FUJIHIMURO 会場
旧富士製氷の氷室に展示された《TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE》は、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEが美術家・横尾忠則と取り組んだ協業プロジェクトによる未発表作5点である。

富士吉田の織物技術を応用し、横尾の絵画を「一枚の布の構造」として再構築。糸の密度や色糸の重ねによって絵画の動勢が織物内部に翻訳され、裏表で異なる色が交差する織りの構造が、布そのものの存在感とともに立ち上がる。衣服として着用可能である点は、作品が鑑賞者の身体を介して新たな意味を獲得する可能性を示し、芸術と生活、布と身体の関係を改めて問い直す契機となっていた。
上條陽斗の《forming patterns》は、槙田商店と共同開発した「立体的に変形するジャカード織」を用いたインスタレーションだ。布は織組織の伸縮差だけで立ち上がり、富士山のかたちをフォーマットとして内と外、表と裏が反転する空間を形成する。

鑑賞者が布の筒をくぐると頭上に逆さの山が現れ、異なる気圏へ移動したような感覚が生まれる。外側から眺めれば、内部で見た陰影が光として浮かび上がり、布が境界膜となって複数の視点を共存させる。ギュスターヴ・ドレ『神曲』挿絵「至高天」から着想したという本作は、「天国にもっとも近い場所」とされてきた富士山の信仰とも呼応し、“山を見る”という行為そのものを再編成している。
永田風薫の《徐福 ー 鶴と火》は、富士吉田に伝わる徐福伝説を起点に、地域の仮面劇の形式を参照しながら「現在の神楽」として再構成した映像作品である。詩人・青柳菜摘による詩を導入に、白装束のダンサーが徐福面・蚕面・女面を順に被り替え、市内の複数の場所で舞う。

織機音や環境音を取り入れた永田の音響に導かれ、ダンサーの身体は土地の記憶をたぐり寄せ、実体を持たない徐福の気配を現在へと招き入れる。鶴となった徐福の伝承、福源寺の鶴塚、そして布産業に受け継がれた「遠くから来たものが別の姿で根づく」歴史。そういった複数の記憶の層が舞と音を通して重なり、時間の奥行きを伴って立ち上がる。
南條は今後について、「この取り組みを継続し発展させることで、産業の活性化やクリエイティブな人材の往来が生まれ、まちのイメージそのものが変わっていくだろう。美術館のような文化資産がなかった富士吉田でも、芸術祭が続くことで文化的蓄積が芽生え、若い世代が“このまちに住んでみたい”と思う未来につながるはずだ」と語った。
布と技術、風土と記憶が多層的に交わる本年のFUJI TEXTILE WEEKは、土地に眠る時間を織り直しながら、富士吉田という「織物のまち」の未来を静かに、しかし確かな力で指し示している。



















