親密な空間に入り込む外の世界
いっぽう、小品には《Pillow Fight》(2022)のように、ベッドの上で2人の男性がじゃれ合う、より親密な場面も描かれている。ここでもトゥールは、外の世界を取り入れることを忘れない。ベッドサイドテーブルの上には画面の光るノートパソコンが置かれ、外界の存在を示唆している。
例外的なのが、《The Women》(2021)だ。この小さな絵画には、ベッドでくつろぐ3人の女性と、彼女たちに背を向け、化粧台の上の化粧品を見つめる少年が描かれている。部屋の細部はオリーブグリーンの筆致であいまいに描かれ、ここには外界が入り込む余地がない。静けさに包まれた、どこか「聖なる」瞬間だ。《Ghost Ball》のような祝祭的な場面から、こうした静かな室内の光景まで、静と動の両方を巧みに描き出すことで、トゥールは人物たちの複雑な感情を浮かび上がらせている。

願望に満ちたオート・フィクション
トゥールはパキスタンのラホールで、比較的裕福な家庭に生まれた。3人兄弟の長男だった彼は、2002年、アメリカ同時多発テロからわずか1年後に、美術を学ぶためオハイオ州へ渡った。その際、人種的な偏見を伴う厳格な入国審査を経験したという。
《Man With Face Creams and Phone Plug》(2019)には、バッグの中身を見知らぬ人にさらけ出すことを余儀なくされ、立ち尽くす男性が描かれている。フェイスクリームや日用品といった私的な持ち物を他人に見せなければならない状況は、移民としてのトゥール自身の経験とも重なる。《Citizens》(2022)では、2人の男性が胸に手を当て、第二の祖国への忠誠を誓う姿が描かれている。トゥール自身は2019年にアメリカの市民権を取得した。

トゥールは自身の作品を「願望に満ちたオート・フィクション」と表現している。実際の経験と想像が入り混じったその絵画には、若く褐色の肌を持つクィアな友人たちが集う。彼らは笑い、歩き、走り、踊り、キスをし、抱き合い、ときにはふざけて取っ組み合いをする。
その服装も実に様々だ。オーバーオールを着ている者もいれば、フォーマルな服装や派手な帽子で華やかに着飾る者もいる。靴やズボンを脱ぎ捨てた人物もおり、露わになった身体は自由に動き回る。たなびく白いシャツ、踊る人物のシャルワール・カミーズの裾、高速で走る車の窓からちらりと見える、ぼやけた街並み。トゥールの絵画には、至るところに動きが満ちている。
こうした作品は、クィアな感性だけでなく、ディアスポラ・コミュニティが感じる孤独や疎外感も描き出している。トゥールが語る「文化の狭間に挟まれることによる不協和音」だ。彼の友人であるアジズ・ソハイルは、展覧会カタログのなかでこの感覚を「複数の世界を同時に夢見ること」と表現している。故郷から遠く離れて暮らす人ならば、すぐに思い当たるものがあるだろう。

ぶつかり合う、様々な「自己」
コートールド美術館の美しい石造りの階段を下りた先には、トゥールによるインクとグアッシュを用いた16点の小さなドローイングが展示されている。「絵画はパキスタンからアメリカに移住して学んだものだが、ドローイングは小さい頃からやっており、つねに第二の天性だと考えてきた」とトゥールは語る。
彼の絵画やドローイングには、ふたつの相反する「自己」が見て取れる。いや、ふたつだけではないかもしれない。彼のなかには、互いに押し合い、ぶつかり合う様々な「自己」が存在し、その摩擦のなかでアーティストとしての表現を進化させ続けている。
ドローイングの1点《Beach》(2023)では、ほぼ裸の若者が海岸線を歩いている。髪と腰に巻かれた布は風になびき、片腕は部分的に消され、描き直されている。その筆致が、手招きをするような動きを生み出している。まるで「あなたのような人」が、「私と一緒に来ないか」と呼びかけているかのようだ。

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