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ドイツ写真の核心を現代に繋げるためには? 1997年3月号「ドイツ写真:ベッヒャー以後」

『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。アーティストの原田裕規が美術手帖のバックナンバーを現在の視点からセレクトし、いまのアートシーンと照らしながら論じる。今回は、1997年3月号に掲載された「ドイツ写真:ベッヒャー以後」をお届けする。

文=原田裕規

1997年3月号「ドイツ写真:ベッヒャー以後」内、清水穣「D線上のアリア ベッヒャー・シューレ、ヨーロッパ近代そして戦後ドイツ」図版ページ(P36〜37)

ドイツ写真の核心を現代に繋げるためには?

 本特集のタイトルは「ドイツ写真:ベッヒャー以後」。ベッヒャーとは、デュッセルドルフ美術アカデミーで教鞭をとったベッヒャー夫妻のことを指す。夫妻のクラスからは、ルフ、グルスキー、シュトルートなど、現代ドイツを代表する写真家が次々と輩出された。彼らはのちに「ベッヒャー派」と呼ばれることになるが、なぜこれほど多くの才能がこのクラスから輩出されたのだろうか?

 話は第二次世界大戦後にまで遡る。戦後ドイツ社会では、誰であれ、ホロコーストの歴史に向き合うことが道徳的な責務とされてきた。芸術家もその例外ではなく、それを象徴する「想起の文化」という言葉がある。これは、芸術文化を通じて過去の記憶を現在に接続することを求める言葉であり、ベッヒャー夫妻の作品がまさにその典型だった。

 夫妻の作品では、給水塔や製鉄所など、ドイツの産業遺構が証明写真のような手つきで写されている。これらのモチーフはいずれもドイツの軍需産業を思い起こさせるものだ。「過去を語らないが、忘れない」、いわば沈黙のモニュメントのような夫妻の作品が、戦中の記憶を倫理的に引き継ぐ「想起の文化」の典型と見なされたのだ。

 特集内の論考で清水穣は、ベッヒャーの写真はその撮影方法に注目が集まりがちだが、じつはモチーフとの結びつきこそが重要であると指摘する。この態度が後続世代へ受け継がれたことで、「冷静な視線」を共有するベッヒャー派が生まれたというのだ。

 しかし現在、ある事態によってその前提が揺らぎつつある。イスラエルによるガザ侵攻だ。従来ドイツ社会では、ホロコーストに対する贖罪意識から、イスラエルは歴史的「被害者」として特別視されてきた。しかし被害者であったはずのイスラエルがいまや戦争犯罪を行っており、被害と加害の図式が反転している。

 ベッヒャーの作品がそうであったように、戦後ドイツで生まれた芸術の多くはホロコーストへの深い反省に根ざしていた。では、被害/加害の図式が反転してしまったいま、それらの表現をどのようにして捉え直せばよいのだろうか。

 「語らないが、忘れない」──この態度の背景に「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)という著名な警句があったことを思い起こせば、ベッヒャーは過去を感傷的に語ることの暴力性をこそ警戒していたことがわかる。しかし、現在進行形のジェノサイドに対する最大の暴力とは「語ること」でなく「沈黙」である。つまり、ドイツ写真の核心を現代に接続させるためには、かつてのような「沈黙」ではなく、その逆の「語り」に向けて、表現を開いていく必要があるのではないだろうか。

1997年3月号「ドイツ写真:ベッヒャー以後」

『美術手帖』2026年1月号、「プレイバック!美術手帖」より)

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