洋画家としてのキャリアに注力するために芸術座を辞した小林は、自身の制作や教師の仕事に注力していた。やがて院展洋画部に入選した《鰯》が写真家・野島康三の目に止まり、洋画団体「春陽会」に参加。個展を開催するに至った。
第三章「画壇での活躍」では、洋画家として充実期を迎えた小林による豊かな作品群が並ぶ。なかでも《金魚を見る子供》の制作をきっかけに家族をテーマとした作品が増え、その作風には穏やかさと柔らかさが一層深まっていった。作品を所蔵していた小説家・林芙美子は、その魅力を「空気のはいった、生活のはいった何気なさにある」と評している。さりげない日常を描きながらも、形や色彩の緻密な設計が施された作品は見応えがあり、同時に鑑賞者へ安心感を与えている。



画壇で成功を収め、順調に洋画家としての道を歩んでいた小林であったが、肺結核を患い活動を中断。千葉・館山で療養をすることとなる。第四章「彼の日常、彼の日本」では、療養以降の制作活動とその作品を追うことができる。


小林は晩年、人物・静物に加え、入り江や渓流、自宅周辺などをテーマに、数多くの油彩画やスケッチを描いた。大らかな筆致ながらも豊かな色面を備えた作品は、対象となる人物や風景の生命力を生き生きととらえている。


「絵かきは絵をかけ」という言葉を学生たちに残し、自身も最晩年まで制作活動を楽しんだ小林。「描くこと」に真摯に向き合い続けたその姿勢は、当時の批評家たちからも愛されたが、没後は長らく再評価の機運に恵まれなかったという。今回の展覧会は、小林徳三郎作品に携わる研究者や学芸員らの熱意が随所に感じられる内容であった。



















