インクとほのかな木の匂いに包まれた東京藝術大学大学美術館 陳列館の2階。アジア各地の木版画による芸術・文化実践に焦点を当てた「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐 」(脱境界:インターアジアの木版画実践)が11日間の会期をスタートさせた(〜5月8日)。
参加作家・団体は、A3BC(東京)、陳韋綸(台北)、劉家俊(香港)、キム・オク(ソウル)、林樂新(香港)、パンロック・スラップ(サバ)、刺紙(広州)、印刻部(台北)、點印社(香港)、プリントメイキング・フォー・ザ・ピープル(マニラ、フィリピン)、タリン・パディ(ジョグジャカルタ)、木刻波流(上海、広州)。キュレーターは吳君儀 (独立研究者、クアラルンプール)、李俊峰(アーティスト、香港)、江上賢一郎 (東京藝術大学特任助教)。
近代木版画運動は、中国の小説家・思想家である魯迅(1881〜1936)によって20世紀初頭に始まり、民衆自身が社会や現実を表現する運動・手法としてアジア各地に伝播したものだ。これらは社会構造やメディアの変化により20世紀後半には下火となったが、近年、アジアの芸術家や社会活動家たちの一部では木版画を通じた活動が再燃。社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動、集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきた。
本展では、世界や社会に張り巡らされた様々な「境界」(とくに2020年のパンデミックに起因する国境問題や差別、社会的・心理的断絶など)にフォーカス。12の作家・活動団体らが木版画を起点とした独自のアプローチを紹介するものだ。
設営会場では、本展キュレーターのひとりである吳君儀が見学の学生らと質疑応答を交わしている最中であった。学生の「なぜ油画などのペインティングではなく木版なのか」という質問に対し、吳は「メディアとしての木版画の良さは、美術を専門に学んでいない人々にとっても扱いやすい点にある。色のコントロールもしやすく、インパクトのある図版を生み出せる。中国や日本における版画は歴史深いものだが、東南アジアではメディアとしての手軽さが魅力となっている」と述べた。
まず会場で目につくのは、2022年の「ドクメンタ15」に参加したことでも記憶に新しいインドネシア・ジョグジャカルタのコレクティブ、タリン・パディによる《民衆のトランペット》(2018〜19)だ。これらはタリン・パディの視座でとらえられた2019年国政選挙以降のインドネシア社会の状況を表しており、政治的腐敗や環境、人権問題をテーマに取り上げることで、公正で豊かな社会の実現を要求するものだ。
2020年にフィリピンで結成されたプリントメイキング・フォー・ザ・ピープルは、同国都市の貧困層や女性グループ、学術・芸術家サークル、活動家組織など、様々なバックグラウンドのメンバーによって構成されている。展示される作品群は、国家権力や過剰な開発により虐げられる貧困層や労働者にフォーカスしたもの。視覚的なインパクトが、フィリピンの実情を鮮明に伝えてくれている。
マレーシア・サバ州のパンクロック・スゥラップは、アートを通じた農村コミュニティや社会的弱者へのエンパワーメントを目的に2010年より活動を行っている。タリン・パディによる木版画実践に触発されたパンクロック・スゥラップが掲げるのは「教育の機会平等」。「なぜこれらはTシャツにプリントされているのか」という編集部の問いに対し、キュレーターの江上は「本作に限らず、これらの木版画実践は『自分たちの声を届けるためのメディア』である側面が強い。展示作品というよりは、屋外や日常的に目につく場所への掲示をイメージしてつくられている」と語っている。
中国の中央美術学院版画科を卒業し、香港で仕事をする林樂新は、コロナ禍に自身が異国の地で経験した「家族との分断」をテーマに作品を制作した。林にとって、入国のたびに提出を求められる隔離通知書は中国と香港のあいだにある見えない「境界」。この厳しい分断により家族と会えなくなってしまった林は、その際の証明書の上に、木版画の点描技術を用いて家族の姿を彫った。それはちょうど、自身の妻が妊娠し、息子が誕生するまでの時期と重なっていたという。
木刻波流は、中国の様々なコミュニティと協働し、ワークショップを開催するコレクティブ。各地を行き来しながら、その土地が抱える課題や現状をもとに冊子を制作するとともに、それらを持ってまた各地を巡っていくという活動を実践している。コレクティブの活動自体がメディアの役割を担っているのが特徴だ。
同じく木版画冊子『刺紙(Prickly Paper)』はトイレで読むための読み物であり、毎号異なるテーマ、寄稿者、デザインで出版されている。トイレに設置された投稿箱によって寄稿されるテーマは、中国における表現の自由やジェンダーの話題など様々。『刺紙』にとってこれらの活動は志を同じくする友人らとのコミュニケーションの方法なのだという。
設営中、作家らがコミュニケーションを取りながら、即興的に展示空間をつくり出していく姿を目の当たりにした。その様子は、互いに自身の声を伝え、協働し、メディアとしての木版画を生み出してく制作スタイルにも通ずるものがあると感じた。
これらのアウトプットは通常美術館で見るような作品とは異なり、会話やアクションを生み出していくためのきっかけとなるものだ。作家らの母国や身の回りで起きていることはなにか、どのような「境界」から離脱・解体を求めているのか。11日間という短い会期で、いま声を上げる作家・団体らの活動をどうか見逃さないでほしい。