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2025台北ビエンナーレ「地平線上の囁き」レポート。現世を変える「思慕」の力【5/5ページ】

台湾美術の主体性を表現する場における、台湾原住民アートの不在

 開幕シンポジウムで、美学研究者でキュレーターの黄建宏(ホァン・ジェンホン)は、今回のビエンナーレは、世界的な美術の潮流やグローバル化などに意識が向きがちだった歴代の台北ビエンナーレとは異なり、国内展ではあったが初の企画展だった1996年の台北現代美術ビエンナーレから実に21年ぶりに、「台湾美術の主体性」を論じたとして称賛した。確かに、西洋の思潮を掲げることもなく、現地の歴史や文脈をこれほどまでに重視した台北ビエンナーレは今回が初めてで、それは純粋に素晴らしい。

 しかし「台湾美術の主体性」を語るとき、オーストロネシア語族の台湾起源説や移行期正義などの、近年の台湾の言論・政治的動向や、何より呉明益の《自転車泥棒》のストーリーに欠かせない台湾原住民(台湾の先住民を指す正式名称)の存在を思うと、このビエンナーレに台湾原住民アーティストによる作品が展示されなかったことに、大切なピースがひとつ欠けているように感じられたのも事実だ。あるいはそれは、台北市立美術館のコレクションに、現状、原住民による作品が含まれていないことや、キュレーターの二人が議論を重ねたという台湾の識者の方向性と関連しているのかもしれない。この件については、栖来ひかりによるインタビューにおいて、二人からの回答は得られているものの、近年台湾では、批評性や現代性を備えた原住民によるアート作品が次々と出現しているだけに、残念に感じた。展示されていたならば、マヤ・カクチケル系先住民の宇宙観を表すエドガー・カレルの作品と、何らかの共鳴を持ったはずだとも思う。

エドガー・カレル K’obomanik (Gratitude for everything that lights up and turns off before our eyes) 2025 Courtesy of the artist, Mendes Wood DM, Sao Paulo; and Proyectos Ultravioleta, Guatemala City.

抑圧のなかでの「思慕」

 それでもなお、今回のビエンナーレが総じて魅力的であるのは、「思慕」の持つ未来へ向かうポジティブさによるものであろう。ただしそこには、隠された両義性とも言うべき、もうひとつの側面があることを再確認しておきたい。

 「思慕」は、陳映真の「私の弟康雄」で、主人公である姉が自殺した弟の日記を読みつつ、そのページが自殺の日付に向かうにしたがって膨らんでいった自身の感情として使われた言葉だ。「思慕」は、二度と戻らない弟に対する愛と同時に、弟の死という動かしようのない現実についての、大きな苦しみを表してもいる。戦火の下にあるレバノンで育ったバーダウィルと、東西に分かれた暗い時期のドイツで育ったフェルラスのふたりは、現実の過酷さを知り尽くしているからこそ(そしておそらく現在もそんなヒリヒリとした現実を生きているからこそ)、展覧会を通して、私たちに「思慕」を抱き、まだ見ぬ地平線へともに前進することを提案する。

 現実の抑圧と、愛や祝福などの相反する要素の内包は、多くの作品に核として宿っており、例えば、1階に展示されている陳進(チェン・ジン)による、日本の植民地統治下での母子の絵画に、象徴的に見られる。いっぽう、2階の最後の作品、上海出身の張如怡(ジャン・ルーイー)による、コロナ禍でのロックダウンを経てつくられたという作品群は、展覧会のクライマックスに近い場所にあるにしては、少し悶々としている。圧倒的に人工的な環境で生命のレジリエンスがかすかに感じられることを、救いと受け取めるべきなのかどうか迷うが、権威主義の中でも人々は生きている、そんな現実が存在することを思い起こさせるのである。おそらく今でも、誰にも言えない何かを抱えたまま生きている、世界中の抑圧された人々への意識が、この美しく整えられた展覧会の深部には確かに存在する。

張如怡 Dim Light Buildup by Dust Suspended in Air Edition 2/4 plus 1 AP, Courtesy of the artist and Don Gallery, Shanghai. Image courtesy of Taipei Fine Arts Museum, photo by Lu Guo-Way.

雑草の庭園で行われる合唱イベント

 さて、美術館の南エントランスの傍には、通し番号最後の作品、庭園とサウンド、オブジェなどによる、リナ・ラペリテの《坂の研究》が設置されている。庭園に植えられている植物は、台湾中に生い茂るセンダングサである。トゲが服に引っ付き、どんどん拡散し、人々を困らせる雑草であると同時に、可憐な白い花を咲かせ、薬草として用いることも食用にすることも出来る。この庭園は現状の台湾そのものであり、じつは外来種であるセンダングサが象徴するのは、筆者を含む、現在の台湾に定住する人々(セトラー)なのかもしれない。

リナ・ラペリテ 坂の研究(部分)スリッパはオブジェのひとつ 撮影=筆者

 この庭園では、ビエンナーレのクロージング・イベントとして、公募によって集まった、自由な音程を持つ普通の人々による合唱が予定されている。歌われるのはルー・リードの『パーフェクト・デイ』だ。この曲は台湾でも『我的完美日常』というタイトルで公開されて人気を集めた、ヴィム・ヴェンダースによる役所広司主演の映画『Perfect Days』の主題歌であったため、若者を中心によく知られている。台湾の複雑な歴史や社会は、一朝一夕に語ることはできないし、早急に答えを出すことも不可能だ。しかしこのセンダングサの庭園で、人々が思い思いの音程で『パーフェクト・デイ』を歌う時、このささやかだが心を合わせなければ遂行できない行為は、私たちを前進させる「思慕」の実践となるかもしれない。

編集部