状を持った展示空間として構想されたものであり、サイト・スペシフィックな常設展示を持つ美術館となっている。そして、このような作品と建築が一体となった美術館は、「地中美術館」(2004年開館、設計:安藤忠雄)や「十和田市現代美術館」(2008年開館、設計:西沢立衛)、「豊島美術館」(2010年開館、設計:西沢立衛)など、主に日本においてつくられていくことになった。
しかし、磯崎が述べる第三世代の美術館における、作品を入れ替えることのできない常設展示室の考えかたは、いささか特殊解であると言わざるをえない。そう考えたとき、「サイト・スペシフィックな作品に対応する美術館」として近年、世界各地で急増している「リノベーションによる美術館」を位置づけることができるだろう。
リノベーション(*5)による美術館は、美術館以外の工場や駅舎などとしてつくられた建築物が、様々な理由でもとの役割としては使われなくなり、美術館として再活用されているものである。パリの「オルセー美術館」(1986年開館、改修設計:ガエ・アウレンティ、オルセー駅を転用)をはじめとして、ベルリンの「ハンブルガー・バーンホフ現代美術館」(1996年開館、改修設計:ヨーゼフ・パウル・クライフス、ハンブルク駅を転用)やロンドンの「テート・モダン」(2000年開館、改修設計:ヘルツォーク&ド・ムーロン、発電所を転用)などが代表例として挙げられる。
たいていの場合、もとの建築物の空間構成とともに、床や壁といった構造体や仕上げがそのまま使われることで、それがホワイトキューブ的な白い壁面を持っていたとしても、展示室に場所性や歴史性を含みこむことができ、磯崎が指摘したような「空間に独特な性格をみなぎらせるような強度」を持たせることが可能となる。磯崎による第三世代美術館の定義は約四半世紀前のものだが、現在からとらえ直してみると、リノベーションによる美術館こそが、第三世代の美術館としての役割を担っていると考えられる。
第四世代の美術館へ向けて
前置きが長くなったが、本題の「これからの美術館」について筆を進めよう。はじめに筆者の専門は建築計画と書いたが、建築計画の研究では、ある建築物の使われかたを調査することで、次なる建築物を更新させることが意図されている。そんな立場から見ると、美術館の変遷もまた、展示されている美術作品が変化することによって、その後を追うように美術館建築が変化しているように見える。つまり、使われかたの変化が先行して、建築を変化させているのである。そう考えたとき、近年の美術作品の変化をとらえることで、「これからの美術館」を考えることができるのではないだろうか。
例えば、最近の芸術祭やアートプロジェクトに見られるような美術作品について、以下のようなことが言われている。美術評論家の中原佑介は、「大地の芸術祭」における美術作品の変化に対して、「脱芸術」と称して、「展示作品に見られる、美術家と地元の人びととの共同制作、いわゆるコラボレーションという現象に注目して、そこに『創造する人間があり、その人間によってつくりだされた作品を鑑賞する人間がいるという二重構造の通念を壊す要素が潜在している』」(*6)と述べている。
また、東京藝術大学の熊倉純子らは、アートプロジェクトを「共創的芸術活動」と呼び、
1.制作のプロセスを重視し、積極的に開示
2.プロジェクトが実施される場やその社会的状況に応じた活動を行う、社会的な文脈としてのサイト・スペシフィック
3.様々な波及効果を期待する、継続的な展開
4.様々な属性の人びとがかかわるコラボレーションと、それを誘発するコミュニケーション
5.芸術以外の社会分野への関心や働きかけ
と定義し、「こうした活動は、美術家たちが廃校・廃屋などで行う展覧会や拠点づくり、野外/まちなかでの作品展示や公演を行う芸術祭、コミュニティの課題を解決するための社会実験的な活動など、幅広い形で現れるものを指すようになりつつある」(*7)とまとめている。
いっぽう、『美術手帖』2018年8月号では、「ポスト・パフォーマンス」と題した特集が組まれ、「観客は作品を鑑賞するだけでなく、アーティストが仕掛けたアクションに参加することで作品が成立したり、作家から個の身体性が切り離され、第三者の身体そのものが作品になったりする」ような、「時間と空間が限定されたなかで立ち現れる作品や、美術館においてパフォーマンスや身体を用いた作品」(*8)が取り上げられている。これもまた、現代における美術作品の変化のひとつであろう。
また、同号で、『人工地獄 現代アートと観客の政治学』の著者であるクレア・ビショップが、美術館内のパフォーマンスを批判して、「展示空間は人が一日を過ごすのに適した環境ではない。貧相な音響空間、硬い床、(作品を湿気から保護するためにデザインされた、しかし人間にとっては乾燥しすぎている)空調。着替えのための控え室もない」(*9)と、その機能的な問題を批判のひとつとして挙げていることが紹介されている。
もちろん、現代の美術作品の変化は、これだけに留まるものではないのかもしれないが、それぞれの世代の美術館に対応する美術作品が、第一世代が具象的な「もの」、第二世代が抽象的な「もの」、第三世代が場所性を伴った「もの」と乱暴にまとめることができるならば、第四世代の美術館に対応する美術作品は、アートプロジェクト的、またはパフォーマンス的な、「人」が含み込まれた作品という傾向を持つのかもしれない(*10)。
居心地の良い展示室
その変化した美術作品のための展示室のありかたを考えるうえで、ひとつの参照すべき事例がある。「東京都美術館」(1975年開館、設計:前川國男)の「公募展示室」は、公募団体などのグループに貸し出すことを主な目的としたもので、市民ギャラリーなどと呼ばれる貸しギャラリーと同様に、美術館の日本的ないち機能を担っている。
その展示室には、フックを用いて簡単に作品が展示できるように、穴の開いた白い壁が用いられているとともに、2012年の全面的な改修に伴い、床にはタイルカーペットが採用されている。その床材の選択理由は、「歩行音を抑え吸音性も高いことから、静かに集中して鑑賞できる(中略)高齢化が進み美術館で余暇の時間を過ごす高齢の方もますます増えていくなか、歩きやすく、万が一転倒したときのダメージを抑えられることも大きい」(*11)といったものであった。ホワイトキューブが、巾木や空調の吹き出しなど、視覚的に邪魔となる要素を排除した中性的な空間を求め、結果的に緊張感を持つ空間を生み出していることと比べると、有孔板による壁とカーペットによる床は、なんとも“ゆるい”空間である。
その「公募展示室」を会場として、年に一度、「TURNフェス」という展覧会が開催されている。これは、15年から開始された「TURN」(*12)と名づけられたアートプロジェクトの活動を一堂に集めたものである。「障害の有無、世代、性、国籍、住環境などの背景や習慣の違いを超えた多様な人々の出会いによる相互作用を、表現として生み出す」ことを目的として行われるアートプロジェクトで、プログラムとしては、アーティストと、福祉施設や社会的支援を必要とする人の集うコミュニティが出会い、相互に関係しあう時間を重ねる共働活動が行われている。
この「TURNフェス」では、アーティストとともに施設の人々が、つねに展示室内に滞在している。それは、滞在することが、この展示のためには不可欠だからである。そして、その滞在に対し、有孔板とカーペットによる“ゆるい”展示室は、ある種の居心地を提供していたのだった。例えば、有孔板は、フックを用いることで、人の手を加えることができる手掛かりを持った壁となったり、カーペットは、そのまま家具を用いなくても、ペタッと座り込むことのできる柔らかい床となる。さらに、それらは、いずれも吸音の役割も担っている。
これまでの美術館の展示室が、視覚を最優先する「もの」のための空間であったとき、ハードな表面仕上げは不可欠であった。しかし、「人」が含み込まれた作品という傾向を考えたとき、長時間にわたって展示室に滞在する人たちのために、居心地と呼ぶべき環境的な配慮が必要となるのは必須である。そのとき、ビショップのように、居心地の悪い展示室におけるパフォーマンスを批判するのではなく、パフォーマンスのために展示室の居心地を良くする、という逆の発想があり得るのかもしれない(*13)。もちろん、極端な話をしていることは承知している。だからこそ現状では、「人」が含み込まれた作品は、従来の視覚を優先した展示室を持つ美術館ではなく、アートプロジェクトとして、人の生活する場である街なかで行われているのかもしれない。
「人」が含み込まれた作品のための美術館
それでは、このような状況のもと、どのような「これからの美術館」が考えられるだろうか。例えば、海外の事例としては、「テート・モダン」の増築である「スイッチ・ハウス」(2016年開館、設計:ヘルツォーク&ド・ムーロン)(*14)が挙げられる。ここでは、1960年以降、美術がアクティブになり、「美術家—観客—美術作品」の役割が変化したことに対応した展示が行われている。新たに展示室も追加されているが、それらは従来どおりの「もの」のためのホワイトキューブであり、特筆すべき新しい機能は、「テート・エクスチェンジ」と名づけられた場所とプログラムである。ここは、美術家を含んだ人々が交流を行うために常時開かれた場所であり、居心地を確保するソファなどの家具とともに、展示も可能な移動式のボードなどが用意されている。まさに「人」のための場所と言える。この背景には、「ラーニング」(*15)と呼ばれる教育普及を更新する考え方があり、それを空間化したひとつの事例でもある。
いっぽう、国内の事例としては青森県八戸市において、2020年の完成に向けて、「新美術館」の計画が進んでいる。様々な美術施設が展開する青森県(*16)の中で、八戸市の地域性を考慮した「新美術館」は、アートの文脈で「八戸の美」に迫る美術館、アートが中心にある環境で「八戸の人」を育む美術館、アートの力を「八戸のまち」に波及させる美術館となることを、基本理念として掲げている(*17)。
筆者は、同館の建設アドバイザーと運営検討委員会委員を務めており、 「人」や「まち」といった要素を、美術館の構想にあらかじめ含み込むことで、アートプロジェクトを重ね合わせた美術館を目指す計画に参加している。そして、その設計者を選定するプロポーザルの結果として、建築家の西澤徹夫、浅子佳英、森純平のチーム(*18)が提案した「ラーニングセンター」としての役割を意図した計画が選ばれた。それは「八戸にすでにある(中略)文化資源を専門的に調査・研究し、ほかの都市の文化資産と結び付けながら新たな価値を考え創出すること、そしてそうしたプロセスをスタッフや市民、さらに市外からの来館者と共有することを可能にする『学びの拠点』としてのラーニングセンター」(*19)である。
「八戸市新美術館」には、「ジャイアントルーム」と名づけられた、「人」のための空間が中心に位置づけられている。ここは、教える人と学ぶ人が同じ場を共有する、ラーニングセンターの基幹となる巨大な空間であり、企画準備室での展覧会の企画準備やプロジェクトルームでのアートプロジェクトの準備といった活動が可視化される。または、エデュケーションプログラムの授業やイベント、簡単なミーティング、ミニレクチャー、アーティストとの交流の場として使われることが想定されている。
ここには、視線を遮るだけでなく、吸音の役割も担う長大なカーテンが吊るされるなど、居心地の良い活動場所をつくるための工夫が検討されている。そのいっぽうで、「ホワイトキューブ」や「ブラックキューブ」といった、現代の美術作品に対応する展示室とともに、制作活動を行うことのできる「スタジオ」「ワークショップルーム」「アトリエ」など、それぞれの機能に特化した、「専門性の高い個室群」が用意されている(*20)。
はたして、この「ジャイアントルーム」は、美術作品の変化に対応した新たな展示室と呼べるものとなるのであろうか。それとも、たんに巨大化した教育普及のための場所でしかないのか。この美術館が「第四世代の美術館」と呼ぶべきものとなるのかは、今後の運営を含めた、さらなる検討が必要となるであろう(*21)。
しかし、視覚を優先した「もの」のための「ホワイトキューブ」を持ちつつ、「人」の活動のための「ジャイアントルーム」が大きく確保された八戸市新美術館は、スイッチ・ハウスと同様に、「これからの美術館」のひとつのありかたを示すものになることが期待される。そのとき、その美術館において、どのような作品がつくられ、どのような作品が展示され、どのような作品が収蔵されるのか。美術館建築における「これからの美術館」への変化は続いている。
*1——磯崎新『造物主議論』(鹿島出版会、1996年)39頁。
*2——同上、41頁。
*3——原文では、「インスタレーション」は「設置」に対するルビ。
*4——同上、43頁。
*5——機能転用を意味する「コンバージョン」という用語が使われる場合もある。
*6——中原佑介「越後妻有アートトリエンナーレのもたらしたもの」『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009』(現代企画室、2010年)14〜15頁。
*7——熊倉純子監修、菊地託児・長津結一郎企画/編集『アートプロジェクト 芸術と共創する社会』(水曜社、2014年)9頁。
<*8——「特集:ポスト・パフォーマンス」『美術手帖』(美術出版社、2018年8月号)9頁。
*9——田中功起「パフォーマンス以後のパフォーマティヴィティについて」同上、114〜123頁。この文章で田中は、ビショップの「ブラック・ボックス、ホワイト・キューブ、パブリック・スペース」(2017年)を取り上げている。また、同号には、ビショップの「美術館におけるダンスの危機と可能性:テート、ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館」(2014年)の抄訳も掲載されている。
*10——美術館におけるワークショップなどの教育普及活動、アーティスト・イン・レジデンスなどの制作活動、アートセンターなどにおけるアートが指し示す領域の拡大なども同様に、この傾向につながるものと考えられる。
*11——「すべての人に開かれた『アートへの入口』となる美術館」『東リニュースレターCUBE』(東リ、2015年)改修設計を担当した、前川建築設計事務所の東原克行の談話より。
https://www.toli.co.jp/cube/cube58/index.html
*12——2015年に東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディングプロジェクトのひとつとして開始され、2017年度より、東京2020公認文化オリンピアードとして実施されている。監修はアーティストの日比野克彦。https://turn-project.com/about
*13——筆者は、居心地の良い展示室のありかたを実験するために、「TURNフェス2」(2017年)において、アーティストの富塚絵美と協働して(あわい〜名義)、展示室を楽屋化する『みんなの楽屋』というプロジェクトを行った。
*14——現在の正式名称は「ブラバトニック・ビルディング」。
*15——「森美術館」では、「ラーニング」を「世界各地で生み出された現代アートを、より広く、より深く、ともに学ぶためのプログラム」と説明し、「1990年代以降の現代アートの世界では、観客が作品へ積極的に関与する参加型アートやパフォーマンスアートが拡がってい」ることなどが背景として挙げられている。
https://www.mori.art.museum/jp/learning/about/index.html
*16——「国際芸術センター青森」(2001年開館、設計:安藤忠雄)、「青森県立美術館」(2006年開館、設計:青木淳)、「十和田市現代美術館」、「弘前市芸術文化施設(仮)」(2020年開館予定、改修設計:田根剛)などを指す。
*17——「八戸市新美術館整備基本構想」(八戸市、2016年)1頁。
*18——プロポーザル時の応募者名は「西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同体」。
*19——「八戸市新美術館基本設計 概要版」(八戸市、2018年)1頁。
*20——同上、2頁。
*21——筆者は、八戸市新美術館建設工事設計者選定プロポーザル審査委員会の副委員長として設計者選定に参加(委員長:北原啓司)、その後は、八戸市新美術館設計建設アドバイザーをつとめるとともに、八戸市新美術館運営検討委員会の委員として運営の検討にも参加している(委員長:日比野克彦)。