アンフォルメル旋風を経て、批評家たちが語った「変容」
1956年11月に開かれた「世界・今日の美術」展では、日本で初めてまとまったかたちでアンフォルメルが紹介され、これをきっかけに日本の美術界には「アンフォルメル旋風」が吹き荒れた。『美術手帖』1963年10月号増刊の「日本の美術はどう動いたか」では、瀬木慎一が言うところの、興奮の高まりから生まれた「アンフォルメルにあらざれば前衛にあらず」とでも言うべき「炎上」から7年がたったなかで、「あの状況」を振り返る特集が打ち出されることとなった。
──だが実際にページを開いてみると、そうした企図とはいささか異なるところで本特集は印象的である。例えば宮川淳は、今日の美術はその「状況」の変化以上に「表現行為そのものの意味の変容」にこそ注目すべき事柄があると説く。また瀬木慎一は、この炎上騒ぎを批判する過程で「集団的創造方式」と瀬木が呼ぶもの、すなわち公募団体展から現代美術に至るまでの「徒党化」を批判している。まるで近年の「コレクティブ」を想起させもする言葉だが、重要なのは、その反動で生まれた個展重視の作家主義的態度もまた、その後数年で効力を失ってしまったという証言である。
すなわち、この変容に対しては作家も批評家も、「状況論」では対応しきれなかったということだ。他方で、宮川が語るような「変容」と呼応するように、別の鼎談で東野芳明は次のように語る。「一つのその断ち切った現在がばらばらに集積されているというか[…]その否定の積み重ねで一つのタブローが終っている。しかしできあがったタブローを見ると、そのいちばん奥からイメージの原型のような、亡霊のようなものが浮かび上がってくるんだ」。これはアンフォルメル的=ヨーロッパ的な制作に対し、ポロックに代表されるアメリカ的な制作について述べた箇所である。
人々が実際に集って徒党を組み、連帯を示すのではなく、それぞれ異なる時間へばらばらに断ち切られながらも、その奥底で共通する無意識をもって「集団化」する制作こそが、旧来のものに対置されている。そして、この変化をとらえるためにわざわざ「亡霊」という言葉が呼び起こされたことは興味深い。この変化をとらえるために必要なのは「状況」を語る言葉ではなく、宮川が言うような「変容」をとらえる言葉であり、それは従来の美術史が「作家」を基準としたデータベースを構築してきたのに対して、そうでない主体を基準にしたデータベースが要請されているということなのではないか。
ばらばらでありながら「集団」的な、あるいは「亡霊」的な美術の言葉を仮構すること。それはおそらくいまも未解決なまま残された課題である。
(『美術手帖』2018年10月号より)