山梨県・富士吉田は、その名の通り富士山麓に位置し、富士山からの清流を恵みに、1000年以上続く織物の町として栄えてきた。近代以降にはテキスタイル産業が町の重要な経済基盤となり、自然環境と密接に関わり合いながら発展してきたが、安価な輸入工業製品などに押され、最盛期には6000件を超えた機屋も現在200件近くまで減少、その継承と存続が課題となっている。
そうしたなか、豊かな自然と手仕事の機微が残るこの町に魅せられた若い世代のクリエイターたちが移住し、地元の職人たちと様々な再活性化の試みを重ねてきた。そのひとつの成果といえる展覧会 「FUJI TEXTILE WEEK 2021」がはじまった。
町のアイデンティティともいえるテキスタイルと現代アートとの対話から新しい表現の可能性を見いだす刺激的な試みは、「織りと気配」を共通のテーマとして、アート展「Textile&Art展」と機屋展示「WARP&WEFT」で構成される。中心市街地の空き店舗や蔵、旧銀行などを舞台に10組のアーティストによる作品展示と16の機屋による機屋展示を展開する。
10組のクリエイターは、今井俊介、大巻伸嗣、奥中章人、郡裕美、児玉麻緒、高須賀活良、髙畠依子、手塚愛子、西尾美也、maison2,3(メゾン トゥ コンマ スリー)。 「テキスタイル=織物」を使用、あるいは想起させるものを条件に、各自がそれぞれの空間に合わせた作品を制作する。事前に富士吉田を視察、ホステル「SARUYA」のアート・イン・レジデンス機能を活用した滞在制作が進められ、うち5組は地元の機屋との協働で新作に挑んだ。テキスタイルという素材とアートの共鳴だけはなく、土地の歴史、文化、風土、そしてそこに生きる人びととの交流を含み、「織りと気配」を視覚化する。町そのものが、ここだけのアートを体感できる空間となって、新しいアートのかたちとともに、改めてテキスタイルという産業についても考える機会を提供する。
製氷工場をギャラリーにリノベーションした「FUJIHIMURO」は、繊維を加工して光を透過する壁が、まるで卵の中にいるような感覚をもたらす空間。4つの部屋で、今井、児玉、高須賀、maison2,3の作品が展示される。
絵画表現の可能性と「見ること」の本質を追求する今井は、鮮やかな色彩のストライプやドットをプリントした巨大な布の一部分を絵画にする。鑑賞者は実際の布でどの部分が切り取られたのかを追うことで、改めて絵画の色、かたち、構図を意識し、見ることへの反省をうながされる。
テキスタイルデザインを学んだ高須賀は、織物製造で用いられる紋紙をモチーフに、彫刻的な作品を生み出した。織物の文様パターンを記号化して記憶する紋紙はまさに有形のデジタルデータ。情報を記録するモノ、それを媒介として人類が受け継ぎ、未来へと伝えていく知、記憶と記録の関係をあざやかに視覚化する。
maison2,3は恒久的なサステナブルデザインを探求するユニット。廃棄されたTシャツを素材に、パッチワークのように木目込み技法で大きな地球を制作した。文様には「愛」や「うみ」といった文字が読み取れ、触れたり、転がすこともできる。楽しいオブジェは同時に、この惑星を覆うものが資源として見えるのか、ゴミと見えるのか、鋭い問いも突き付ける。
もっとも小さな空間にありながら、みごとな作品に昇華させたのが児玉のインスタレーションだ。自身が身にまといたいと思うほど魅了される植物の魅力を、絵具というマチエール、色、かたちで絵画に存在させようとする彼女が今回挑んだのは、自身の絵画作品を素材とした新たな光の布の制作。植物の生命力を感じさせる彼女の作品の勢い、絵具の盛り上がりや質感、画面に生まれるリズムからインスピレーションを得たこの地の機屋が制作した織物は、絵画と通底しつつオリジナルの輝きを放つ。絵と布、互いに主従を無化して拮抗し、共鳴する空間は必見だ。
かつて山梨中央銀行が管理していた蔵を住宅と展示空間として利用している「蔵の家」では、髙畠の絵画作品と、群のインスタレーションが楽しめる。
キャンバスが織物であることに着目した髙畠は、絵画制作のプロセスをとらえ直す。支持体であるキャンバスを織物工房とともに制作、その素材感を残しつつ何層もの漆喰を重ねた「白い絵」を、木造建物の造りに合わせて棚に横置きしたり、納戸の奥に置く。ホワイトキューブの壁にかけるものと思っていた絵画が、新しい感覚をもたらしたという。
郡は、3層の蔵全体を使用し、織物が誕生する過程を光と音で表わす。光の糸を暗闇に等間隔で浮かべて織りを象徴し、透明な球体が青く光るフロアでは蚕が桑の葉を食べる時の音が、窓からの一筋の外光を通した障子からは機を織る音が流れる。美しい静けさのなかで、テキスタイルの時間的な要素を感じることから、その本質へと迫る。
最近まで営業していた旧洋装店では、織物や刺繍から、独自の構築と解体という手法で時間の巻き戻しや織り込まれた記憶、選択されなかった可能性への思索をうながす作品で、国内外で高い評価を得ている手塚が、店主だった100歳になろうとする女性に取材した人生を自作とシンクロさせる。
元喫茶店の空間では、高須賀が 「くっつき虫」といわれる植物の種を大量に使用して赤い立体を造り上げる。他の動物に依存して種子を拡散する植物に、生物が持つ狡猾で底知れない力を見いだす彼は、人間が消費する衣服にこの種を植え付け、人間主体のまなざしへの警鐘を鳴らす。
メイン会場である旧スルガ銀行の建物では、西尾が富士吉田の「裏地の生産地」をテーマに作品を発表した。
屋上を覆う巨大な布は、装いとコミュニケーションの関わりに注目する西尾による、縫い合わされた服の裏地。あちこちに穴が開けられて、布をくぐってその穴から頭を出すと、裾野まで見渡せる富士の姿とともに、穴の場所で変化する風景に出会う。風にうねる布は、海から顔を出しているような感覚を与えつつ、「見えるもの」の変化と衣服の持つ表と裏の関係性を考えさせる。
1階のホールでは、黒い薄布が下から吹き出す気流によって絶え間なく揺らぎ、かたちを変える。大巻の《トキノカゲ》の富士吉田バージョンだ。震災以降、物質的なものの不確かさを感じた作家が生み出したシリーズは、生と死、有と無、光と影、過去と現在など、対立する要素をあわせ持つことで世界への認識のあり方を問う。そこに、この地の産業と自然の多様な表情、“あるのにない”使われなくなった建物など、土地の記憶が重なる。昼の光にガラスごしの商店街の風景も映して変化する布は、日没後はその表情を変え、ある瞬間には闇を吸いこんだように認識できなくなる。昼と夜の違いも体感してほしい作品だ。
昼と夜で貌を変えるもう一作が、町なかの空き地に出現した巨大なバルーン。透明な被膜には薄いフィルムが貼られ、光や風を受けてプリズムのように色が変わる。内部に入ると揺らぐ壁に平衡感覚が揺さぶられる不思議な感覚を味わえるだろう。体験型作品やワークショップ開発で知られる奥中は、天候や時間、参加する人びとの関係を「織り成す」ととらえ、作品がそれ単体では存在しえないものであることをメッセージした。
「織りと気配」──それぞれの作品は、テキスタイルが持つ特徴そのままに、固定されず、柔軟で変化に富む多様な造形として、町のあちこちに新鮮な気配を生み出している。
それらは見るものの思考やイマジネーションを刺激すると同時に、富士吉田の持つ歴史や文化へのまなざしを喚起する。
「本展は各地で開催されるような芸術祭といえるが、産業に注目したアプローチはこれまでにないと思う。これからの産業のあり方にはアートの視点が重要なのではないか」と本展ディレクターの南條史生は語る。
そもそも日本の造形美は生活の中で使用するものにおいて追求されてきた。屏風絵しかり、漆の調度しかり、そして織物もしかり。「産業×アート」は、新しい試みであるとともに、本来日本人に根ざしている美の感性への回帰ともとらえられよう。この遺伝子としての感性と、いまを生きる現代の感覚の融合は、時代の技術や素材を活用して生み出される“古くて新しい”未来への創造の可能性なのだ。