JOYのためのフェミニズム
小田原 対談の前半では、従来の批評言語ではピックアップされにくい女性アーティスト主体のコレクティブの紹介を中心に話を進めてきました。ただ、繰り返し述べてきたように、それらの活動はそれぞれ異なる動機に支えられていて、一言でまとめることができるものではありません。そうしたなか、百瀬さんから「女性の身体」というキーワードが出ました。後半では、百瀬さんと私という個別の身体がどういった歴史のなかで言葉や思考を構築してきたのか、個人的な話もできればいいなと思っています。はじめに、百瀬さんからうかがっても良いですか?
百瀬 私は、「JOYのためのフェミニズム」という考え方を大事にしています。結論から言っちゃうと、この「JOY」とは、自分の身体は自分のものであり、私はこの身体を楽しんでいいんだという、自己肯定感のことです。私はそこに至るまでの過程がけっこう複雑で。というのも、私は育った家が変わっていて、父親がわりと原理主義的なフェミニストという珍しいパターンだったんですね。うちの両親は結婚をしていなくて、私はいまも戸籍上は庶子扱いになっています。百瀬は母方の姓ですね。一応、父に認知されてはいるけど、非嫡出子と呼ばれる状態になっているんです。
小田原 生活はともにしていらしたのですか?
百瀬 いまは私は実家を出ていますけど、大学を卒業するまでは一緒に暮らしていました。よく覚えているのが、小学生のとき父に「うちはなんで結婚していないの?」と聞いたことがあるんです。そのとき、「なんで自分たちが一緒にいることをお上に言わなきゃいけないんだと思う?」って返されたんですね。
小田原 逆に聞き返されてしまった(笑)。
百瀬 私はうまく答えられなくて。いま想像すると、父はおそらく自分たちが子供を産んだ世帯であることを国に伝えることで、「国力」みたいなものにカウントされるのが嫌だったのかなと思うんですけど。というのも、父は野菜なんかも自分で庭でつくっていたり、わりとアナキスト的な側面が強い人だったので。とにかく、いわゆる「イエ」制度とはズレた価値観の家庭で育ったんですよ。高校も、制服をスカートかズボンか選べるジェンダーフリーを謳った女子校に行きました。
小田原 それは、ご自分の意思で行きたいと選択なさったのですか?
百瀬 何気なく、親に誘導されていたかもしれません(笑)。その学校はフェミニズム教育が盛んだったのですが、すごい授業があって、さだまさしの「関白宣言」の歌詞カードを渡されて、「ジェンダーロールが含まれる部分をマーキングしなさい」と言われるんです。
一同 (笑)
百瀬 真っ赤になるんですけど(笑)。タイトルからアウトだろ、みたいな。いっぽう、そのいわば「フェミ・エリート」のような周囲の環境を誇らしく思うと同時に、自分がなぜか幸せになれないというジレンマも感じていて。例えば気になっていた男の子から告白されても、「結婚しよう」と言われた瞬間すごく萎えてしまう。それは、当時の自分のなかで、女性が家父長制の犠牲者であり、つねに弱きものであるというアイデンティティを内面化せざるを得なかったからだと思います。被害者でないと女性としてのアイデンティティが崩壊してしまうから、自分が幸せだと言えない状態に置かれてしまい、うまく自分のJOYが見つからなくなってしまった。それが大学生ぐらいの頃までズルズル続いたんですけど、自分を変えるきっかけになったのが、ピエール・クロソウスキーの『ロベルトは今夜』(河出書房新社、2006)という1954年に書かれた小説だったんです。たまたま小田原さんも……。
小田原 私もクロソウスキーは大好きで、お気に入りは『バフォメット』です。
百瀬 『ロベルトは今夜』は、夫婦の往復書簡みたいな感じで、日記的な文章が交互に並ぶという構成の小説なんですよね。夫のオクターヴは敬虔なクリスチャンで神学教授なんですが、妻のロベルトは婦人代議士でリアリスト、原罪や戒律の感覚がない。そこで彼はロベルトのもとへ若い男たちをけしかけて不貞の関係を結ばせ、彼女に原罪の意識を植え付けようとする。しかしそれに対してロベルトは、むしろそうしてやってくる男たちと積極的な関係を結び、自らの主体的な性の欲望に目覚めていく。オクターヴの思惑を裏切って、あなたは何もわかっていないと、自分の喜びのために自分の身体を獲得していく、そういう小説なんです。
かつてのフェミニズムでは、結婚制度とは女性が身体をある意味男性に預ける、セックス権を預けることだとも言われた。それに対して、『ロベルトは今夜』は、そうではない自分の身体のあり方を考えるうえで、私に新鮮なパワーを与えてくれた小説だったんです。
私の場合、そこからどんどん変なほうにいって、SM文学も好きになりました。例えばSM文学の古典でもある『O嬢の物語』の著者ポーリーヌ・レアージュは、ドミニク・オーリーという女性作家の偽名と言われています。彼女が、文芸評論家の恋人に「女には性愛文学を書くことはできない」と言われたことに対する反論として、この『O嬢の物語』の執筆を始めたという点もとても興味深い。一見すると女性が鞭で打たれまくったり、ひどいことをされているんですけど、そこには厳密で儀式的な同意のプロセスや、女性が自らの喜びのために身体を相手に差し出す過程が、非常に緻密な描写で描かれている。
そのような文章に触れるうち、自分のやりたいことが見えてきた部分もあって。自分が表現の道に向かったのも、キャンバスと絵具の筆触に少しマゾヒスティックな快楽があったからかもしれないし、自分が他者と対峙して映像を撮るときも、そうした緊張感のなかで対象に射抜かれるような感覚があって、それが自分の主体的な欲望とつながっているんだと思ったときに腑に落ちる感覚があった。自分の身体を通して思考することをもっとポジティブにとらえていいんだと思えるようになったという点で、文学は大きなきっかけでした。
「選ばれる」という意識の内面化
小田原 百瀬さんは、いわゆる日本の婚姻制度には疑いがありますか?
百瀬 疑いというほどではないですが、自分の親が結婚していないぶん、必然性を想像しにくいというか、リアリティがないということはあります。ただ、当たり前ですけど、必ずしも自分のポリシーとプライベートが一致している必要もないと思います。結婚しながらフェミニストでいることも可能なわけですし。
小田原 なるほど。私は結婚していますが、夫が私の姓を名乗っています。世帯主も私です。べつに何か生家からの要請があったわけではなくて、むしろ反対されたのですが、ふたりで話し合ったうえでそのように決めました。
私自身の生い立ちですが、親戚中を見渡しても、母も祖母も叔母たちもみな自分の仕事を持って働いていたので、専業主婦が身近にいませんでした。母方の祖父は戦前に日本共産党員だった人物で、戦後も政治運動に関わっていました。けれど身体が丈夫ではなく、祖母は公務員をしながら祖父の事業も手伝って、猛烈に働いていました。祖母は大正一桁生まれですが、母や母の姉妹たちは山羊のお乳とお手伝いさんが育てたと聞いています。祖父のことは思想も含めて尊重していたのだと思います。夫婦が自由で対等であるために、女性は絶対に働かないといけないという考えを持っていて、私もそれを強く言われて育ちました。結婚や出産はどうでもいい、女性であっても一生続けられる仕事を持つことこそがあなたの人生にとって重要なのだと。あと、パートナーは財産や見た目ではなくて、「思想」で選びなさいと言われたことがあります(笑)。
母は東京出身ですが、いっぽう父は青森出身で生家は農家です。そちらの家では女性と男性が一緒の食卓を囲まないんです。女性はおかってで食べなければいけない。でもじつは、畑にどういう作物を植えるかなど、仕事のいちばん根幹になる部分の決定権は女たちが持っていたりもする。いちばん広い部屋には皇室の近影がびっしりと額装して飾ってあり、物心つくまでは親戚の写真か何かなのかなと思っていました。そんな真逆とも言える「家」のあり方を見て育ちました。
結婚については、それぞれの生家を出て、ふたりで新しい独立した戸籍をつくることをしたかったというのがいちばんです。そうすることが自分たちにとって、本当の意味で自由に生きる唯一の方法だと思ったのです。自分では選べない「家」から離れて、帰りたいと思える家と家族をふたりでつくりたいと思いました。それもあって、結婚式は両親や親類は呼ばず、友人のみで行いました。旧来の婚姻は、女性の人身売買的側面が強くあり、いまでも「家」と「家」の結びつきが強調されるわけですが、私たちに関しては、そうではないあり方を選んだかたちです。昔で言うところの「駆け落ち」に近いかもしれません。そういった家父長制へのカウンターとしての結婚もありうると思っています。とはいえ婚姻制度には不満があって、現状では、名字のことで夫に不自由な思いをさせているのが心苦しいですし、早く選択的別姓になってほしいです。けれど、そんな不自由ななかでも、考えて選んだ、ということを大切にしたいと思っています。
そこから思うのは、百瀬さんも講師をされている「蜘蛛と箒」という組織で、研究者の吉良智子さんが開催する「近現代日本美術史をジェンダーの視点からみる」という連続講座に通っているのですが、そこでいろんな受講者の方と意見を交換して、生い立ちがその人の枷にも力にもなっているということをあらためて感じました。抑圧的なご家庭で育ち、苦しんでいる方もいた。
それから、作家のなかで「選ばれる」ということが驚くほど内面化されていることにも直面しました。具体的に言うと、批評家のような立場の人から無理矢理に近いかたちでふたりきりで会おうと言われたときに断りにくいとか、尊厳を傷つけられるようなことを言われても耐えるしかないとか、ある賞に推薦してもらったりピックアップしてもらった人に抗えないとか、自分は「選ばれる側」だから理不尽な目にあっても多少のことは目をつぶらなければという話を聞いて、とても驚いたんです。
百瀬 性別に関わらず「選ぶ/選ばれる」という、キュレーターや批評家と、アーティストの関係の非対称性の問題はありますよね。キュレーターがアーティストを選ぶ「VOCA」展に代わって、アーティストがキュレーターを選ぶような展覧会をつくったらどうかと思ったことがあります。なんか毎回、馬と馬主みたいな関係性だとお互いに嫌じゃないですか(笑)。それをたまに交換するような試みがあれば面白いのになあ、と。
小田原 馬と馬主(笑)。その意味でも、百瀬さんの「JOYのためのフェミニズム」は重要で、それは自分のあり方を主体的に選べるんだということですよね。この身体を持って自由に生きるという意識が、いろんな枷から自分を解き放ってくれるものにもなるんだ、ということ。もちろん、アーティストとキュレーターや批評家の非対称性は制度的な問題なので、別アプローチで解消していく必要もあるとは思うのですが、少なくとも変だと思うことがあったら意見を言っていいし、嫌な人、恐い人とは会わなくていい。自分を損なうような付き合いは避けていいし、自分で選べるんだよということを、とくに若い世代の人には伝えたい。
百瀬 上の世代からそう言われなければ、若い人は自覚もしにくいですもんね。
小田原 おかしいと思うことがあれば、おかしい、嫌だと言っていい。それは、ぜんぜんワガママなんかじゃない。
「隣にいる人」と問題を共有する
──いろいろなお話をありがとうございます。制度のお話がありましたが、素朴な疑問として、どうしたらそれが変えられるのかと思うんです。美術館にしろ、教育機関にしろ、小さな声を拾い上げていけばそのあり方が変えられるものなのか。
小田原 いまは過渡期で、今後女性がもっと管理側に入っていく。トップダウンは良くないですが、まずはトップやそこに近い人たちの意識が変わらないと、状況は変わらない。だけどそれは、いま権威側にいる男性たちをもれなく排除すべきだということではないはずです。こんなに問題があるからこそ一緒に考えていきましょう、ともに生きていきましょう、という姿勢は欠かせないと思います。そこは、私が強く言いたい部分です。
母校の多摩美術大学彫刻学科で学生がハラスメントの訴えを起こしたときも、当事者の気持ちは当然尊重したいですが、大学という制度や彫刻の歴史の問題でもあると思ったんです。とくに彫刻という領域では、教員たちが学生だった時代には周りに女性が少なかった。それがこれだけ美大に女性の学生が増えたとき、あなたたちの常識がおかしいと言われても、対応する術がわからず抑圧的に振舞ってしまう部分があるのだろうと想像します。とはいえ、現状では大学側が誠実に対応していないので、そこは強く批判されるべきですし、もちろんハラスメントは調停されなくてはなりませんが、教員個人の資質の問題として断罪するのではなくて、過渡期に必然的に生じる構造の問題としてとらえる必要があります。
では、どうすればいいか。権力者を斬首!という方向性ではなくて(笑)、そこに多様性を担保させればいい。そしてその多様性を交換し合うような仕組みづくりをする。具体的には、美術大学でも「ファカルティ・ディベロップメント(大学教員の教育能力を高めるための実践的方法)」を学科や専攻を横断して共有する仕組みをつくるべきです。大学という高等教育の場でどのように美術を教えるかという知見を、交換して蓄積していくことは、これからますます必要です。
百瀬 「ひるにおきるさる」に掲載されている遠藤麻衣さんのロングインタビュー(聞き手・福尾匠)で、私の「以前は『肩パッド』を入れて制作していた」という言葉に触れていただいたんですよね。この「肩パッド」は、前半で話したような、「自分を武装化するための態度」の比喩として使っています。そのインタビューのなかで、福尾さんも「男が自分で勝手に肩パッド入れているっていうのもけっこうあるんじゃないか」と仰っていて。たしかに、勝手に自分で設定した規範に苦しんでいる男性もいると思うんですよ。この世界を椅子取りゲームとしてとらえてしまうと、「自分たちの椅子を女性たちが奪おうとしている」と、ミソジニーに走ってしまったりするわけですよね。でも、そもそもその椅子って存在しているのか。例えばレジャーシートのように全員が座れる場所を、流動的で、仮設的なものとして設定するということだって可能だと思うんです。そうした環境ごとに発生するマッチョイズムは、性別問わずみんなで解決すべき病なのだということを認識して、問題を共有できるフラットな場がつくれたらいいのかなと。
小田原 レジャーシート! いいですね。私は危機は好機だと思うんです。そういう病によって、男性だって苦しんでいる。同質性が高い環境は「同じであること」が求められるので、抑圧がきつくなります。そこで問題が起こるのは当然なんです。だからこそ、そこで必然的に起こってしまう問題に対する異議申し立てを隠そうとするんじゃなくて、ともに学んで、いびつな状況をアップデートするチャンスだととらえていくほうがいい。
最近、アーティストの嶋田美子さんにお話を聞きました。嶋田さんが1997年に『現代思想』誌に寄せた「マニラで考えたこと」という、スーザン・ソンタグの『ハノイで考えたこと』をふまえた素晴らしいエッセイがあって。マニラのいわゆる慰安婦と呼ばれる方たちのことから話が始まるんですけど、彼女たちを一方的に搾取された側、被害者として固定化するのではなくて、そのいろんな側面に光を当てながら、日本人で女性であることの責任や表現活動をすることについて思考されている。
そのなかに「愛しあうこと」という章があって、笠原美智子さんの言葉を引きながら、フェミニズムというのは個としての立場の違いを明らかにするもので、自分とは相反する側の存在を認めたうえで、いかに引き受けられるかを考えるためのもの、フェミニズムは「高度な愛」だと書いてある。個々のフェミニズム観の違いからくる不毛な争いや、闘争の自己目的化、あるいは一方的な「共生」とか「連帯」とは違うあり方を探るうえで、たくさんヒントがあると思いました。
百瀬 あくまで私の身体は私のもの、あなたの身体はあなたのもの。そこを共有しながらも、隣にいることはできる。その距離感に名前をつけると、愛になるというのはわかりますね。
ポップカルチャーの波及力とその影
小田原 先行世代のフェミニズムの思考の蓄積を、アカデミズム的な継承の仕方ではなくても、読み解いて実際の生活に生かすことをつねにみなやっていると思うんですね。私は大学でフェミニズムで学位をとったわけではないですが、自分が生きていくなかで必要な思想だと思うんですよ。というか、あらゆる人間にとって必要だと思います。
──その必要性が、より多くの人に普通に共有されたらいいですよね。
小田原 そうですね。現状だと、武装化のツールとしての側面も強いので、「フェミニズム」という言葉に抵抗を覚える人もいるかもしれません。
百瀬 都市と地方の情報格差の問題もありますよね。最新のジェンダー関連のシンポジウムやイベントは基本的にやはり都会で行われるわけですけど、そういう場所に来られない遠方の女性たちは普段どんな環境のなかで暮らしてるんだろうと考えることがあるんです。女性作家が地方の芸術祭に参加したりすると、現地のおじさんにびっくりするくらい男尊女卑的な発言をされたという話はよく聞きます。そのとき、アカデミックな言葉にどこまで波及力があるのか、ということはよく考えてしまう。
その意味で、ポップカルチャーの速さはすごいなと思っていて。2009年に結成された「2NE1」という異色のK-POPグループがあったんですけど、そのコンセプトは「女性の権利拡大」なんですよ。韓国のジェンダーをめぐる状況は日本と似たところがありますが、日本よりも男尊女卑の傾向が強く、ついこのあいだ違憲判決が出るまで女性の堕胎罪があったくらいです。なので韓国の女性たちには、このままではやばいという危機意識がつねにある。そこでK-POPでは2011年以降、「ガールズクラッシュ」という概念を打ち出し、「守られる儚い対象」ではない、女性が惚れそうになる女性アイドルというイメージをつくり上げたんです。おそらく、そうしたカルチャーは地方にも届き得るし、その波及力と批評的な言葉の力みたいなことが合わさってくるともっと面白くなってくるんじゃないか、みたいなことは考えたりします。
小田原 最近、「韓国・フェミニズム・日本」特集の『文藝』2019年秋季号(河出書房新社)が重版となり話題になりましたが、韓国の女性作家による小説もとても人気ですよね。ただ、私はポップカルチャーに見られるフェミニズム思想をいいなと思ういっぽうで、市場原理のなかで必然的に生まれてきた側面や、販路拡大のために安易に利用されているのではないか、という意識も持っていたいなと思っています。
百瀬 たしかにその指摘は重要だと思います。もともと「ガールパワー」という言葉も、ライオットガールのムーブメントから出てくるんですけど、この動向自体はパンクですから、もともとは市場に抗うやり方だったんですよね。ただ、その後この言葉はスパイスガールズのイメージになってしまった。もちろん、それで広まった面もありますが、矛盾もあると思います。
小田原 1920年代にニューヨークで女性の権利拡大のためのデモパレードがあったとき、女性たちがわざと喫煙をしながら歩いて、これが私たちの「自由の松明」だと言って、それが先鋭的で自立した女性像だとメディアに取り上げられました。それでタバコのイメージがガラッと変わったんですけど、じつはそれは、ラッキーストライク社の依頼でプロパガンダ広告の専門家が仕掛けた世論操作だった。女性の権利拡大の動きを喜ばしいと思ういっぽうで、そこに市場の要請はないか、いったい何によってプロデュースされているのかということは、つねに意識したいです。
百瀬 現代のニューヨークのLGBTパレードにも商業的という批判があるんですけど、そんな批判が出るくらいの土壌があることが、こちらからすると羨ましい気もします。
小田原 そうですね。では、そうした問題をいったん脇に置いて、百瀬さんの気になるポップカルチャーについて教えていただけますか?
百瀬 ポップカルチャーと呼ぶのが適切かわかりませんが、super-KIKIさんというアーティストがいて、彼女はインスタグラムに#selfportraitというタグをつけて、ドラァグクイーンのメイクを再解釈したかのような格好でセルフポートレイトをあげています。彼女が興味深いのは、自分の女性としての身体を、もはや性別や国籍を超えた存在、どこにも所属しない身体へと変換し、こちら側が潜在的に持っているかもしれない先入観を撹拌させていること。それをインスタで発信することも含め、面白いなと思います。
政治と生活をめぐる、複数の方法
小田原 もうひとつ、変革を促すための重要な活動の方法にロビイングがありますね。一例ですが、前橋の作家たちが応援するかたちで、市議を出したんですよね。岡正己さんという、もともとスタイリストをしていて、前橋のコミュニティラジオ局に務めていろいろな企画などをやっていた方が立候補したときに、前橋の作家たちが選挙カーをつくったりして応援したと聞きました。前橋の作家たちと飲んだときに岡さんもいて、「明日仕事なので帰ります」と言うので、デザイナーさんとかなのかなと思って仕事の話を聞いたら、「市議会議員です。明日議会です」とおっしゃって、「え!!」となりました(笑)。アーティストのコミュニティに、普通に市議会議員がいるというのは面白いですよね。
ほかに身近では、東京芸術大学卒で大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにも参加したアーティストの南雲由子さんは、板橋区議をしています。彼女は作家活動をしていた経験を踏まえて、いまは文化庁の補助金全額不交付問題についての集会を参議院会館で開催したり、国会議員を巻き込んでの働きかけをやっています。そういうことはとても有効だと思うんですよね。自分たちの身内から議員を出しちゃう、気になることは彼らにこまめに陳情する、というような。
百瀬 たしかにそういう働きかけも大事ですよね。これは私が所属するアーティスト・ギルドでもよく話されることなのですが、まず学芸員の労働環境の改善が重要な具体策だと思うんです。学芸員が適切な給与をもらいながら、時間をかけてリサーチをできるような当たり前の環境。それはひいては幅広い作家に光が当たるチャンスが増えることにもつながりますし、美術の言説のアップデートにも関わってきます。最近興味深かったのは、共産党の吉良よし子さんが、2019年参議院選挙の文化芸術マニフェストに、「都立文化施設の学芸員等の正規雇用の拡大や収蔵予算の充実等を行い、長期に系統的な運営ができるようにする」という内容を具体的に入れていたんです。もしかしたらなんらかの美術界からのアプローチがあったのかもしれませんが、そうした政策の具体性から選挙を追いかけていく視点もひとつ有効かもしれません。
──必ずしも自分の表現活動と政治的な活動が結びついている必要はなくて、いろんな方法やチャンネルをそれぞれのアーティストが持てるといいですよね。
百瀬 そう思います。私自身、抗議活動のために官邸の前に立つことが多いですが、そうした政治運動の速さとは別のパースペクティブを作品は持ち得ると考えていますし、その両方を同じひとつの身体で行うことには矛盾がありません。
小田原 私の作品は、フェミニズムの直接的なアクションを促すものかと言えば違うのですが、だからと言ってその話題について発言する権利がないということにはならない。それに、この身体を通して作品が生まれるという意味では、自分の普段の購買活動や食のあり方も選択の積み重ねであるわけで、そこから大文字の政治を考えることもできますよね。私生活の面で、百瀬さんが何か具体的に実践していることはありますか?
百瀬 私はいまパートナーがふたりいるんですが、その3人で一緒に暮らしていますね。それはたまたま部屋の契約更新のタイミングが3人重なったから、なんとなく自然にそういうかたちになりました。愛する人と1対1で暮らすことだけが正解ではない。ならば、やってみてから判断すればいいかなと。私はどうも、世間で普通に言われているような「つき合う」というのが、お互い相手の首に首輪をつけあうようでうまく馴染めなかったところがあるんです。いまの暮らしでは、みんながそれぞれの人生を自由に楽しもうと、そんな思いを3人が共有している。そういう意味では、家族という共同体のあり方をもう一度再解釈しようとしているのかもしれない。いろいろな実践が普通にできる世界であってほしいし、そういう寛容さはすごく大事だと思っているんですよ。
小田原 実践というと違うかもしれませんが、私がパートナーとの暮らしのなかで日々思うのは、生物学者・思想家のダナ・ハラウェイが、ジェンダーや種の概念も超えた重要な他者を「伴侶種」と言いますね。私と夫の関係は、それに近いのかなと思うんです。私には、1日の最後の出来事がその日の全体の印象になるという感覚があって、嫌なことがあると「もうこの世界に未来はない、生きる意味がない」なんて極端に考えるところがあるのですが、夫と話すと、ああ人間っていいな、捨てたものじゃないなと思えます。そうやって明日が生きていける。私はそういうかたちでパートナーとの関係性を利用している。ハラウェイの場合、伴侶種は犬などですけど、それは人によって動物であったり、ぬいぐるみであったり、二次元のキャラクターかもしれないし、鏡に写った自分かもしれない。次の日を生きていくための要素は人それぞれですが、こういったことにも百瀬さんがおっしゃったような共同体のあり方、「個」としての生を再考するための手がかりがあるように思います。
──生い立ちや生活のこともたくさん話していただきました。最後に、ご自身のアーティストとしてのこれからについて、いま考えていることを聞かせてください。
小田原 私はあえて「彫刻家」と名乗っていますが、ここには、さきほど話題に出た多摩美術大学彫刻学科のハラスメント問題にも顕著な、同質性の高い彫刻という領域への異議申し立ての意味を込めています。私は、もっと多様な作家のあり方、彫刻のあり方を自分が生きることによって示したい。だから、書くし、話すし、研究もするし、本もつくるし、来年は展覧会のキュレーションもします。それから公共彫刻に関する政策提言もやっていきたい。アーティストが評価されるためにはあまりいろいろやらないほうがいいとか、女性作家についても「巫女」的な役割が期待されているところがありますが、そういった押しつけられる枠組みを、自分のありようによって打開していきたいと思います。下の世代のアーティストや学生さんにも、「あなたたちが自由に生きることこそが最大の抵抗の手法なのだ」と伝えたいです。彫刻について言えば、教育の問題もとても深刻ですが、例えばあいちトリエンナーレ2019でさらに多くの注目を集めたキム・ソギョン+キム・ウンソン《平和の少女像》や、法王フランシスコが往訪を避けた北村西望《平和祈念像》、昨年話題になったヤノベケンジ《サン・チャイルド》などを論じることを通じて、社会と彫刻についての言説を厚くすることは喫緊の課題だと思っています。
百瀬 私はもともと自分の作品と、自身の女性というアイデンティティというものを深く結びつけないで考えてきました。それこそわたしが好きなのはモダニズム芸術だったり、メディアの成立条件をメディア内部で問い直すような自己言及的な作品が多く、いまでもやはり自分の作品にはそういった構造を含むものが多いと思います。だけど最近はそういった関心に対して、もっと非論理的な、自身の主体的な欲望から生まれてくるフェティッシュな部分を勝手に接続させるようなことをしています。また、小田原さんもおっしゃっているように、女性作家たちを変にミステリアスな存在にせず、積極的に彼女たちの「ことば」の体系を残していくことが重要で、それこそ前半で話したような様々な媒体の可能性があるんじゃないかと思っています。あくまで自分の身体を経由させた思考をすることを忘れずにいたい。お答えになってますかね?
小田原 それぞれの結論があるのがいいと思います。私と百瀬さんとで。