東アジア・東南アジアから集まった12のコレクティブ・アーティスト
本展では版画、とくに木版画を通じて社会に関わり、介入する実践から生まれた作品がアジア各地から集結した。参加したのは東アジアからA3BC:反戦・反核・版画コレクティブ(東京)、陳韋綸(Chen Wei-lun、台北)、劉家俊(Jay Lau Ka-chun、香港)、林樂新(Lam Lok-san、香港)、點印社(Printhow、香港)、木刻波流(Woodcut Wavement、広州 上海)、刺紙(Pricky Paper、広州)、印刻部(Print & Carve Department、台北)、キム・オク(Kim Eok、ソウル)、東南アジアからはタリン・パディ(Taring Padi、インドネシア・ジョグジャカルタ)、パンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap、マレーシア・サバ)、プリントメイキング・フォー・ザ・ピープル(Printmaking for the People、フィリピン・マニラ)の、全12のコレクティブ・アーティストだ。アクティヴィズムを志向するコレクティブから個人で活動するアーティストまで、制作のスタンスは様々だ。
会場では、天井から吊り下げられたタリン・パディのバナー《民衆のトランペット》(2018〜19)が力強く出迎える。壁面に展示された作品は、吊り下げられていた紙や布に刷られた版画だけでなく、ZINE、ポスター、Tシャツ、壁画、映像、床に敷かれたカーペットに置かれた作品など、形態やメディアは様々だ。本稿ではこうした展示作品に加え、4月29日に開催されたシンポジウム「問題としての境界 -木版画の実践と経験から-」にも言及しながら、本展の意義を述べていく。
現代アジアの木版画運動
アジアにおいて版画、とくに集団制作の木版画を通じたアクティヴィズムを実践するコレクティブが各地で登場し、本展のようにまとまって展示されるに至った背景には、いくつかの伏流がある(*1)。
今日の動きの起点のひとつになっているのは、1990年代末にインドネシアで反スハルト政権を訴える学生運動から始まったコレクティブのタリン・パディだ。彼らはデモで巨大なバナーや木版画を用いて反政府のメッセージを発し、2000年代からは開発に晒された地域コミュニティの社会運動を、作品を通じて支援した。この動きが各地のDIYカルチャーやパンクと結びつき、マレーシアのパンクロック・スゥラップなど音楽と版画で政治的なメッセージを訴えるコレクティブも結成された。その意味で、同会場の1階で本展と同時開催された「Punk! The Revolution of Everyday Life」展(キュレーションは川上幸之介/倉敷芸術科学大学芸術学部デザイン芸術学科准教授)とは切っても切れない関係にある。木版画は専門的な教育を受けていなくても誰でもつくることができ、紙や布に刷るため作品を持ち運びやすく、複数枚制作することで作品を広めることができるため、アクティヴィズムの現場で活躍した。
日本においてタリン・パディの影響で結成された木版画コレクティブが、東京・新宿のインフォショップ「Irregular Rhythm Asylum」(以下、IRA)を拠点とするA3BC(2014〜)だ。2016年に高円寺の「素人の乱」やIRAなど東京の複数のオルタナティブ・スペースによって開催された「NO LIMIT 東京自治区」には、アジアをはじめ各国から約200人が来訪し、IRAでのワークショップをきっかけに、DIYカルチャーや自律的な場所づくりに関心がある人たちによって、台湾や中国にもコレクティブが結成されていった。さらに、2018〜19年の「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s−2010s」展(福岡アジア美術館、アーツ前橋)では、アジアの木版画運動の歴史の深さと地理的な広がりが可視化された。
これらに触発されて、クアラルンプール出身で香港を拠点に活動するクリスティー・ウン(Krystie Ng、吳君儀)、香港出身で同地を拠点に活動するの李俊峰(Lee Chun Fung)らが中心となって、2019年から自主出版雑誌『亞際木刻圖繪』(Inter-Asia Woodcut Mapping Series、通称・Woodcut ZINE)が刊行され始めた。23年5月現在4巻まで発行されているWoodcut ZINEは、毎号アジアの木版画運動を支える理論や、20世紀における木版画運動である魯迅の木刻運動などの歴史的側面、各地のコレクティブへのインタビューなどを伝える。
本展はこの出版活動の延長線上にあり、同ZINEの編集を担うクリスティー・ウンと李俊峰、そして福岡拠点の江上賢一郎(東京藝術大学特任助教)の3人による共同キュレーションによって行われた。シンポジウムでクリスティーは自身の実践を「方法としての自主出版」と位置づけた。自主出版雑誌は展覧会や学会と比べて理論的理解と実践的理解を架橋しやすく、また自分たちのペースで発行できる有効なツールだからだ。クリスティーはすでにクアラルンプールと香港で2回のインターアジア木版画展を企画している。今回はそれらを経て、新型コロナウイルスのパンデミックによる国を跨いだ移動制限が解除された後、初めて開催された展覧会だった。多くの出品作家が来日してシンポジウムで作品と活動について語り、物理的にひとつの場を共有する有意義な機会となった。
なおキュレーションチームの活動は、1990年代から続くインターアジアのカルチュラル・スタディーズの流れにも位置づけられることを、シンポジウムで毛利嘉孝(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授)は指摘した。
「境界」はどこにあるのか
本展の「脱境界」のコンセプトは、李を中心とする3人のキュレーターによって設定されたが、これは、アートは「脱境界」の媒介になるのかという問題意識から発生したもので、展覧会やシンポジウムですべてが明示されたわけではないが、筆者は本展では4つの「境界」が想定されていると解釈し、以下ではそれぞれの「境界」と作品について述べていく。
1つ目は本展を説明するウェブサイトのリード文でも書かれている通り、新型コロナウイルスの流行とパンデミックによる移動制限だ。国や地域を隔てる境界が可視化され移動が困難になった状況は、心の境界も広げていった。
これに対して本展で出品されていたのが、Tシャツに木版画を刷った《武漢への叫び》(2020)だ。制作した台湾の陳韋綸はインドネシアのパンクカルチャーへの関心から木版画によるアクティヴィズムを行い、労働運動を支援する活動も行う。パンデミックの最初の震源地となった武漢、そして中国に対する差別を煽る台湾の政治家に対抗し、武漢の友人の心情に寄り添うためこのTシャツをつくり、ワークショップも開催した。タイトルは武漢のパンクバンドの曲の歌詞からとっている。
香港と中国本土は通常なら日常的に行き来できるはずが、パンデミック中は自由な往来が制限され、物理的にフェンスまでもが築かれた。版画工房・香港版畫工作室で働く林樂新はロックダウンの最中に、中国にいる妊娠中の妻と長期間離れざるをえず、中国に入るためには毎回長期間の隔離が必要だった。林はこの体験をもとに、隔離期間を終えたことを証明する「隔離通知書」を素材に「とても近く、とても遠い」(2022)と題したシリーズを発表した。
林は個人で活動するアーティストで、アクティヴィズムを実践しているわけではないが、ただ生活を送るだけで、香港と中国の政治的な境を否が応でも意識させられたため生まれた作品と言えよう。アジアだけでなく世界的に、パンデミックによって通常時以上に国境や地域の境が強い意味を持ち、移動が制限された。逆説的だが、その経験を共有したことで、2023年時点におけるインターアジアの対話を可能にする前提が生まれたのかもしれない。
2つ目に本展の背景にある重要な「境界」と言えるのが、2019年のデモに代表される民主化運動後の香港と中国の関係だ。とくに本展キュレーターで香港出身の李はこの意識が強く、香港拠点のコレクティブやアーティストの作品が多数紹介することで、香港の現状と今後の変化への思いを表していた。
例えば、劉家俊の《さらば香港》(2023)は、近年の香港の映像に、政府関連のプロモーション資料に印刷した木版画を被せた作品だ。パンデミック後に香港政府が急速に中国との一体化政策を進めていくことで、はたして「境界」が消滅するのかを問うものとなっている。
點印社(Printhow)は、2017年に結成した女性のみによるコレクティブで、女性に対する暴力の反対やジェンダー、セクシュアリティ、移民問題に取り組んできた。
本展で展示された《思いを馳せる人びと、場所》(2023)はアジア・アート・アーカイブのワークショップで制作された作品で、ポストカードをつくり交換することによって、いまは会えない懐かしい人や場所に想いを馳せた。なかには、メンバーのひとりが香港民主化運動に関わり逮捕、収監されていることにふれたものもあった。
3つ目の「境界」は、社会のマジョリティからはじかれ、存在を認識されない弱者の存在だ。環境問題、労働問題、移民問題など近年のアジアの木版画運動がこれまで取り組んできたテーマである。
マレーシアのパンクロック・スゥラップは現在、市民権がなく十分な教育を受けられないコミュニティの子供たちにその機会を与えるグループの活動を支援している。《境界のない教育》(2023)は、教育を媒介に社会的な境界を乗り越えるという想像力を可視化した作品である。
4つ目に挙げたいのが、冷戦によって長年固定化してきた政治的な境界だ。本展では展示室奥に韓国のキム・オクの作品が掲げられた。1980年代の軍事政権に対する民主化闘争をきっかけに木版画制作を始めた作家のひとりで、本展の出品作家のなかではもっとも年長かつ、版画をつくり始めた文脈も異なる。
「DMZ」シリーズ(2019)は朝鮮半島の南北を隔てる北緯38度線の周囲に設定された非武装地帯(DMZ)を描いたもので、フィールドワークを通じて現地の山や田畑、そこに暮らす人々を描いた本作は、のどかな風景を通じて、朝鮮半島が抱える傷を可視化する。
本作が展示されたことで、冷戦による境界が20世紀半ばから固定化されている現実を改めて突きつけられる。歴史的なパースペクティブが加わることで、「脱境界」の難しさが明示され、それでもアートに可能なことは何かを問いかけるようだった。
なお、展示に加わったインドネシアのタリン・パディのメンバーは来日せず、シンポジウムへの参加もなかった。もし来日していたら、おそらくドクメンタ15での「反ユダヤ疑惑」問題について彼らの思いを聞くことができただろう。実際、『亞際木刻圖繪』4号では「反ユダヤ疑惑」について特集し、様々な社会におけるタブーを紹介している。
「現場」はどこにあるのか
本展の意義を述べたうえで課題として指摘したいのは、多くの作品は展示空間で鑑賞されることを前提につくられていないため、それらが用いられた現場から切り離されており、ただ展示されるだけでは文脈がわかりにくくなってしまう点だ。
例えば、マニラのプリントメイキング・フォー・ザ・ピープルは、フィリピン・マニラの貧困問題や政治家の不正義を訴える。普段は街頭でポスターを貼るのが主な活動のため、展示空間で自分たちの作品を見せるのは今回が初めてだったという。今回の展示では、街頭ポスターとして貼られた様子が再現されている。
上海、広州を拠点に活動する木刻波流は、中国各地の様々なコミュニティと協働して障害者、少数民族、LGBTQ+などのテーマでワークショップを行い、記録をZINEにまとめている(*2)。こうした活動は、テーマによっては時に警察から警告を受けることもあるそうで、出版よりも介入を受けにくい少人数でのワークショップでしか共有できないことがあるようだった。
本展での展示は、内モンゴルでのワークショップが前提にある。定住化が進み、伝統的な暮らしが失われているなかで、「協力とは何か」というテーマでディスカッションしながら作品を制作した。展示では版画を伝統的なテント住居のゲルのように丸く並べ、車座になって話したワークショップの場面を再現した。
こうしたワークショップのプロセスやアクティヴィズムの現場でどのような使われ方をしているのかは、シンポジウムにおいて各グループが紹介していたが、映像などがあれば、より伝わりやすくなっただろう。ちなみに、同時期に国立民族学博物館で開催されていた「ラテンアメリカの民衆芸術」展では、メキシコ・オアハカの版画運動が紹介されていたが、そこではデモ行進の脇で版画作品を壁に貼っていくプロテストの様子が映像で流され、作品が現場でどのように用いられているのかを臨場感を持って伝えていた。またコレクティブへのインタビュー映像も充実していた。本展でも、記録集などが発行される機会があれば、そうした情報も補完されることを期待したい。
監視と検閲をすりぬけて
この課題を踏まえて改めて展覧会を見渡すと、ZINEを展示し活動イメージを映像で紹介し、現場で壁画まで描いた広州の刺紙は、展示を通して幅広い活動へと人々の興味を惹きつけることに成功していた。
刺紙の活動主体は、同名のZINEをつくることだ。2019年から刊行し始めた同ZINEの表紙は木版で、なかは出力したコピー用紙だ。内容は日常のこと、逮捕された友人の経験、生理や更年期といったフェミニズムに関わることなど、個人の経験から生じた問題意識が綴られている。さらに中国各地で製本と木版画制作を教えるワークショップを開催することにも力を入れ、オルタナティブ・スペースも運営している。
「刺紙」は広東語ではトイレット・ペーパーと似た発音で、このZINEは当初トイレの個室に置かれて読まれることを想定してつくられた。というのも、トイレは中国で監視カメラがない数少ない場所だからだ。製本ワークショップを盛んに開催するのも、中国では正式な出版はすべて検閲を受けるため、自主制作によって自由に表現することを広めるためだ。
海外に住む友人を通じて各国のアートブックフェアなどで販売し、その収入で運営を賄っているが、仲間内では「Drifting Backpack」というプロジェクトで、ZINEをリュックに入れて回し読みし、新たに自分がつくった冊子も加えていく。これも、検閲を受けていない本は正式には販売できないためだという。信頼に基づくオルタナティブなネットワークを築こうとする背景には、自由な表現を切実に求める現状があるようだった。
なぜ一緒に版画をつくり、交換するのか
刺紙のメンバーで来日していた陳逸飛が展示室の壁に描いたのは「寝そべり主義者(躺平主義者)」のイメージだ。これは中国の激しい競争社会へのアンチテーゼで、資本主義や国力に資する労働者として搾取されないための新しい抵抗のかたちとして、若者のあいだで広まっている。
シンポジウムで李、潘律(香港理工大学副教授)らは、アジア、とくに中国圏の木版画運動を理解するキーワードとして「寝そべり主義者」と、それに関連する流行語「内卷(Involution)」を挙げた。定義は流動的だが、例えば激しい内部競争下で仲間を凌駕するため過剰にベストを尽くそうとする人などを指し、寝そべり主義者は、こうした状況を忌避する態度の表れだという。
ネット上やSNSで、高速で大容量の情報をやりとりすることに比べ、身近な素材と道具で木版画やZINEを制作することは、アナログで時間がかかるうえ、手の労働を必要とする。またコレクティブの仲間と協力して活動すること自体が、人と人の競争を煽る社会に抗う行為だと言えよう。
21世紀において米中対立や「新冷戦」と呼ばれる新たな国際秩序が形成されていると盛んに言われる。監視や対立の扇動を乗り越えて、個人には何ができるのだろう。
本展では、とくにオルタナティブなネットワークを構築しようとする活動に大きな可能性を感じた。また點印社は版画を通じて収監されたメンバーへの思いをかたちにしているが、本展がきっかけで、他国のコレクティブがそのメンバーに贈る作品を託すことにも広がっていた。こうしたつながりは、どんなに精神的な支えになるだろう。
本展とシンポジウムでは、版画やZINEを一緒につくること、アジアに住む者同士が境界を越えてそれらを交換し共有し合うことといった、個人同士の素朴で有機的なネットワークの意義が提示されていた。
*1──本節で記した内容は拙稿「『ドクメンタ15』のタリン・パディ作品から考える対話の可能性・不可能性──アジア・日本の木版画運動の現在地点から」で詳しく述べた。
*2──「木刻波流」はA3BCが東京で開催したワークショップに触発されて結成したが、「波流」は魯迅の木刻運動のキーワードから引用しており、中国の木版画運動の歴史性も意識している。