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シリーズ:これからの美術館を考える(5)
美術館の現場にみる雇用と批評の問題

5月下旬に政府案として報道された「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」構想を発端に、いま、美術館のあり方をめぐる議論が活発化している。そこで美術手帖では、「これからの日本の美術館はどうあるべきか?」をテーマに、様々な視点から美術館の可能性を探る。第5回は東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻で教鞭を執る住友文彦。

文=住友文彦

アメリカを代表する美術館であるグッゲンハイム美術館 (C) Pixabay

 はじめに「リーディングミュージアム」の言葉を聞いたとき、どうも奇妙な感じをおぼえた。そもそも「墓場」として考えられている「ミュージアム」に前のめりな言葉を合体させたちぐはぐさだろうか。美術館の収蔵庫は紛れもなく墓場であり、調査や展覧会の企画もいわば喪の仕事に等しい。そうした学芸員の仕事の実感とかけ離れた語感を持つ言葉に多くの人が反応したとしても無理はないかもしれない。

 しかし、文化庁の資料「アート市場の活性化に向けて」には税制や学芸員等の体制強化など積年の課題も含まれ、美術館を改善していくうえで好意的に見ることも可能であるように思う。ただ、昨年の地方創生大臣による「学芸員不要発言」などで現場には根深い中央官庁への不信感が増している。また指定管理者制度などをめぐる美術館に起きている状況にまったく無知であるかのような態度、さらに加えて今回のような産業中心の論理をかざしてどうするんだ、という怒りの声が上がったのは当然といえる。

 いっぽうで提案を支持する声もある。むしろ経済振興に結びつく政策がなんで悪い、と受け止める人は一般的には少なくないだろう。おそらく全国美術館会議が声明(2018年6月19日付)を出したとしても、そうした人たちにメッセージは十分に届いてない。専門家が自らつくった倫理綱領を持ち出したところで、その考えが社会と共有されるとは限らないからだ。つまり、美術館側は社会へ向けて自らの使命や存在意義を十分に発信できていなかったのではないだろうか。したがって、今後もずっと続く美術館とそれを取り巻く政治とのすれ違いのために議論しておくことも必要である。じつは初めにこの原稿依頼があったとき、あまり大したことではないとみなし拙速に反応するのは控えるつもりだったが、その後このように私の考えが変わり、寄稿することにした。

一貫性ない国の文化政策

 さて、まず気になるのはこの件をめぐる議論がまるで空中戦のように見えることだ。世界の美術市場の規模、国際的な文化発信力の獲得、競争力のある研究環境などをめぐる議論に欠けているのは、実際に美術館が置かれている状況の分析である。そのズレにこそ、先に挙げた「怒り」の矛先は向かっているはずである。5月18日の全国美術館会議の総会では、文化庁の美術学芸課長が現場の声を聞かせていただき支援していきたいと述べ、その翌週に「リーディングミュージアム」関連の報道があった。まるで美術館関係者と意思疎通がとれていないようにみえる。

 一般的に美術館の役割をわかりにくくしているのは、美術館がいわゆる公募団体やメディアイベントへの貸会場となっている事情ではないだろうか。この国において、作品の収集と調査および展示、さらに教育普及の専門性を持つ美術館の歴史はけっして長いものではない。東京都美術館、京都市美術館は、それぞれ前名称時代を含めると100年ほど経つが、公募団体やメディアイベントの会場に求められるのは美術の専門家よりも調整役だ。戦前は博物館、民藝館、資料館、植物園など、産業や科学の振興や失われる物を保存するためのミュージアムが先行し、美術館が専門性を高めていく歩みは戦後、博物館法が設置されてから段階的に進み、1970年代に地方美術館が多く開設された頃に広く浸透し、学芸員の専門性が意識されてから経過した年月はまだ浅い。

東京都美術館は1926年、日本で最初の公立美術館「東京府美術館」として開館した 出典=ウィキメディア・コモンズ
(不明 - 建築学会編『明治大正建築写真聚覧』建築学会、1936年12月25日。国立国会図書館デジタルコレクション: 永続的識別子 1223059, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87782584による)

 戦後民主主義の理念を掲げた社会教育法と博物館法の時代にはお金がなく、専門家育成の具現化は限定的で、高度経済成長期には各新聞社が数多くの展覧会を開催する。海外渡航も比較的自由で経済的にも余裕のあった時代の新聞社等のメディアイベントには芸術振興を掲げる大義がそれなりにあった。しかし、それは美術館と学芸員が各地に整備されても続き、企画展主義ともいえる現在の美術館の偏りある姿をつくるもとになった。私が教育を受けた90年代でも、学芸員なんて新聞社の下働きだと述べる講師がいたことをよく覚えている。そのような状況では教育機関においても美術館の専門性はしっかり認識されてこなかったであろう。

 その後、90年代には学芸員志望者が増え、専門的な教育の必要性が認識されるようになる。ところが日本経済は不況へ陥り、学芸員の採用も減ることになる。そして2000年以降の指定管理者制度の導入以降は、非正規雇用が増えるいっぽうである。

 つまり、啓蒙的な役割を終え、いまや営利事業となっているメディアイベントは続き、専門的な人材が養成されているにもかかわらず十分に活用されていない。美術館の増加や文化への関心が高まっている現在の社会的変化を顧みると、専門家を育成する文化政策としての一貫性が著しく欠けているのは大きな問題ではないか。念のため書き添えておくと、ここでは学芸員が十分に専門性を発揮した展覧会であってもメディアによって宣伝と動員が演出され、美術館が足りない予算をメディア各社が負担し、チケットやグッズの売上を収入として得る仕組みであれば広くメディアイベントとみなしている。今後は、メディアイベントとしての演出が、専門性に対してどのように影響を与えているかを詳細に考えるべきかもしれない。

優秀な人材確保が鍵

 もう少し雇用の問題を述べておくと、とくにグローバル化という点では90年代以降美術館の仕事への関心が高まり、海外へ留学した優秀な人材が日本の美術館に就職できていない。それは採用条件で日本の学芸員資格を求めたり、相変わらず縁故採用がなくならないためで、私が教える大学でも留学は就職に不利と思っている学生がいるくらいである。

 それから、もともと役所的な人事制度に縛られてきたため異動も少なく、専門分野とミスマッチしたまま働き続ける例も多く見ている。そうした点においても専門性を高める環境があるとは言い難い。もし、先進的な事業の実施を求めるのであれば、真っ先に美術館に優秀な人材がこなくなっている点を危惧するべきである。芸術を愛する者にとって美術館の仕事は魅力あふれるものであり、この問題を解消し人材を獲得すれば、かなり日本の美術館は国際的にも大きな役割を果たしえるはずだ。

 いっぽうで非正規雇用は、じつは厳しい条件や複数の職場をこなすことで目的意識の高さや、マネージメント能力などのスキルにおいて評価できる人材を生み出しているのも事実である。とくに地方の中小規模の美術館は、運営や広報などにおいてかなりマネージメント能力を発揮しているところがある。むしろ、国立館など文化庁に近い施設ほど、予算は潤沢だが利用ターゲットが明確でないためしっかりしたガバナンス体制を取りづらいように見え、こうした現状認識のズレの原因になっているのではないか。

 よく考えれば、こうした構造的な問題は現場ではすでに広く知られていることなのに、中央官庁や文化政策関係者が解決のために動かないのもおそらく同じ理由である。重要な文化政策の意思決定をしていく場には、現実の課題と真剣に向き合う経験のない人たちが多いはずである。

 ちなみに、これまで文中で何度か「専門家」という言葉を使ったが、これはなにも美術史や美学を学んだ者に限定されるものではない。美術館の運営はかなり複合的なものである。美術の知識以外に、経営、危機管理、施設運営、ホスピタリティ、広報宣伝など多岐にわたる人材が求められるので、本当にいい美術館をつくるためには芸術分野以外の専門家も数多く必要である。

 じつはこうした人材不足をメディアイベントが補う役割を果たしてきた面もあるのだが、それは一過性の事業として機能することで、むしろ根本的な解決を遠ざけてきたと言うべきだろう。今後の美術館における専門家育成は、リカレント教育、留学、隣接領域の専門家、女性や外国籍の人材活用などに対応していく必要が出てくるだろう。

 しかし、メディアとの関係をめぐる本当の問題は、同資料にも書かれている批評の不在だ。新聞社はほぼどこも自社事業の記事を他の展覧会レビューよりも大きく割いている。本業が好調でないため、展覧会事業で赤字は出せなく近年はさらに過熱している。本来批評を載せるべきメディアが自社のヨイショ記事に多く紙面を割いているのは本末転倒である。

 いまどきは新聞社やテレビ局の影響を低く見積もる意見もあるだろうが、それにしても芸術関係者以外にも広く美術の知識や動向を伝えるはずのメディアで長年批評の場が増えないのは大きな課題であり続けていると思う。批評の場の少なさのほかに、英語をはじめとする外国語による批評が台湾、韓国、中国、タイなどアジア諸国と比べても少ない点についてはやや解消しつつあるように見えるが、前述した人材流出にも理由が求められる。

いま、本当にアメリカ型美術館を目指すべきなのか?

 地上戦レベルの課題抽出はまだ続けられるが、現状把握として最後に重要な点を挙げておきたい。文化庁の資料はアメリカ型の美術館を念頭に置いているように見えるが、ここ最近そうした経営者マインドの強い美術館館長がヨーロッパにも現れていることに私は驚いている。それは間違いなく市場の論理が強くなっている証拠である。そして、当然美術関係者たちが危機感を訴える機会もますます増えている。

 そうした趨勢において、果たしていまからアメリカ型美術館モデルを目指すのは本当に適切なのか。美術館のありかたは一様ではなく、世界各地で墓や埋葬の仕方が違うように異なってもいいはずだ。それはつまり過去をどう語り伝えるか、に関わる問題だ。それがまさに文化としての価値を生み出すのであれば、独自の語り口を持つくらいのほうがいいのではないか。

 じつは日本の美術館は先に述べた経緯を経て、中小の美術館が数多くあり、それぞれが地域の美術を調査し収集してきた。学芸員は人員不足のため、直接作品に触れ、展示作業を行い、来場者と接するといった美術館の活動全体を有機的に把握するスキルに長けている。専門分野化が進む欧米の美術館と異なる点である。それは結果的に、毛細血管のように地域の隅々まで美術の調査が行き届き、作品の物質的な組成や背景となる地域共同体も含む全体性を把握する特徴を持つようになっている。これは美術作品を素材や社会が織りなすものとして生成的に見ていく近年の研究動向において、優位な立場をつくっているともいえる。

 新しい変革は積年の課題を解決するために大いに結構だが、利点を消し去らないようにしないと独自性を失う結果になる。日本の美術館の質はけっして低くなく、国際的な競争力を持たせるのも難しいことではない。そのために美術館側は、自らの役割と存在意義をもっと社会と共有する努力を積み重ねるべきだろう。

 ここで書いてきた問題は、基本的には現場ではすでに長年模索が続けられているため解決可能であり、十分な予算と人材育成の仕組みを与えれば先進的な事業を実施できる。長年凍結されている作品収集予算を復活させ、メディア各社の事業部のスタッフも含め美術館の職員として多様な人材を確保すればよいのだ。そのようにマネージメントや外国語に堪能な者が美術館で働き、批評の場を生みだすことが優先ではないだろうか。血液を押し出す力である予算と人が付かなくなってすでにだいぶ経っているが、まだいまなら血脈は端々に行き届いているはずだ。

 むしろ政府や中央官庁が考えるべきなのは、変革によってこぼれ落ち、捨て去られてしまうものへの配慮ではないだろうか。それは産業や教育分野などで大きな変革を迎えるときに必ず議論されてきたことと同じである。さらに現在、作品や資料は保存修復やデジタル化する人員と予算の体制があるところに移動している。中小美術館の独自性を記したが、それでも自国だけでない美術のダイナミックな歴史を学べる大型の常設展示室を持っていないのは問題だ。中小の美術館が広く地域に浸透し、かつ日本国内にそんな大規模美術館が2〜3館あれば、作品や資料の所蔵者や作家の遺族も、またこれから美術を学ぶ者にとっても大いに役立つはずだ。

 「海外では、ミュージアムという中核的機関(評価軸)があることで市場参加者が増加し、流動性が向上(=アート市場が活性化)する状況を創出」という同資料の認識はおそらく正しい。にもかかわらず、提案書は美術市場で儲けるという下心満載にしか見えないのがとても悲しい。この資料を作成した人たちが羨ましいと思っている国々は、経済振興ではなく文化振興に長年熱心に取り組んだ結果として市場で有利に立っている。

 しかし、それが「評価軸」になるかどうかは、大きさや権威ではなく、絶え間ない批評とのやりとりによって決まる。歴史を固定的にとらえず、絶えず新しい資料を参照しながら異なる見方を生み出していくような美術館である。だから、何も荘厳な墓場としての美術館である必要はない。つねに生きている者との間に応答があることこそ、幸せな死者の弔い方ではないだろうか。

編集部

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