ニューヨークを拠点とするパキスタン出身のアーティスト、サルマン・トゥール(1983年生まれ)による個展「Someone Like You」が、ロンドンのコートールド美術館で開催されている。
ロンドンのサマセット・ハウス内に位置するコートールド美術館は、印象派やポスト印象派の優れたコレクションを所蔵している。エドゥアール・マネの《フォリー・ベルジェールのバー》(1882)やフィンセント・ファン・ゴッホの《包帯を巻いた耳の自画像》(1889)、ポール・セザンヌ、エドガー・ドガ、ジョルジュ・スーラの作品に加え、サンドロ・ボッティチェッリやピーテル・ブリューゲル(父)など、古典絵画の名作も並ぶ。現代美術と古の巨匠たちの世界を巧みにつなぐトゥールの作品にとって、格好の展示場所と言えるだろう。

トゥールが注目を集めるきっかけとなったのは、2020〜21年にニューヨークのホイットニー美術館で開催された個展「How Will I Know」だった。今回のコートールド美術館での展覧会では、2つの小さな展示室に19点の絵画が集められている。もっとも古い作品は2019年にさかのぼる。
この2019年について、同館の現代美術部門シニア・キュレーターであるエレナ・クリッパは、展覧会カタログの序文でこう語る。「それまで自身のセクシュアリティや個人的な体験を間接的に扱ってきたトゥールが、それらをもっと自由に表現するようになった重要な時期を示している」。
バーテンダーのまなざし
パキスタンでは、同性愛が法的に規制され、社会的な偏見も根強く、同性愛者の多くは自身のセクシュアリティを隠して生きることを余儀なくされている。そうした環境で育ったトゥールは、ニューヨークで自分のコミュニティを見つけた。

2019年制作の《The Bar on East 13th》は、隣の展示室に飾られているマネの《フォリー・ベルジェールのバー》を意識して描かれた作品だ。しかし、物憂げな表情で鑑賞者と向き合うマネのバーテンダー、シュゾンとは異なり、トゥールの描くバーテンダーは私たちをまっすぐに見つめている。逆に、飲み物をオーダーする人物は恥ずかしそうに視線をそらしている。指輪をはめ、マニキュアを施したバーテンダーの手は、マンガのように大きく描かれ、カウンターに力強く置かれている。
この《The Bar on East 13th》は、トゥールが自身の「カミングアウト」に関わる絵画と呼ぶシリーズの一部だ。そこには羞恥心と興奮が入り混じり、感情が高ぶっているように感じられる。2019年以前の絵画は、複雑で断片的な、コラージュのような作風だった。この頃から、夜のビロードのような質感を際立たせるエメラルドグリーンが、トゥールの絵画で目立つ存在となる。
《Bar Boy》(2019)では、紫色の帽子をかぶった人物が、手にした携帯電話の光に照らされている。楽しそうに過ごす周囲の人々とは対照的に、彼はひとり画面を見つめている。人々を世界と結びつけるいっぽうで、目の前の世界から遠ざけてしまうテクノロジーの矛盾を思わせる光景だ。

こうした人物たちが一堂に会するのが、《Ghost Ball》(2023)だ。大きな画面は、展覧会の第2展示室で圧倒的な存在感を放っている。トゥールは自身が愛する登場人物たちを、ひとつの場面に集結させた。中央では、円錐形の帽子とハイヒールを身につけた笑顔の人物が、男性器を露わにして踊っている。周囲の人物たちも思い思いの装いで集まり、画面には祝祭的な雰囲気が満ちている。
クローゼットのなかのあれこれ
もっとも、トゥールの絵画がすべてこれほど陽気なわけではない。《Parts and Things》(2019)では、クローゼットの中身が鑑賞者にさらされている。そこには様々な物が山積みになっており、トゥールはこれを「ファグ・パドル(fag puddle)」と呼ぶ。成長する過程で、本当は好きだったけれど恥ずかしく思っていた「女々しいもの」を指すために、彼がつくり出した言葉だ。

《Museum Boys》(2021)では、3人の人物が「ファグ・パドル」を収めたショーケースを見つめている。そこには、マルセル・デュシャンの《泉》(1917)を彷彿とさせる小便器やハイヒール、そして2つのぐったりとした肉体が絡まって置かれている。訪問者たちは、夜中にこっそりと美術館に忍び込んだのだろうか。彼らが見つめるものは、かつて隠されていた欲望や記憶の断片のようにも見える。
本展のために特別に制作された《Fag Puddle With Carriers》(2026)には、人体の一部と思われるものを山積みにしたトレイを運びながら、走る人物たちが描かれている。この作品は、コートールド美術館が所蔵するロレンツォ・ロットの《埋葬》(1550-55)を引用したものだ。引用元は小さな絵画で、館内で見つけるのはそう簡単ではない。鑑賞者はトゥールの個展を見終えたあと、宝探しのようにコートールド美術館を歩き回ることになる。

トゥールの絵画の登場人物たちは、その服装から現代に生きる人々であることがわかる。人間の苦闘や迫害、紛争は昔から変わらないが、今日の私たちはそうした出来事をソーシャルメディアを通して目にし、消費している。画面のなかで慌ただしく走る人々は、迫りくる破滅の予感から逃げ出そうとしているかのようだ。
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