ポップ・アートの展開をめぐる「時限爆弾的」先見性
奇しくも本稿の執筆中、国内を代表する3ギャラリーの合併がアナウンスされた。新たに誕生したメガギャラリーの名前は「ANOMALY」。1992年にレントゲン藝術研究所で開かれ、のちのシーンに先鞭をつけた「アノーマリー」展を彷彿とさせる名前である。そしてこの展示から遡ることさらに半年強、同展の出品作家4名のうち3名がレントゲン藝術研究所に集められていた。そのうちのひとり、村上隆が国内での華々しいデビューになったと語る「ポップ/ネオ・ポップ」特集掲載の座談会を収録するためである。
楠見清の編集による特集の構成は「ブリティッシュ・ポップ・アート」「アメリカン・ポップ・アート」「ユーロ・ポップ/ネオ・ポップ」の3章から成り、なかでももっとも有名なこの座談会はその末尾に配置されている。編集意図としては、才能ある若手3名を「ポップ」の正統な継承者として押し出すことにあったのだろう。実際にその後の作家たちの躍進により、その先見性はいまも高く評価されている。しかし、一見して連続性を持つ本特集と同展のあいだには、決して無視できない分割線が引かれてもいた。
「アノーマリー」展のキュレーターは、特集の寄稿者でもある椹木野衣だった。椹木は寄稿文のなかで、特集が打ち出す「ポップ・アートからネオ・ポップへ」の連続性を断ち切るかのように、抽象表現主義からポップ・アートへと連なる「マチズモ」を批判し、これに新しいポップが用いるようになった「悪意」という方法論を対置している。その「悪意」とは、かつて流行した「少女美術(ジャパニーズ・ポップ)」という「オリエンタリズム」に擬態しつつも自己批判する仕草であり、さらにそのまま、2014年に文化庁主催のシンポジウムで座談会メンバーが再招集された際、かつての「ネオ・ポップ」がのちの「クール・ジャパン」とほとんど同義に語られるようになってしまったことに対して、その不在があらわになってしまった批判意識にも重ねられるものだった。
座談会メンバーの躍進、「アノーマリー」展の成功など、様々な点でその「先見性」が評価される本特集である。しかし皮肉なことに、いまとなっては「ポップの正史」を描き出そうとした編集側の企図に対して、椹木が時限爆弾のように仕掛けたこの「悪意」(とそれに伴う「擬態」というテクニック)こそが、本特集のなかで観測できるもっともスリリングな「先見性」であるように感じられる。様々なものが「善意」によって包摂されていく現代において、この手だてはむしろいまこそ有効になるのではないだろうか。
(『美術手帖』2018年12月号より)