「展覧会」のコリをほぐす
自館のコレクションを軸とする、傑出した展覧会の企画が続いている。福島県立美術館と和歌山県立近代美術館の共同企画による「もうひとつの日本美術史 近現代版画の名作2020」、武蔵野美術大学 美術館・図書館による「イラストレーションがあれば、」の面白さは既にふれたとおりである(*1)。今回取り上げる芦屋市立美術博物館の「芦屋の時間 大コレクション展」もまた、コレクション展のありかたに大きな一石を投じる、とても刺激的なものだった。鑑賞していると気持ちが楽しくなり、顔がニコニコしてきて、表情を整えるのが大変だった(マスクをしていてよかったと思う)、ということもあわせて記しておくと、少し臨場感をもってこれからの文章を読んでいただけるかもしれない。
まず、出品作家の顔ぶれが普通ではない。通常、コレクション展と言っても、そこでは出品作家の選択がなされる。いわゆる名品の展示であれ、何かしらの特集(主題、ジャンル、地域、年代など)に基づく展示であれ、一般的に美術館に展示されているのは、学芸員が選んだ作家たちの作品である。だが、本展ではその選択がなされていない。「大コレクション展」というタイトルにふさわしく、芦屋市立美術博物館が所蔵している作家126名全員の作品約190点が展示されているのである。これはその結果、戦後の吉原治良をはじめとする具体美術協会らいわば前衛の作家たちの作品群の向かいに、戦前の小出楢重ら具象絵画の作家たちの作品群が並ぶなど、ふだんであれば表現傾向と活動年代が違うために同じ展示室には展示されそうもない作家の組み合わせが見られるということでもあった。主に近代から現代にかけての重層的な「芦屋の時間」が、じつにシンボリックに立ち現れた瞬間である。
さて、ひとり1点から数点とはいえ、126名の作家の作品群は、まさしく所狭しといった趣で展示されていた。公募展ではしばしば見かけるが、美術館主催の展覧会でなかなか出逢うことのない絵画の二段がけの光景に、展示点数が規格外であることがわかりやすく表れていたが、にもかかわらず、では鑑賞のしにくい空間であったかと問われればそのようなことは決してない。これは、会場にキャプションは掲示されているが、解説文はなかったことが効果を発揮していたのだろう。つまり、作品の主題、動機、時代背景など作品をめぐるさまざまな情報はここでひとまず後退しており、作品が空間内にひしめき合い、さながら鬩ぎ合っている様相が、ただ作品と向き合う状況をつくり出していたのではなかったか。
とはいえ、もとからそのような展示が狙われていたというよりは、結果としてそうなったということが、受付で配布されていた解説文の「おことわり」からはうかがえる。すなわち、「チラシ等で、各作家のキャプション解説の『掲示変え』を前期後期で行います、とお知らせしました。しかし、実際に作品を展示してみると『掲示』する場所がなくなってしまい、キャプション/掲示文を配布させていただくことにしました」という。そう、全126名の作品を展示した結果、解説文を掲示する場所がなくなってしまい、印刷物としての受付での配布に切り替えられたのだ。
だがこのことが、鑑賞という行為への能動性をうながしていたように思われる。まず、ひとりで作品と相対する。見る。感じる。考える。うーん、と唸ることもあるかもしれない。そういうとき、解説文を読むとよい。すると、その紙面には、作品を見るときのひとつではない視点、私ではない誰かの声が広がっている。それは、誰かとともに作品を見ている、そういう気持ちにさせるかもしれない。
くわえて、「おことわり」で述べられていたとおり、ちょっと聞いたことがない趣向だが、本展では「各作家のキャプション解説の『掲示変え』」が前期・後期で行われている(*2)。作品自体は変わらず、解説のテキストが変わるのである。もちろん、展示と同様、ここでは全作品の解説が書かれている。
藤田嗣治《ばらと少女》の解説を読んでみよう。
[前期]東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、渡仏。モンパルナスにアトリエを構えモディリアーニ、スーティン、ピカソらと交友しました。独自の白い下地を考案し、日本の面相筆をもちいて細い墨線で輪郭を描いてから淡彩を施す様式をつくりあげました。陶磁器のような白地は「すばらしき乳白色」と賞され一躍パリの寵児になります。1933年一時帰国し、二科会会員となりますが再び渡仏。1940年に帰国した翌年、帝国芸術院会員となりました。戦後はフランス国籍を得て、日本には帰りませんでした。吉原治良、上山二郎、福井市郎、大橋了介など、藤田と交流を深めた画家が多くみられます。(大槻晃実) [後期]河田明久の論文(「フジタの時代」)で指摘してあって意外な気がしたのが、藤田は小出楢重よりもたった1歳年上なだけであり、しかも、東京美術学校(現・東京藝術大学)では藤田は2年上なだけ、ということでした。どこかですれ違っていたかもしれませんね。寿命の違いといえばそれまでですが、小出は「昔の画家」に見え、藤田の、特に戦争画は現代への生き延びるリアルさを体現しているように思えます。敗戦後、アート界の戦争責任の全てを担わされて、国外追放さながら渡米し、戦前に長く暮らしたフランスに永住、「フランス人」になりました。本作の制作年は不明ですが、人形や、人形のような子供らを描いた晩年の作品には不思議な時代錯誤性が感じられもします。彼の描くそんな子供らの目を見ていると、絵を見る私たちの目に対し、歴史も何もない虚空へと促すアイコンタクトをしているように思えてきて、なんだかいつも、背筋がぞっとします。(福永信)
前期・後期ともに訪れなければ想像しにくいかもしれないものの、採用されたこの手法は、作品の「解説」「解釈」「感想」がひとつではないという当たり前の事実に、鑑賞者を気づかせる。ひとりの作家、ひとつの作品をめぐり、しかしその解説文の書き手の違いによってこうも鑑賞の広がりが生まれるということを、実感させられる(*3)。
本展は、「コレクション展」という全国各地の美術館で行われている展覧会の形式を、まったくゼロから新しくしているというわけではない。ただ、所蔵している全作家の作品を展示する、解説文を前期・後期で変える、その解説文を学芸員諸氏(大槻晃実、尹志慧、室井康平)だけではなく本展企画協力の小説家・福永信はもちろん、デザイナー・鈴木大義も書く、キャプションに制作当時の作家の年齢を記載する、などの手法によって、コレクション展のあり方の可能性をおおきく開いている。
福永は、「特に新しい、異様なものを持ち込むことはせず、あくまでいわゆる『展覧会』にすでに『ある』もの、使い古されたボキャブラリーだけを使った、ただしその『使い方』に新しさを見出すようにしたところだったかもしれません」(*4)と言い、本展は「コレクション展」(というよりも「展覧会」と言った方が適切かもしれないが)とは「こういうもの」という「フォーマット」(思い込み?)を主催者がとらえ直すことによって、類例のない展覧会として開催されたように思われる(*5)。
そのうえで、急いで最後に述べておかなければならないことは、本展が、展覧会企画としての「類例のなさ」を目指されて実現されたのではないということだ。開館30周年の機会に、芦屋市立美術博物館の作家・作品を多くの人に知ってもらいたい・見てもらいたいという、主催者・関係者による作家・作品への惜しみない愛情。そのため、述べたようなじつに様々な手法が探られ、用いられた。私がニコニコしながら会場を見て回ってしまったのは、そのためである。
*1──小金沢智評「もうひとつの日本美術史 近現代版画の名作2020」展、小金沢智評「イラストレーションがあれば、」展
*2──前期=9月19日〜10月11日、後期=10月13日〜11月8日
*3── 私は展覧会を訪ねたのは後期だったが、担当学芸員の大槻晃実氏に無理を頼み、前期の解説文をご提供いただいた。A3両面コピーの体裁に、前期は35ページ、後期は38ページの解説がみっちりと書かれている。展示空間と同様、ここではテキストが所狭し、鬩ぎ合っているというわけである。
*4──2020年11月12日14時7分受信、筆者とのEメールのやりとりから引用(許諾済み)。
*5──福永がこのような考えで展覧会を手がけるのは、じつは初めてではない。筆者の前職である太田市美術館・図書館で開催された「本と美術の展覧会vol.1『絵と言葉のまじわりが物語のはじまり~絵本原画からそうぞうの森へ~』」(2017)では、小説家・長嶋有と福永との共同キュレーションによって、太田市出身の画家・須永有の個展が「展覧会内展覧会」として開催された。題して、「長嶋有と福永信のキュレーションvol.1大★須永有展 美と微とbi☆toの原寸大」。ここでも「大」(だい)が使われている点に注目してほしいが、同展では、作品の前期・後期での展示替え、個々の作品をふたりが異なる分量で解説を書く、音声ガイドの制作、略年譜の執筆など、ここでも「使い古されたボキャブラリー」をもとに、展覧会がつくりあげられた。